オリンピアンでモデルで女優、レリン・フランコの華々しいキャリア

レリン・フランコって誰?
サッカーから槍投げへ
マルチな才能
南米ジュニア陸上選手権で優勝
南米U-23陸上選手権でも優勝
アテネオリンピックに出場
ミス・パラグアイで準グランプリ
ミス・ビキニ・ユニバース・ページェント出場
北京オリンピック
水着特集号
自己ベストは57.77m
ロンドンオリンピック
演技に挑戦
女優しても高い評価を得る
インフルエンサーとしても活躍
大手ブランドとの契約
レリン・フランコって誰?

レリン・フランコというアスリートを覚えているだろうか? オリンピックにも出場していた、とびきり美人な槍投げ選手、といえば思い出す人もいるかもしれない。パラグアイ代表としてアテネ五輪(2004年)、北京五輪(2008年)、ロンドン五輪(2012年)の三大会に出場している。今回はそんな彼女の華々しいキャリア(アスリート・モデル・女優)を紹介しよう。

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サッカーから槍投げへ

レリン・フランコは1982年生まれ。出身はパラグアイの首都、アスンシオン。幼いころからスポーツが好きで、はじめサッカーに打ちこんでいたが、やがて槍投げに関心を持つ。

マルチな才能

レリン・フランコの豊かな才能はたちまち開花し、オリンピック公式ウェブサイトによると、1998年、16歳のときに槍投げと三段跳びの二種目で国内新記録を樹立した。

南米ジュニア陸上選手権で優勝

レリン・フランコはそのまま競技を続け、2001年、19歳のとき、南米ジュニア陸上選手権に出場、槍投げで見事優勝を果たす。

南米U-23陸上選手権でも優勝

その後も順調に力を伸ばし、2004年に南米U-23陸上選手権に出場すると、こちらも堂々優勝を飾る。

アテネオリンピックに出場

その同じ年、レリン・フランコはアテネオリンピックに出場を果たす。しかし、世界の壁は高く、45選手中42位という成績で初めてのオリンピックを終えた。

ミス・パラグアイで準グランプリ

オリンピックでは芳しい結果を残せなかったレリン・フランコだが、2006年、ミス・パラグアイコンテストに出場。準グランプリに選ばれた。

ミス・ビキニ・ユニバース・ページェント出場

同じく2006年、ミス・ビキニ・ユニバース・ページェントにも出場を果たした。

北京オリンピック

その一方で、アスリートとしても国内トップレベルの水準を維持し、2008年北京北京オリンピックの出場権をてにする。しかし、成績は全体の51位に終わってしまった。

水着特集号

北京オリンピックでは結果を残せなかったレリン・フランコだが、2011年に『スポーツ・イラストレイテッド』誌の水着特集号に登場。こちらは大きな注目を集めた。

自己ベストは57.77m

2012年にレリン・フランコは、槍投げ選手としてのふたたびトップの座に戻ってきた。イベロアメリカ陸上選手権に出場し、自己ベストの57.77mを投げ、国内記録を更新したのだ。

ロンドンオリンピック

そして同年、レリン・フランコは3度目のオリンピックに挑戦する。2012年ロンドンオリンピック。結果は51.45mと自己ベストには及ばないものの健闘を見せ、オリンピックにおける自身最高順位の34位につけた。

演技に挑戦

ロンドンオリンピック後、槍投げ競技を引退すると、レリン・フランコは演技の世界に飛び込んだ。アイルランドに生まれパラグアイ第二代大統領の妻となるエリザ・リンチ(1833年 - 1886年)の生涯を描いた伝記映画に出演、主人公のエリザ・リンチの若いころを演じた。

女優しても高い評価を得る

演技の評判は上々だった。『フィルム・アイルランド』誌は、レリン・フランコは「若きエリザ・リンチの心の動きを見事に捉えている」と評している。

インフルエンサーとしても活躍

現在、レリン・フランコはインスタグラムに43万8,000人のフォロワーがいる。そのアカウントでシェアされているのは、普段の暮らしの様子や、ブランドのPRである。

大手ブランドとの契約

元アスリートで現在はモデル・女優として活躍するレリン・フランコは、いくつかの大手企業と広告契約を結んでおり、その中にはヘア・コスメティックブランドのシュワルツコフや、フォルクスワーゲンも含まれる。

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