モデル兼女優としても活躍する五輪アスリート、レリン・フランコの栄光のキャリア
オリンピックにも出場していた、とびきり美人な槍投げ選手、レリン・フランコをご存じだろうか。パラグアイ代表としてアテネ五輪(2004年)、北京五輪(2008年)、ロンドン五輪(2012年)の三大会に出場している。今回はそんな彼女の華々しいキャリア(アスリート・モデル・女優)を紹介しよう。
レリン・フランコは1982年生まれ。出身はパラグアイの首都、アスンシオン。幼いころからスポーツが好きで、はじめサッカーに打ちこんでいたが、やがて槍投げに関心を持つ。
レリン・フランコの豊かな才能はたちまち開花し、オリンピック公式ウェブサイトによると、1998年、16歳のときに槍投げと三段跳びの二種目で国内新記録を樹立した。
レリン・フランコはそのまま競技を続け、2001年、19歳のとき、南米ジュニア陸上選手権に出場、槍投げで見事優勝を果たす。
その後も順調に力を伸ばし、2004年に南米U-23陸上選手権に出場すると、こちらも堂々優勝を飾る。
その同じ年、レリン・フランコはアテネオリンピックに出場を果たす。しかし、世界の壁は高く、45選手中42位という成績で初めてのオリンピックを終えた。
オリンピックでは芳しい結果を残せなかったレリン・フランコだが、2006年、ミス・パラグアイコンテストに出場。準グランプリに選ばれた。
同じく2006年、ミス・ビキニ・ユニバース・ページェントにも出場を果たした。
その一方で、アスリートとしても国内トップレベルの水準を維持し、2008年北京北京オリンピックの出場権をてにする。しかし、成績は全体の51位に終わってしまった。
北京オリンピックでは結果を残せなかったレリン・フランコだが、2011年に『スポーツ・イラストレイテッド』誌の水着特集号に登場。こちらは大きな注目を集めた。
2012年にレリン・フランコは、槍投げ選手としてのふたたびトップの座に戻ってきた。イベロアメリカ陸上選手権に出場し、自己ベストの57.77mを投げ、国内記録を更新したのだ。
そして同年、レリン・フランコは3度目のオリンピックに挑戦する。2012年ロンドンオリンピック。結果は51.45mと自己ベストには及ばないものの健闘を見せ、オリンピックにおける自身最高順位の34位につけた。
ロンドンオリンピック後、槍投げ競技を引退すると、レリン・フランコは演技の世界に飛び込んだ。アイルランドに生まれパラグアイ第二代大統領の妻となるエリザ・リンチ(1833年 - 1886年)の生涯を描いた伝記映画に出演、主人公のエリザ・リンチの若いころを演じた。
演技の評判は上々だった。『フィルム・アイルランド』誌は、レリン・フランコは「若きエリザ・リンチの心の動きを見事に捉えている」と評している。
現在、レリン・フランコはインスタグラムに43万8,000人のフォロワーがいる。そのアカウントでシェアされているのは、普段の暮らしの様子や、ブランドのPRである。
元アスリートで現在はモデル・女優として活躍するレリン・フランコは、いくつかの大手企業と広告契約を結んでおり、その中にはヘア・コスメティックブランドのシュワルツコフや、フォルクスワーゲンも含まれる。