「プレミアリーグ史上最悪の選手」ボシュコ・バラバン、離婚慰謝料を払わず刑務所へ収監される

プレミアリーグのボシュコ・バラバン
刑務所へ収監
ミス・クロアチアと結婚、離婚
8万ユーロ(約1310万円)の慰謝料
未払いの理由
懲役1年、執行猶予4年
2024年1月から1年間の収監
「逃げ道はない」
プレミアリーグ史上最悪の選手
クロアチア時代
クロアチアリーグで2度の得点王
アストン・ヴィラFCへ移籍
「文句はクラブへいうべきだ」
ディナモ・ザグレブへ期限付きで移籍
クラブ・ブルッヘ
輝かしい成績
古巣へ復帰
ファシスト式敬礼
ギリシャとマレーシア
クロアチア代表
サッカー選手の代理人
実刑判決を受けた元プロサッカー選手
プレミアリーグのボシュコ・バラバン

元サッカークロアチア代表のサッカー選手ボシュコ・バラバンは、「プレミアリーグ史上最悪の選手」と呼ばれている。というのも、鳴り物入りで移籍したにもかかわらず、鳴かず飛ばずでプレミアリーグを去っていったからだ。

刑務所へ収監

そんなバラバンが実刑判決を受け、刑務所へ収監されるという。いったい何が起こったのだろうか。

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ミス・クロアチアと結婚、離婚

バラバンは同じクロアチア出身のノバ・ラディッチと結婚し、3人の子供をもうけたが2017年に離婚している。ラディッチは元モデルでミス・クロアチアに選出されたこともあるほか、ファッション&ライフスタイル誌『Journal』の創刊者だ。

8万ユーロ(約1310万円)の慰謝料

ラディッチとの離婚にあたり、バラバンは総額8万ユーロ(約1310万円)の慰謝料を支払うことになった。しかし、これまで一銭も支払われていないという。

未払いの理由

慰謝料を支払わなかった理由は、十分な収入を得ていなかったからだとしている。しかし、バラバンはプロサッカー選手として17年間活動し、現在はサッカーの代理人として新たな人生を歩んでいる。さらにはいくつかの不動産を所持しているとの報道さえあるのだ。

懲役1年、執行猶予4年

元妻に一銭も渡さなかったことで、バラバンは大きな代償を支払うことになる。ベルギーの日刊紙『HLN』によると、2021年にザグレブの裁判所はバラバンに懲役1年、執行猶予4年の判決を下したという。

2024年1月から1年間の収監

バラバンは2年間で慰謝料を支払うことを条件に執行猶予となったが、実際に支払われることはなかった。そのためザグレブの裁判所は執行猶予を取り消し、2024年1月から1年間の収監を決定したと『HLN』紙が報じた。

「逃げ道はない」

ベルギーのメディアは、たとえ延滞金を支払ったとしても1年間服役しなければならず、バルバンに逃げ道はないと報じた。

プレミアリーグ史上最悪の選手

バラバンはしばしば「プレミアリーグ史上最悪の選手」と称され、雑誌や新聞のワーストランキングで不名誉な1位を何度もえている。なぜなら、2001年にNKディナモ・ザグレブから、660万ユーロの移籍金でアストン・ヴィラFCと契約するも、まったく貢献できなかったからだ。

クロアチア時代

クロアチア出身のバラバンは、17歳でプロデビューを果たし、地元のHNKリエカで1995年から2000年まで過ごした。翌シーズンからは強豪NKディナモ・ザグレブへ移り、2000-2001シーズンを27試合で14ゴールという素晴らしい成績で終えた。

クロアチアリーグで2度の得点王

1999-2000シーズンにHNKリエカで15ゴール、2000-2001シーズンにNKディナモ・ザグレブで14ゴールを挙げたバラバンは、2シーズン連続でクロアチアリーグの得点王に輝いた。

アストン・ヴィラFCへ移籍

クロアチアで大活躍したバラバンは、鳴り物入りでプレミアリーグのアストン・ヴィラへ移籍。しかし2年半の間にわずか9試合(7試合は交代出場)しか出場できず、ネットを揺らすこともなかった。

「文句はクラブへいうべきだ」

こうした結果はバラバンをネガティブな意味で有名にした。だが、2019年に『FourFourTwo』誌の取材を受けたバラバンはこれに対して疑問を呈している:「契約に大金を費やしたのにプレーをさせないのだから、文句はクラブにいうべきだ」

ディナモ・ザグレブへ期限付きで移籍

2002-2003シーズン、バラバンはディナモ・ザグレブへ期限付きで移籍し、24試合で15ゴールという素晴らしい活躍をみせた。しかし、アストン・ヴィラの信頼は得ることができず、契約解除が言い渡された。

クラブ・ブルッヘ

2004年、バラバンは自由移籍でベルギー1部リーグの歴史あるクラブ・ブルッへと契約した。1試合で4得点を挙げるなどの活躍をみせ、「スーパー・ボシュコ」の愛称で親しまれるようになった。

輝かしい成績

2004-2005シーズンは24試合で25ゴール、2005-2006シーズンも30試合で27ゴールを挙げ、輝かしい成績を残したバラバン。

古巣へ復帰

目覚ましい活躍をしたにもかかわらず、2006-2007シーズン終了後、クラブ・ブルッヘがベルギー得点王に輝いたフランソワ・ステルシュルを獲得したため、古巣であるディナモ・ザグレブへ戻った。

ファシスト式敬礼

ディナモ・ザグレブ復帰後にバラバンは大きな失態を犯してしまう。NKインテル・ザプレシッチ戦でゴールを決めた後、サポーターに向かってファシスト式敬礼をしたのだ。この件で、バラバンは14ユーロの罰金を科された。

ギリシャとマレーシア

ディナモ・ザグレブを経て、バラバンはギリシャ続いてマレーシアのリーグへ移籍している。ギリシャ1部のパニオニオスGSS(2009-2011)で過ごした後、2012年にマレーシア1部のセランゴールFAと契約を締結。しかしシーズン終了後は双方合意のもと、契約を更新しないことになり退団。

クロアチア代表

バラバンはクロアチア代表として35の公式戦に出場し、10ゴールを挙げた。また2つのワールドカップ(2002年の日韓大会と2006年のドイツ大会)に出場している。

サッカー選手の代理人

プロサッカー選手を引退してからは、サッカー選手の代理人として同胞のアンドレイ・クラマリッチなどの有名選手のキャリアを後押しした。インスタグラムのプロフィール(@_boscobalaban_)にあるように、この仕事は現在も続けている。

実刑判決を受けた元プロサッカー選手

浮き沈みのあるサッカー人生を送ったバラバン。離婚慰謝料を何としても支払わなかったことで、ついに実刑判決を受けることになった。

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