オリンピアンの急逝:5大会連続出場を果たした選手が遺体で見つかる
ベネズエラ出身の元自転車競技選手で5回のオリンピック出場を果たしたダニエラ・ラレアル・チリノスが、食品を誤って喉に詰まらせて死亡したという。
2024年8月12日、自転車競技でベネズエラ代表を務めたダニエラ・ラレアル・チリノスは現在の勤め先であるラスベガスのホテルに姿を見せなかった。数日たっても音沙汰がないことから同僚が警察に捜索願を出し、16日に元選手の死亡が確認されたという。テレビ局「Foxスポーツ」が伝えた。
同選手の死因はまだ確定していないものの、検視を行った警察は「気管から見つかった固形食品による窒息死」と結論づけたと、米ニュース番組『Fox News』が報じている。
ラレアル元代表はかつて、母国ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領が敷く独裁的な体制に対して批判の声を上げていた。しかし、こうした民主主義擁護をしたことで殺人予告が届くようになり、母国にいられなくなり米国で暮らしていた。
ラレアル元代表は、1992年のバルセロナ五輪、1996年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪、そして2012年のロンドン五輪という5大会に連続出場を果たした伝説的なオリンピアンである。
『ピープル』誌によると、ラレアル元選手のオリンピックにおける最高成績は、2012年ロンドン大会で行われた自転車競技チームスプリントの決勝7位だという。
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5大会出場後、ラレアル選手は6度目となる2016年大会出場を目指して準備をすすめていた。しかし、選手たちが受け取るべき資金が支払われていないとして政府に苦情を申し立てたところ、政府や競技連盟側が同選手のパスポート没収という暴挙に出たことから出場の夢は絶たれてしまった。
地元紙『エル・ヌエボ・ヘラルド』によれば、ある時ラレアル選手が父親の元を訪ねるために車を運転していたところ、2台のトラックが迫ってきて車ごと道路から押し出されそうになったが、幸いにも振り切ることができたという。
ラレアル選手は1990年から2012年にかけてベネズエラの自転車競技界を代表する選手として活躍し、パンアメリカン競技大会や中米カリブ海競技大会など数多くの国際大会でいくつものメダルを獲得した。
その成績を振り返ってみよう。1990年中米競技大会では銀メダル1個、2003年パンアメリカン大会(ドミニカ共和国)では銀メダル2個を手にし、2002年中米競技大会(エルサルバドル)では金メダル3個と銀メダル1個を獲得した。
ベネズエラ・オリンピック委員会は16日、ラレアル選手への追悼の意をXに投稿した: 「ダニエラ・ラレアル選手の逝去に関し、当委員会は深い追悼の意を表します」
「自転車競技における傑出したキャリアを通じ、ダニエラ・ラレアル選手は名誉ある代表選手として5回のオリンピック大会に出場、4大会で入賞を果たしました。その目覚ましい活躍を通じて私たち国民に大きな誇りをもたらしてくれました」と謝意を綴った。