さよならケリー・スレーター:伝説的サーファーが遂にツアー離脱へ

サーフィン界のレジェンド
オリンピック出場権を逃す
マーガレット・リバーでの敗北
グリフィン・コラピントに敗れる
世代交代
「あらゆることに終わりはくる」
サーフィン界のマイケル・ジョーダン
ケリー・スレーターの生い立ち
新米サーファー
パワーみなぎるサーフ・スタイル
プロサーファーという職業
ケリー・スレーターの大記録
通算56勝
スクリーンでの勇姿
因縁のライバル
「忘れがたい思い出に満ちた人生」
サーフィン界のレジェンド

プロサーファーのケリー・スレーターは、とうとうキャリアの最終盤にさしかかっている。これまで10年以上にわたってワールドツアーを支配してきたスレーターは、すでにサーフィン界のレジェンドになっており、その偉大な足跡がのちのちまで語り継がれることは間違いない。

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オリンピック出場権を逃す

現在52歳のケリー・スレーターは、パリ・オリンピックの出場権を逃している。多くのファンは、オリンピックの舞台で波に乗るスレーターの姿を見たいと願っていたのだが、それは叶わない。

 

マーガレット・リバーでの敗北

2024年4月、オーストラリアのマーガレット・リバーで開催された大会に出場したケリー・スレーターは、思うような結果が出せなかった。その後、涙をこらえながら「これが最後になりそうだ」と、現地の記者に向かってコメントした。ビーチでは、群がるファンに取り囲まれ、ライバルたちからも拍手喝采が贈られた。

グリフィン・コラピントに敗れる

マーガレット・リバーの大会でグリフィン・コラピントに敗北した後、スレーターは自分のキャリアを振り返ってこうコメントした:「楽しいことばかりじゃない、そりゃね。でも、僕の人生最良の時間だった」

世代交代

この大会が始まるまえから、すでに彼は引退を示唆していた。それでも、持ち前の負けん気の強さはまだまだ現役であるはずだった。しかし、やはり世代交代の波は避けられない。

「あらゆることに終わりはくる」

「あらゆることに終わりはくる。適応しなければ生き残れない。ぼくは要するに、モチベーションを100パーセントのところまで持って行けていないんだな。他のみんなが今やっているようにはね」と、彼は敗退後に語った。

サーフィン界のマイケル・ジョーダン

ケリー・スレーターはしばしば、サーフィンというスポーツにもたらしたインパクトとその卓越した名声によって、バスケットボールにおけるマイケル・ジョーダンになぞらえられる。『サーファーマガジン』誌が指摘しているように、スレーターは多くの人に史上最高のサーファーと考えられているのだ。

ケリー・スレーターの生い立ち

ケリー・スレーターは1972年2月11日、フロリダ州ココアビーチに生まれた。その名のとおり、ココアビーチは穏やかで温暖なビーチだ。釣具店の息子だったこともあり、スレーターにとって海はとても身近な存在だった。幼いころから多くの時間をビーチで過ごし、5歳のころにサーフィンを覚える。やがて、地元で開催されるジュニアの大会に出場するようになる。

新米サーファー

『サーファーマガジン』によると、スレーターが10歳になるころには、すでに地元の大会で彼にかなう者はいなかった。1984年に年齢別の全米大会で優勝すると、その3年後、オーストラリア開催の大会でジュニアのアマチュア・チャンピオンになる。

 

パワーみなぎるサーフ・スタイル

スレーターがプロになったのは1990年、パワーみなぎるサーフ・スタイルによって着々と存在感を増していった。

プロサーファーという職業

『サーファー・トゥデイ』が指摘するには、「1980年代はサーフィンにとって大きな転換点だった」という。世界各地を転戦して生計を立てる、というプロサーファーの職業が成立したのがその頃のことだったのだ。スレーターはサーファーとして幸運な時代に生まれたといえる。

ケリー・スレーターの大記録

プロサーファーとしての長いキャリアをつうじて、スレーターは世界チャンピオンに11回なっている(1992年、1994年~1998年、2005年、2006年、2008年、2010年、2011年)。さらに、トリプルクラウンタイトルを3回(1995年、1998年、2019年)、パイプライナーに8回(1992年、1994年~1996年、1999年、2008年、2013年、2022年)と、まさに前人未到の記録を打ち立てた。

通算56勝

さらにスレーターは2022年のチャンピオンシップツアー(CT)で通算56勝目をあげた。この記録はあまりにも突出しているので、もう金輪際塗り替えられることはないだろうと考えられている。

スクリーンでの勇姿

スレーターの勇姿はいくつかのサーフィン映画でも確かめることができる。1990年代にはドラマ『ベイウォッチ』に出演し、人気を博した。プレイボーイとしての側面もあり、ハリウッドスターのパメラ・アンダーソンなどと関係を持ったことが知られている。

因縁のライバル

スレーターの全盛期、その因縁のライバルは故アンディ・アイアンズだった。アイアンズもスレーターも、一流のサーファーとしてお互い一目置く間柄だったが、ひとたび沖に出ると火花を散らして戦った。

「忘れがたい思い出に満ちた人生」

「忘れがたい思い出に満ちた人生だった。ここからまた別の人生が、僕の人生の残りの日々が始まる……。この1週間、ぼくはあまり奇跡を起こせなかった。これまではけっこううまく起こせていたんだけどね」と、スレーターはマーガレット・リバーの大会で敗退したあとに語った。

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