アメリカンフットボール史上最速クオーターバックの浮き沈み人生
驚異的な身体能力を誇り「史上最速のクォーターバック」と評されていたアメリカンフットボール選手のマイケル・ヴィック。だが、プライベートで大きな問題を起こしてしまう。今回はヴィックの浮き沈みの激しい人生を振り返ってみよう。
1980年、ヴィックはバージニア州ニューポートニューズで生まれた。まだ10代だった両親が、複数の仕事に就いて生活をやりくりする、決して楽ではない幼少期を過ごした。さらには、ヴィックが育った地域は治安が悪く、ギャングが絡んだ銃撃事件も珍しくなかった。
ホーマー・L・ファーガソン高校でアメリカンフットボール選手としてのキャリアをスタートさせたヴィック。しかし、2年生の時に廃校となってしまった。コーチのトミー・リーモンとともにウォーリック・ハイスクールに移り、そこで才能を開花させる。
ハイスクール時代には、すでに全米ナンバー1クォーターバックとして名が知られるようになっていたヴィック。通算成績は6000ヤード近くを記録している。中には1試合で空中で3回、地上で6回、計9回のタッチダウンを決めたこともある。
ヴィックの才能は明らかだったが、カレッジのほとんどは彼を名選手と見なさず、リクルートは行わなかった。しかし、バージニア工科大学のヘッドコーチであるフランク・ビーマーが、ヴィックに地元大学に進み、バージニアテック・ホーキーズに加わるよう説得した。
ホーキーズに加入し赤のユニフォームを身につけたヴィック、2年目からは先発クォーターバックとして大学レベルでも才能を発揮し始めた。ヴィックはバージニア工科大学に2年在籍し、2000年にはチームを6位に導く活躍をみせた。
2001年のNFLドラフトで、ヴィックはアトランタ・ファルコンズから全体1位指名を受けた。40ヤード走4.33秒は、クォーターバック最速の記録として残っている。
ヴィックはルーキーとして6年間6200万ドルの契約を結んだ。ルーキーイヤーはほとんど先発出場がなかったにもかかわらず、早い段階で才能を発揮し始めたヴィック。ボールを持って9ヤード以上を突進するなど、クォーターバックとして前代未聞の活躍を繰り広げた。
ヴィックはその後の2シーズンを通して大活躍し、アトランタをプレーオフまで導いた。まずは2002年にNFCディビジョンラウンドに、2003年にはNFCチャンピオンシップゲームにまで進出したが、いずれもフィラデルフィア・イーグルスに敗北を喫した。
2004年12月、ヴィックはアトランタ・ファルコンズとの契約を延長、10年で1億3000万ドルの大型契約を結んだ。この破格の契約金は、ヴィックの選手としての信頼度の高さを示すものだ。
2007年までヴィックはNFLを代表するスター選手だった。リーグ史上最高のクォーターバックの 一人とされ、多くの有名ブランドからのサポートも得ていた。しかし、4月に警察がヴィックの所有する土地を捜索し、ヴィックが資金提供していた違法な闘犬賭博の組織を発見したことで状況は一変した。
捜査から数カ月でヴィックは闘犬の共謀罪を認め、直ぐにNFLから無期限の出場停止処分を受けた。ファルコンズはヴィックとの契約を無効とし、2004年の契約延長時の契約金1997万ドルをチームに返済させている。
ヴィックが罪を認めると同時に、ナイキをはじめとした主要ブランドパートナーは、有罪判決を受けたヴィックとの契約を破棄した。
「本人の所有物で、本人の犬だ。本人がそうしたいのなら、そうすればいい」とコメントしたアメリカンフットボール選手のクリントン・ポーティスをはじめ、何人かのスポーツ選手はヴィックを支持したが、全体としては怒りに満ちた反応が多かった。米国動物愛護協会と動物保護団体PETAは、ヴィックの行動に対して連盟で嫌悪感を表明した。
素直に罪を認めたにもかかわらず、ヴィックに約2年間の懲役が言い渡された。そのうちの21か月間服役し、態度が良好だったため2か月減刑された。
ヴィックは出所後、悔いと反省の言葉を繰り返しながら、アメリカンフットボールのキャリアを継続する意思を明らかにした。イメージ悪化と2年におよぶブランク、そして29歳という年齢から、復帰は絶望的とされていたが、フィラデル・イーグルスと契約を結んだ。既に先発QBのドノバン・マクナブがいたので、ヴィックは第2QBとして再スタートすることになった。
フィラデルフィア・イーグルス加入初期は、控えや交代要員だったヴィック。2010年にはフルタイムの先発として、爆発的なイーグルスのオフェンスを率いてプレーオフに進出した。スーパーボウルで対峙したグリーンベイ・パッカーズにはわずか及ばず、チャンピオンの座を譲ったが、ヴィックはMVP投票で2位となった。
ヴィックの実力を認めたイーグルスは、6年間1億ドル、4000万ドル保証という大胆な契約を提示。ヴィックがキャリアの中で署名した2回目の9桁契約だった。
ヴィックはさらに2年間イーグルスに留まったが、一貫して精度の高いプレーをすることができず好成績を維持することもできなかった。2014年にニューヨーク・ジェッツに移籍し1年間を過ごした後、ピッツバーグ・スティーラーズでバックアップとして1シーズンを過ごした。そして、2017年に現役引退を表明。
罪を犯したヴィックが、NFLに復帰することに大きな怒りを感じた人達もいた。元プロ野球のスター選手で動物愛護家として知られるマーク・バーリーは、「彼は見事カムバックを果たし、1年は高い成績を収めたが、試合を見ていて、言い方は悪いが、彼が負傷することを願ってしまうこともあった」 とコメントしている。
マイケル・ヴィックは、史上最もエキサイティングなクォーターバックで、NFL界で大きな役割を果たした人物のひとりだ。しかし同時に、自分の楽しみのために犬をいいように利用し、不要になればあっさり処分した冷酷な動物虐待者でもあった。出所以降、ヴィックは動物愛護活動を声高に支持し、過去の行為を心から後悔している。