アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットのラブストーリー:出会いから離婚まで
数々のスターが出演する映画作品はもちろんそのプライベートにおけるロマンスでも知られるハリウッド。映画界を代表するカップルのひとつであるブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーは12年を共に過ごし、うち2年間は夫婦となり、6人の子供をもった。
長期化する離婚劇で今ではお騒がせカップルとなった「ブランジェリーナ」、2人の出会いから世紀のカップルとして注目された交際期間、そして破局までを追ってみよう。
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの出会いは2004年、映画『Mr.&Mrs.スミス』の撮影現場だ。ただし、当時のブラッド・ピットはテレビドラマ『フレンズ』で高い人気を得たジェニファー・アニストンと結婚していた。
一方、アンジェリーナ・ジョリーは俳優のビリー・ボブ・ソーントンと前年に離婚したばかりで、破局前に養子縁組をしたカンボジア出身の息子、マドックスとともにシングルマザーとしての暮らしを満喫していた。
当初、2人は恋愛ストーリーである『Mr.&Mrs.スミス』撮影中の交際は否定していたものの、後になり「恋に落ちた」のはこの時期だったと認めている。
ブラッド・ピットとジェニファー・アニストン夫妻は2005年1月7日に正式に別居を発表、アニストンは数か月後に離婚届を提出した。
アンジェリーナ・ジョリーは2005年の夏、2人目の子供となるザハラ・マーリーを養子に迎えるためエチオピアを訪れた。
2005年7月、ジョリーとピットはファッション誌『W MAGAZINE』に登場。写真家のスティーブン・クラインが2人を同棲中のカップルとして描く「Domestic Bliss(ドメスティック・ブリス)」というファッションストーリーで、撮影は2005年初め、ピットが所有する南仏のシャトーで行われた。
2人は世紀のカップルとして「ブランジェリーナ」と呼ばれ、そろって姿を現すたびにマスコミをにぎわせていた。そんな2006年1月、ジョリーの子供であるマドックスとザハラをブラッド・ピットが養子に迎え、苗字をジョリー・ピットに変更する法的手続きを行った。さらに、ジョリーがピットとの第1子を妊娠中というニュースが世界を駆け巡った。
2006年5月27日、2人にとり初めての実子となるシャイロ・ヌーベル・ジョリー=ピットがナミビアで誕生。家族は5人となった。世界でもっとも話題になった赤ちゃん、シャイロは生後1か月にして『ピープル』誌の表紙に登場。さらにニューヨークにある蝋人形館『マダム・タッソー』にも、生まれたばかりのシャイロと両親の像が展示されている。
2006年12月、ロバート・デ・ニーロ監督作品『グッド・シェパード』のプレミアでピットとジョリーは初めて並んでレッドカーペットに登場。ついにハリウッドのオフィシャルカップルとなった。
2007年3月、ジョリーは4人目の子供となるパックスを養子に迎えるためベトナムを訪れた。ロサンゼルスで行われた養子縁組の手続きを通じ、パックスの苗字はジョリー・ピットとなった。
2008年2月に開催されたインディペンデント・スピリット賞の授賞式に出席したピットとジョリー。ピットとの第2子を妊娠中だったジョリーは、ふっくらしたお腹のラインがわかるドレス姿でフラッシュを浴びた。その後、第2子は双子だということが判明。
2008年5月、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーはフランスのプロヴァンスに500ヘクタールのブドウ畑とワイナリー付きの邸宅「シャトー・ミラヴァル」を3年間借りる契約書にサインした。
アンジェリーナは2008年7月12日に、フランスのニースで双子のノックス・レオンとヴィヴィアン・マルシェリーヌを無事に出産。双子の赤ちゃんは生後2か月で『ピープル』誌の表紙デビューを飾った。
2010年2月、英国のタブロイド紙『ニュース・オブ・ザ・ワールド』が2人の破局を報じる。2010年7月、ピットとジョリー夫妻側に名誉毀損で訴えられた同紙は賠償金を支払い、公式謝罪を行うことに。
2010年7月、ハリウッドのビッグカップルは子供たちから結婚を求められて婚約したことを認めた。ブラッド・ピットは自らデザインに参加し、アンジェリーナに16カラットのダイヤモンドの婚約指輪を贈っている。
2012年、ブラッド・ピット夫婦は南仏でレンタルしていたワイナリー「シャトー・ミラヴァル」を気に入り、共同で購入してワインビジネスをスタート。
アンジェリーナ・ジョリーは『ニューヨーク・タイムス』紙に「マイ・メディカル・チョイス」と題した記事を寄稿、2013 年に乳がん予防措置として両乳房の乳腺切除手術を受けたことを公表した。乳がん及び卵巣がんに罹患しやすいBRCA1遺伝子変異を有している彼女は、乳がんを発症する可能性が87%、卵巣がんを発症する可能性が50%となっていたのだ。母親マルシェリーヌ・ベルトランも2007年に卵巣癌と乳癌のため56歳で亡くなっている。
この記事を通じてジョリーは夫ブラッド・ピットを称え、「パートナーとしてとても愛情深く支えてくれる彼がいてくれて、私は幸運です。一緒に笑いあえる瞬間を見つけることができました。家族にとり正しい決断でしたし、今回のことで絆はいっそう深まりました」と感謝の言葉を述べている。
2013年8月23日、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットは、フランスの古城、シャトー・ミラヴァルで家族だけに囲まれて結婚式を挙げた。ジョリーが身にまとったアトリエ・ヴェルサーチのウェディング・ドレスには、家族思いのカップルらしく子供たちの手描きの絵が刺繍されていた。挙式後、ジョリーは薬指にゴールドの指輪をはめて写真に納まった。
ついに挙式したブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーはハネムーン気分を抱えつつ、新たな共演作『白い帽子の女(原題:By The Sea)』の撮影のためにマルタ共和国のゴゾ島に向かった。ジョリーが脚本を手がけた本作では、2人が夫婦役で主役を務めている。
2015年初頭、ジョリーはがん予防のために卵巣と卵管を摘出する手術を受けたことを、ふたたび『ニューヨーク・タイムス』紙を通じて明らかにした。血液検査の結果、がんマーカーに上昇が見られたことから予防措置として卵管と両卵巣を切除することにしたのだ。
ジョリーは記事を通じ、主治医からがんマーカーの上昇について知らせを受けたとき、「フランスを訪問中だった夫に電話したところ、彼は数時間後には飛行機に乗りすぐに帰国してくれました。人生における苦難のときには、何のために生きており、何が重要なのかが明らかになるという素晴らしい点があります」と感謝をつづった。
固い絆で結ばれているとみられていたブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーだが、水面下ではトラブルが続いていたようだ。2015年11月に行われた『白い帽子の女(原題:By The Sea)』のプレミアが、2人がカップルとして歩いた最後のレッドカーペットとなった。
アンジェリーナ・ジョリーは2016年9月19日に「和解しがたい不和」を理由にブラッド・ピットとの離婚を申請、6人の子供たちの単独親権を要求した。この衝撃的なニュースが報じられると、多くのがマスコミが一家の自宅前に押しかけることに。後になり、一家がプライベートジェットで移動している時に起こった争いが、離婚の決め手となったことが明らかになる。
2019年4月、ジョリーとピットは法的手続きにより独身の身分に戻った。これは「分岐手続き」と呼ばれるもので、離婚は正式に成立していないが夫婦関係の解消が認められるというものだ。
離婚申請行われて6年以上がたつが、離婚係争はいまだ続いている。子どもたちの親権争いや財産分与についていまだ合意に至っていないことが原因だ。この間、ブラッド・ピットは新恋人と過ごす姿がたびたびキャッチされている。
それぞれの結婚と離婚を経て生まれた世紀のカップル、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー。12年目にして破局したもののそれぞれ映像制作や難民支援活動、ティーンになった子供たちと過ごす時間と、活躍の場には事欠かない日々を送っている。