陸上界の伝説カール・ルイス:20世紀最高のアスリートの軌跡
アメリカ出身の陸上競技選手カール・ルイスは、1980年代と90年代にオリンピックで計9個の金メダルを獲得した史上最高のアスリートの一人だ。
ルイスのオリンピックデビューは1984年。1980年のモスクワ大会でも出場資格を得ていたが、米国代表が大会をボイコットしたことで1984年のロサンゼルス大会がオリンピックデビューとなり、100メートル走、4x100メートルリレー、走り幅跳び、200メートル走に出場。
1984年のロサンゼルス大会で、ルイスは100メートル走(9.9秒)、200メートル走(19.8秒)、走り幅跳び(8.54メートル)、そしてエースとして臨んだ4x100メートルリレーの全てで優勝。一大会で4つの金メダルを獲得するという偉業を打ち立てた。
ルイスは、アルビン・クレンツライン(1900年)とジェシー・オーエンス(1936年)に続き、一つのオリンピックで4つの金メダルを獲得した史上3人目の陸上競技選手となった。オーエンスが1936年のベルリンオリンピックで達成して以来、約50年ぶりとなる大記録だった。
1988年のソウル大会、ルイスは走り幅跳びで8.72メートルの記録を出し、オリンピック連覇を達成。同種目で連覇を果たした史上初の選手となった。
100メートルでは、カナダのベン・ジョンソンに敗れたが、3日後にベン・ジョンソンがステロイド使用で失格となったことで、ルイスは9.92秒のタイムで繰り上げ優勝を果たした。
ルイスは、1992年のバルセロナオリンピックでも圧倒的な強さを見せる。走り幅跳びでは8.67mの記録で3連覇を達成。4x100mリレーでは再びアンカーを務め、37.40秒の世界記録樹立に貢献した。この大会で、自身のオリンピック金メダル獲得数を8つまで伸ばしている。
35歳となったルイスは、1996年のアトランタオリンピックにも走り幅跳びで出場。自己ベストには程遠かったが、8.5メートルの記録を出し、9個目の金メダルを獲得した。ルイスにとってこれがオリンピックでの最後の金メダルとなった。
ルイスはオリンピックの陸上競技で計10個のメダルを獲得し、1997年に現役を引退。その合計数は2021年にアリソン・フェリックスが上回るまで最多記録だった。引退から2年後には、国際オリンピック委員会によって「20世紀を代表するスポーツマン」として認定された。
米『ロサンゼルス・タイムズ』紙によると、1991年から2000年まで米国オリンピック委員会の薬物管理局長を務めたウェイド・エクサムは、米『スポーツ・イラストレイテッド』誌に内部文書のコピーを提供。同氏は、1988年から2000年にかけて薬物検査で陽性を示していた選手の名を挙げ、そうした選手が競技に参加していたのは間違いだったと語った。
1988年にプソイドエフェドリン、エフェドリン、フェニルプロパノールアミンの3つの陽性反応が出たことで、ルイスの名前も同氏が提供したリストに載っている。これらの薬物はスポーツでは禁止されているが、一般的な薬局などで簡単に入手可能だった。ルイスはこれらの薬物を意図せず摂取したと主張。検査のうえ、最終的には出場を許可されることになった。
現役引退後、ルイスはテレビ番組や映画にも出演。さらには、ニュージャージー州バーリントン郡の第8選挙区で民主党員として上院議員にも立候補している。しかし、ニュージャージー州に4年以上居住するという要件を満たしていなかったため、すぐに立候補が取り消されたようだ。
63歳となったカール・ルイスは、現在では母校ヒューストン大学で陸上競技部のヘッドコーチを務めているようだ。偉大なレジェンドの元から新たな陸上選手が誕生することになるかもしれない。