イギリスのフーリガンたち:スタジアムでの騒動を振り返る

情熱が暴走
サッカーの負の側面
深刻な事態に発展することも
1977年イングランド対スコットランド
大興奮するサポーター
スコットランドのサポーターが暴走
数百人の逮捕者
1985年ルートン・タウン対ミルウォール
ゲームは二回中断
サッチャー首相の目に留まる
1985年バーミンガム・シティ対リーズ・ユナイテッド
火を放つ
104人の逮捕者
1990年マンチェスター・ユナイテッド対アーセナル
事態が悪化
勝ち点剥奪
2009年ウェストハム対ミルウォール
警官とも衝突
二度中断
2021年マンチェスター・ユナイテッド対リヴァプール
クラブ運営への抗議
1,000人が抗議に
広く非難された抗議活動
情熱が暴走

イギリスにおけるサッカーはほとんど宗教的なまでの影響力を持ち、数千人の人たちが自分の応援するチームのためなら命をも投げうとうとするほどだ。それほどの熱意をもって一つのチームを応援することはスリルや感動を与えてくれるだろうが、悲惨な衝突や暴力の引き金になることもある。

サッカーの負の側面

イギリスでのサッカーシーンにおけるフーリガンの問題はいまも解決されておらず、政治家からハリウッドの映画スターまで様々な人が批判的に言及している。

深刻な事態に発展することも

それでも、何度か発生した深刻な事態を受けて、スタジアムにはより厳しい警備体制や設備が整備されてきた。そういった変化のきっかけとなった、イギリスにおけるサッカーをめぐる暴力事件を振りかえってみよう。

1977年イングランド対スコットランド

1977年のブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップでのイングランド対スコットランド戦は騒動の規模という観点から言えばそれほど深刻なものではなく、人によっては楽しい思い出かもしれない。だが、試合後にスコットランドサポーターたちがピッチに侵入したこともよく知られている。

大興奮するサポーター

1977年6月4日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われたこの試合は最初から緊張感の漂うものだった。スコットランドは前半から先制点を挙げ、後半にさらに追加点を獲得、イングランドもPKで一点を取り返すものの追いつくことはできなかった。この勝利にスコットランドのサポーターは大興奮、全力で勝利を祝福した。

スコットランドのサポーターが暴走

そして、その興奮が最高潮に達し、スコットランドのサポーターがピッチに乱入してしまう。数は少なかったがイングランドのサポーターもそれに続きピッチは大混乱、選手たちは更衣室に避難することを余儀なくされた。

数百人の逮捕者

警官やスタジアムの関係者によってピッチ上の混乱が収拾されたのはおよそ20分後。合計364人のサポーターが逮捕され、20人の警官が負傷した。

1985年ルートン・タウン対ミルウォール

サッカーの試合における暴動はイギリスでは1960年代後半から見られたものの、事態が深刻化するのは1980年代になってから。その変化を象徴するのが1985年のルートン暴動だ。

ゲームは二回中断

1984-85年のFAカップ準々決勝、ルートン・タウンFC対ミルウォールFC戦は「イギリスでおきたサッカー暴動の中でも最悪のもの」として語り草となった。ミルウォールサポーターの暴力性は当時からメディアで喧伝されており、サポーター自身もそれを誇示する風潮があった。そのミルウォールサポーターがスタジアムのオレンジ色の座席を剥がして武器や盾として使いながらピッチに殺到、警官やルートン・タウンサポーターらと乱闘を繰り広げた。騒動はゲーム中から起きており、ゲームは二回中断、終了後にも再びピッチで乱闘が起こり複数の負傷者が出たうえ、この様子はすべてテレビで放送されていた。

サッチャー首相の目に留まる

さらに、スタジアムの外でルートン・タウンとミルウォールそれぞれのフーリガン団体が衝突、警官も巻き込まれる事態となった。最終的に逮捕者31人が出て、この事件はサッチャー首相(当時)率いるイギリス政府の耳にも入ることとなった。政府はこういった暴力行為に厳格に対処することを決定、スタジアムでの暴力行為で有罪となったものには「厳格に懲役を科す」ことなどを宣言した。

1985年バーミンガム・シティ対リーズ・ユナイテッド

さらにその数か月後、スコットランドのセント・アンドリューズで行われたバーミンガム・シティFC対リーズ・ユナイテッドFCで悲劇が起こる。激しい暴力行為によってスタジアム外の壁が崩落、14歳の少年が死亡してしまったのだ。ある証言では、その時のあたりの様子は「サッカーの試合というより中世の戦場のようだった」という。

火を放つ

リーズのサポーターは相手側のサポーターの席に火を放ち、コンクリートブロックを投擲、座席を破壊した。リーズのキャプテンで地元ではレジェンド扱いだったエディー・グレイが止めようとしたが、そのせいで彼まで攻撃を受けてしまった。

104人の逮捕者

暴動は市街地まで波及し、多くの商店やパブが破壊された。逮捕者は104名にのぼり、12人の警官が負傷した。

1990年マンチェスター・ユナイテッド対アーセナル

1990年10月20日のマンチェスター・ユナイテッドFC対アーセナルFCもサポーター同士の間に激しい衝突があったことで知られている。その頃はちょうどその2チームにライバル感情が醸成されてきたころで、試合前から緊張は高まっていた。会場はマンチェスター・ユナイテッドホームのオールド・トラッフォードだったが、ゲームは開始直後から荒れ模様。アウェイスタンド上部に座っていたアーセナルファンがピッチにコインやライター、ボトルなどさまざまなものを投げ始めた。

事態が悪化

23分にマンチェスター・ユナイテッドが先制点を決めるとさらに事態は悪化。アーセナルファンがピッチに乱入してマンチェスター・ユナイテッドの選手やサポーターを攻撃し始めた。以降も双方のサポーターがものを投げるなどの暴力行為は継続し、警官とも衝突が発生した。

勝ち点剥奪

77分経過時点で選手や関係者に対する安全上の懸念からゲームは中止され、最終的に24人の逮捕者と数十人の負傷者が出た。また、騒動を受けてマンチェスター・ユナイテッドは勝ち点を1点剥奪、アーセナルは2点剥奪されたと『bleacherreport.com』が伝えている。

2009年ウェストハム対ミルウォール

2009年のウェストハム・ユナイテッドFC対ミルウォールFCは近年のサッカー暴動ではもっとも悪名高いものだろう。試合はEFLカップ(現カラバオ・カップ)のトーナメント第二戦で、ウェストハムの本拠地(当時)ブーリン・グラウンド(通称アップトン・パーク)で行われた。

警官とも衝突

騒動は試合前から勃発、スタジアムの外でファン同士が衝突していた。スタジアムの中でもすぐに事態はエスカレート。ウェストハムサポーターがピッチに乱入してアウェイ側のミルウォールサポーターを攻撃、警官や関係者も巻き込んだ騒動となり、ピッチには多くの物が投げ込まれた。

二度中断

試合は二回中断され、継続は困難かとも思われたがなんとか終了、3-1でウェストハムが勝利した。しかし暴徒にとっては試合結果などもはやどうでもよくなっていた。この事件はサッカーの試合中の警備体制を強化する必要を浮き彫りにし、特に歴史的に暴力行為の前科があるファングループを抱えるチームは重点的に警戒されることとなった。

2021年マンチェスター・ユナイテッド対リヴァプール

2021年5月2日、マンチェスター・ユナイテッドは本拠地オールド・トラッフォードでリヴァプールと戦う予定だった。しかし、多くのサポーターがスタジアムに乱入、マンチェスター・ユナイテッドのオーナーであるグレーザー一族への激しい抗議活動を行ったため延期された。

クラブ運営への抗議

抗議活動では、オーナーのグレーザー一族が利益優先でクラブの健全性や勝利を二の次にしているという主張がなされた。さらに、オーナー側がもはや望み薄の欧州スーパーリーグ構想に固執している点も問題視された。

1,000人が抗議に

1,000人ほどのファンがスタジアム外に抗議に集まり、一部は警備を突破してピッチに乱入した。警官と衝突したファンもいたほか、スタジアムに発煙筒などを投げつけるファンも。

広く非難された抗議活動

当初試合は遅れて開催される予定だったが、プレミア・リーグ側が安全上の懸念を表明したことで延期が決定。この抗議活動は危険で違法なものであるとしてマンチェスター・ユナイテッドとリヴァプール両チームから非難されたのみならず、広くサッカーコミュニティ全体からも非難を集めた。オーナー一族はまた、ファンとの間の食い違いについて謝罪、ファンとの対話に努める姿勢を示した。

ほかのおすすめ