スポーツでも一流の腕前を発揮するトップミュージシャンたち
スポーツと音楽は一見まったく関係のない業界に見えるかもしれない。だが、いま音楽界で活躍している人たちの中には、少し事情が違えばスポーツ界で名を成していたかもしれない人もたくさんいる。そんなマルチタレントたちをチェックしてみよう。
シンガーソングライターのジャック・ジョンソンはハワイのオアフ島生まれ。父親は有名なサーファーで、ジャック自身もサーファーとしての才能を発揮。17歳の時には有名なハワイの大会、パイプラインマスターズにファイナリストとして招聘されたほどだった。そんな彼にキャリアの転機が訪れたのはそれからわずか一週間後。サーフボートから転落してサンゴ礁にぶつかり大けがを負ったことがきっかけだった。
歌手のシアラは歌って踊れるマルチなタレントだが、実は高校時代には陸上選手として活躍していた。ジョージア州大会では100メートル走、200メートル走、幅跳びでメダルを獲得している。大会では学校記録も樹立し、幅跳びの記録は卒業後もかなりのあいだ破られることがなかった。
フレディ・マーキュリーはクイーンのボーカルとなる前、ボクシング界でも頭角を現しつつあった。学生時代にはボクシングでいくつもトロフィーを獲得していたが、危険だと判断した母親がむりやり止めさせた。
フレディはそれ以外にもスポーツ全般が得意だった。卓球の才能も広く知られており、そこでも顕著な成果を挙げていた。
ライブでのパフォーマンスを見たことのある人にとっては驚きではないだろうが、シンガーソングライターのP!nkは元体操選手。P!nkとしてデビューする前、4歳から12歳の時期、彼女は体操選手として競技する訓練を受けていた。
ミュージシャンのブルース・ディッキンソンはバンド「アイアン・メイデン」の(最高の)ボーカルとして名高いが、他のキャリアに進む可能性もあった……どころか、実際に様々な分野で活躍している。商用航空機を操縦できたりビール会社を経営していたりするのみならず、フェンシングの腕前も一流で、オリンピックメダリストと対戦して好勝負を見せている。
歌手のフリオ・イグレシアスはスペイン音楽界を象徴する存在で、ラテン音楽最大のヒットを飛ばしたことでも知られている。そのフリオは、実は音楽界で成功する前はレアル・マドリードのユースチームでゴールキーパーとしてプレイしていた。
そんな彼のキャリアを断ち切ったのはジャック・ジョンソン同様、事故による怪我だった。不幸にも交通事故で脊髄の神経が損傷し下半身が麻痺、2年間も寝たきりとなってしまったのだ。
ラッパーのJ. コールが音楽以外に愛しているものと言えば、バスケットボール。生涯を通じてプレーを続けていて、大学バスケでも活躍した。その情熱はいまも健在のようで、2021年にはバスケットボールアフリカリーグ所属のルワンダ・パトリオッツと契約し予備戦に3回参加した。2022年にはカナディアンエリートバスケットボールリーグのスカボロー・シューティングスターズに参加している。
シンガーソングライターのライオネル・リッチーもスポーツに秀でており、特にテニスを得意としていた。実際、テニスの腕前を評価されて奨学金を獲得したほどだった。ただ、自分の能力について彼は控えめで、ナオミ・キャンベルのYouTubeチャンネルに出演した際はこう語っていた:「昔はテニスをやっていましたし、球が見えればプレーすることもできるでしょう。でも、いまではみんな時速160kmのサーブを打って、フォアハンドでもバックハンドでも時速160kmで打ち返していますからね」
カントリー歌手のガース・ブルックスも、スポーツ界で成功できたかもしれない歌手の一人。学生時代にはいくつもオファーがあったとか。高校ではアメフトのクォーターバックでスター選手だったのみならず、野球のシーズンにバットを握っても大活躍。さらには陸上競技の投げ槍でも活躍して奨学金を獲得、オクラホマ州立大学に進学できた。
アイアン・メイデンには他にもスポーツの才能があるメンバーがいる。ベース兼リーダーのスティーヴ・ハリスもまた、若いころには別のキャリアも考えていたことがよく知られている。彼は生涯にわたってサッカーのウェストハム・ユナイテッドのファンで、10代のころ、音楽キャリアを本格的に追求し始める前にはウェストハムのユースチームに所属していたこともあるほど。
ロックバンド、ペイヴメントの元メンバーのスティーヴン・マルクマス(写真では一番左)は最近では音楽だけでなくスポーツに関する発言も頻繁に行っている。それだけに、実は彼もまたスポーツの経験があると言ってもあまり驚きではないかもしれない。スティーヴンは10代のころ、カリフォルニア州ストックトンのチームに所属。チームの一員としてイギリス遠征に向かい、世界の若手を相手に力試しをしたこともあった。
けっきょく音楽の道に進むことになったわけだが、いまでもスポーツに対する情熱は健在で、イングランド2部リーグのハル・シティの非常に熱心なファンだという。
グラミー賞も受賞した歌手、シェリル・クロウもスポーツ界に無縁ではない。それも前夫のランス・アームストロングが著名な自転車競技者だったというだけではなく、自身もスポーツの才能に恵まれているのだ。高校ではバスケットボールや水泳で活躍したほか、陸上競技では全国レベルで、75メートルハードル走でメダルを獲った。
ラッパーのスヌープ・ドッグはアメリカンフットボールの大ファンで、その情熱は長く深いもの。高校や大学でワイドレシーバーとしてプレイしていたのみならず、高校アメフトのコーチもやっていた。息子のコーデル・ブローダスもカリフォルニア大学ロサンゼルス校でアメフトをプレー、スター選手となっている。
フェイセズに加入してロックスターとなる前、ロッド・スチュワートはサッカーをプレーしていた。採用にこそ至らなかったものの、10代のころにプレミアリーグのブレントフォードFCのトライアルを受けてもいる。2004年に『ローリング・ストーンズ』誌に語ったところによると「それほど熱心になれなかった。音楽に心を奪われてしまっていてね」ということらしい。それでもサッカーへの愛は消えず、ライヴの際には聴衆に向かってサッカーボールを蹴ったりするほか、フルサイズのサッカーコートを私有してもいる。
ロビー・ウィリアムズもまたフルサイズのサッカーコートを所有しており、音楽の道に進まなかったらサッカー選手になっていたかもしれない。イングランドのチーム、ポート・ヴェイルFCの熱心なファンで、クラブの所有権を一部保有してもいる。また、イギリスで毎年開催されているサッカーのチャリティ試合、「サッカー・エイド」の主催者兼プレーヤーでもあり、満員の観衆の前で引退したプロ選手たちと対戦して見せたこともある。
スカパンクバンド「ノー・ダウト」のボーカルとして有名になる前、グウェン・ステファニーは高校の水泳チームに所属していた。その実力も折り紙付きで、ジュニア・オリンピック代表に選ばれたほどだった。
カリフォルニアのインディロックバンド「ウェーヴス」でフロントマンを務めるネイサン・ウィリアムズは10代のころサッカー選手として期待されていた。その実力はプレイを見込まれて奨学金のオファーが来たほどだったが、けっきょくネイサンはそのオファーを断った。サッカー選手としてプロの道を追求するにはまじめさが足りないと思ったかららしいが、そのおかげというべきか音楽制作に集中することとなった。
カントリー界のスーパースター、フェイス・ヒルは高校時代にはスポーツで才能を発揮していた。バスケットボールやバレーボールでも活躍したが、スポーツ界での最大の功績は陸上競技でのもので、ミシシッピ州大会で100メートルハードル走優勝などを達成している。
10代のころ、ビリー・ジョエルはボクシングで頭角を現しており、ニューヨーク州ロングアイランド地域で勝利を重ねていた。そもそもは治安の悪い地域での自衛のために習い始めたボクシングだったが、やがて競技に進出、24戦22勝という成績を残している。24戦で突然ボクシングのキャリアに終止符を打ったのは、最後の試合で鼻の骨を折られてしまったことが原因だった。
子供たちの証言によると、ボブ・マーリーは音楽だけでなくサッカーにも強い愛があったとのこと。音楽活動の狭間にはバンド仲間とサッカーを楽しんでおり、ポジションはミッドフィールダーでキャプテンも兼ねていたらしい。
イギリスのレコードプロデューサー、トレヴァー・ワイアットはボブ・マーリーとその仲間たちの実力を評してブラジル代表にも匹敵すると言ったほど。ボブ・マーリーが音楽の道を歩んでいなければ、もしかしたら「レゲエ・ボーイズ」ことサッカージャマイカ代表の一員となっていた可能性もあるかもしれない。
シンガーソングライターのチェルシー・グライムズは今までのアーティストたちとは違い、音楽活動とスポーツを両立させている稀有な人物だ。ソングライターとしてデュア・リパやカイリー・ミノーグなどの曲を手がけるかたわら、自身女子サッカー選手としてエヴァ―トン、トッテナム・ホットスパー、トレンメア・ローヴァーズ、フラムなどのチームでプレー。現在はマージーレール女子チームに所属しつつ、ヒットチャートも賑わせる大活躍だ。
ティナ・ターナーは音楽の道に進むと決める前、非常に熱心にスポーツに取り組んでいた。ダンスは生涯続けたし、その流れで高校ではバスケットボールのチアリーディングに所属。だがやがて自ら高校の女子バスケットボールチームに所属、ジャージに身を包んでプレーするようになった。
イギリスのロックバンド「カサビアン」のメンバー、セルジオ・ピッツォーノも若いころに音楽を選ぶかサッカーを選ぶかで迷わされた。10代のころ、音楽に集中する前にはレスター・シティのトライアルを受けるほどだった。2012年のサッカー・エイドで前イギリス代表のキーパー、デビッド・シーマン相手にゴールを決めたところを見ると、プロ顔負けの実力はいまだ健在の模様だ。
シンガーソングライターのナオト・インティライミもサッカー歴のあるミュージシャンの一人。中学時代には柏レイソルのジュニアユースチームに所属していたこともあるほか、Mr.Childrenのツアーに参加していたのも桜井和寿とともにサッカーをプレーしたことがきっかけだった。