「世紀の裁判」にかけられた元アメフト選手、O・J・シンプソンが76歳で逝去

O・J・シンプソン、76歳で逝去
米国を揺るがした裁判事件
元妻の殺害容疑
最近はがん治療に取り組んでいた?
「健康状態は良好」
アメフト選手として9シーズン活躍
プロフットボール殿堂入り
不可能を可能に
セカンドキャリアでも成功
元妻が死体で発見される
裁判中継を全米が視聴
逮捕劇も全国放送
妻への虐待行為
無罪判決が下りる
無実を主張
民事訴訟では敗北
2007年に発生した武装強盗事件に関与
2017年に釈放
O・J・シンプソン、76歳で逝去

今月10日、米プロフットボールリーグ(NFL)の元選手で、元妻の殺人に問われたO・J・シンプソンが76歳で逝去した。SNSを通じ、遺族が次の声明を発表した:「オレンタール・ジェームス・シンプソンはがんとの闘いで死去しました」

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米国を揺るがした裁判事件

『ローリング・ストーン』誌によれば、O・J・シンプソンはアメフト界で目覚ましい活躍をし、引退後は俳優デビュー。さらに米国史上もっとも注目を集めた裁判の被告となった。

元妻の殺害容疑

O・J・シンプソンをめぐる裁判が行われたのは1990年代。シンプソンの元妻(ニコール・ブラウン・シンプソン)とその友人(ロン・ゴールドマン)を殺害した罪に問われたのだ。

最近はがん治療に取り組んでいた?

今年2月、ネバダ州ラスベガスの地元放送局はシンプソンが州内でがん治療に取り組んでいることを伝えたが、家族はこの報道に関し肯定も否定もしなかったという。

「健康状態は良好」

シンプソンは今年2月に開催された第58回スーパーボウルを前にSNSメッセージを投稿、「私の健康状態は良好です。もちろん治療に取り組んではいますが、乗り越えられると信じています」とし、容体悪化の噂を一蹴したばかりだった。

アメフト選手として9シーズン活躍

シンプソンは22歳でアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)のバッファロー・ビルズに入団、選手として輝かしいキャリアを築いた。9シーズンを通じて135試合に出場、76タッチダウンをあげたほか(ラッシング61、レシーブ14、キックリターン1)通算ラッシング獲得ヤードは11,236、同じくレシーブ獲得ヤードは2,142を記録している。

プロフットボール殿堂入り

1979年にNFLを引退したシンプソンは、1985年にプロフットボール殿堂入りを果たした。

不可能を可能に

プロフットボール殿堂のジム・ポーター会長は当時、「O・J・シンプソンは1シーズン14試合でラッシング獲得ヤードが2,000ヤードを超えるという、だれもが不可能と考えていた記録を初めて達成した選手です」と称賛の言葉を捧げた。

セカンドキャリアでも成功

現役を引退したシンプソンは順調なセカンドキャリアを歩み始めた。選手時代に高い名声を得ていたシンプソンはスポーツキャスターの仕事を手にしたほか、ハリウッドで俳優デビューを果たし、『裸の銃を持つ男』を始めとする映画作品に出演したのだ。

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元妻が死体で発見される

その後も順風満帆の生活を送っていると思われたシンプソンだった。しかし、ロイター通信等が伝えているように、1994年6月12日、シンプソンの元妻ニコール・ブラウン・シンプソンとその友人ロン・ゴールドマンの惨殺死体がニコールの自宅前で見つかり、事態は一変した。

裁判中継を全米が視聴

事件の凄惨さと有名人であるシンプソンが容疑者となったことから、公判は米国史上もっとも有名な裁判のひとつとなった。全米の家庭で人びとが裁判中継にくぎ付けとなったのだ。

逮捕劇も全国放送

また、逮捕令状が下りたと知ったシンプソンは友人とともに車で逃亡を図っており、それを追いかける警察と繰り広げたカーチェイスも全米で生中継された。

妻への虐待行為

公判には被害者ニコール・ブラウン・シンプソンの姉デニース・ブラウンも証人として出廷、妹は元夫から虐待行為を受けていたとした。さらに1995年2月の公判では、シンプソンは友人たちの目の前でニコールの下腹部に手をやり、「これは私のものだ」といったと証言。

無罪判決が下りる

検察側と弁護側の間で激しい応酬が行われたが、最終的に国内で最も腕の立つ弁護士たちを集めたとされるシンプソン側が勝利を手にした。

無実を主張

なかでもシンプソンの友人でもあった弁護士ロバート・カーダシアンが断固としてシンプソンの無実を主張し、1995年10月3日、ランス・イトウ判事がシンプソンの殺人を否定する無罪判決を下したのだ。

民事訴訟では敗北

こうしてシンプソンは刑事裁判で無罪となったが、2人の被害者の遺族は彼を相手取り民事訴訟を起こした。その結果、シンプソンは元妻ニコールの遺族に対し2,100万ドル、その友人の遺族には1,250万ドルの賠償金支払いを命じられた。「ABCニュース」が伝えている。

2007年に発生した武装強盗事件に関与

2007年9月、シンプソンはラスベガスのホテル「パームス・カジノ・リゾート」で発生した武装強盗事件に関与した罪に問われた。この事件の裁判ではジャッキー・グラス判事により33年の懲役刑および仮出所は少なくとも9年目以降という判決が下され、シンプソンはラブロック刑務所に収監された。

2017年に釈放

判決後、シンプソンは9年間刑務所で服役し、2017年に仮釈放が認められた。米ラジオ放送「NPR」によれば、2021年12月1日には完全に自由の身になったという。その後がんを発症し、2024年4月10日に逝去した。冥福を祈る。

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