テニス界をリードしたアンドレ・アガシ:波乱に満ちたキャリアとプライベート
テニス界のレジェンドといえば、最近引退を発表したナダルやフェデラー、現役のジョコビッチを思い浮かべるかもしれない。しかし、波乱に満ちたキャリアを送りながら、数々のタイトルを獲得したアンドレ・アガシのことを忘れてはならないだろう。
アメリカ出身のアンドレ・アガシは、若くしてテニス選手として栄光を掴みながら、一時期は低迷するなど激動のキャリアを送った。それでも、テニス界の歴史で決して忘れることのできない選手の一人となっている。
1986年、16歳の若さでプロデビューしたアガシは、たちまち世界ランキングトップ100入りを果たす。
17歳でツアー初優勝を果たすと、その勢いのまま18歳で大ブレイク。全仏オープンで準決勝に進出し、世界ランキング3位に躍進した。
その後も好成績を収め続け、グランドスラム決勝にも複数回進出。1992年には、ウィンブルドンで初優勝を果たし、自身初となる四大大会優勝を飾った。
しかし、翌1993年、手首の慢性腱炎のためシーズンの大部分を欠場することに。アガシは手術を受け、リハビリを余儀なくされた。
1994年の復帰後、すぐに結果を出し始める。全米オープンでは初優勝を果たし、世界ランキングも2位を獲得。
1995年には、全豪オープンとデビスカップでの優勝。翌1996年のアトランタオリンピックでも金メダルを獲得したアガシは、キャリアの絶頂期にあった。
しかし、1997年は不本意なシーズンとなる。トレーニングや連戦の過負荷から、全豪オープンを欠場。
1997年に女優ブルック・シールズと結婚したことでプライベートでも大きな変化があり、精神的にも不安定なシーズンを過ごしたアガシは、成績不振で世界ランキングを落としていく。
さらに、手首の怪我の再発により、全仏オープンと全英オープンをどちらも欠場。アガシにとって、キャリアの暗黒時代とも言える時期にさしかかっていた。
シーズン中に復帰したものの、思うような結果を出すことができず、調子はあがりきらなかった。結婚生活もすでに破綻をきたしており、後に自伝の中ではストレスから違法薬物にも手を染めていたと回想している。
1997年は、本来の実力からはかけ離れた世界ランキング110位でシーズンを終えることとなる。
どん底を経験したアガシだが、ここから奇跡的な復調を果たし、再び世界のトップ選手に返り咲くことになる。
アガシは全仏オープン制覇や、全豪オープン連覇など次々とタイトルを獲得。1999年にはついに史上5人目となるキャリア・グランドスラムを達成した。そして、2006年に惜しまれながら引退した。
アンドレ・アガシはキャリアのなかで、グランドスラムで8回、デビスカップで3回、オリンピックで1回と数々のタイトルを獲得。そして世界ランキング1位の期間を101週間維持したのは、現在も世界最長記録となっている。