レアル・マドリードで輝きを放つ、キリアン・ムバッペの10の意外なエピソード

キリアン・ムバッペの知られざる素顔
1. パリ郊外で育った
2. 自分の靴は自分で磨く
3. 歌が上手い
4. 過去には監督との確執が報じられたことも
5. チェルシーに加入していた可能性があった
6. リーグ・ドゥのSMカーンに行った可能性も?
7. レアル・マドリードからの最初のオファー
8. 模範的な行動で知られる
9. ムバッペのニックネーム
10. 家族と強い絆で結ばれている
キリアン・ムバッペの知られざる素顔

今やフランス代表として、そしてスペインの名門レアル・マドリードのスター選手として活躍するキリアン・ムバッペ。今回はそんな彼の意外なエピソードをご紹介しよう。

1. パリ郊外で育った

「ボンディの神童」と呼ばれたこともあるが、実はボンディで生まれたわけではない。ムバッペは1998年にパリ19区で生まれ、幼いころにパリの北東にあるボンディに引越したのだ。

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2. 自分の靴は自分で磨く

世界的スターとして多額の年棒も受け取る同選手だが、意外なことに自分の靴を自分で磨いているという。2016年、ムバッペの母親ファイザ・ラマリは、息子が当時所属していたASモナコのスタッフに靴を磨かせていたことを知った。同選手の通っていた小学校の校長で、ムバッペ家と親しいヤニック・サン=オーベールによれば、ムバッペの母親はこのことで彼を次のように叱責したという。「こんなことはもう二度とさせない。誰かに自分の靴を磨かせるなんて絶対に許さない。あなたはパリ郊外のボンディ市育ちの慎ましい出自だということを忘れないで。豊かになったとしても驕った振る舞いをしてはいけないわ」

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3. 歌が上手い

フランス代表に初選出された選手は、チームメートからの「洗礼」として芸を披露するのが恒例となっている。キリアン・ムバッペとバンジャミン・メンディは初招集の際、フランスのラッパーJulの曲「Mercé」を歌うことに。メンディはこのときのことを「ニューヨーク・タイムズ」に明かしている。「キリアンはしっかり準備していて、すごく上手かったよ。まるで本当に歌手みたいだったよ!彼はできないことなんてないんじゃないかな」

4. 過去には監督との確執が報じられたことも

ムバッペは選手としても人間としても模範的な振る舞いで知られている。しかし、常に監督から気に入られていたわけではないという。サッカー専門メディア「ソー・フット」によると、フランス代表U17・U18の元監督ジャン=クロード・ギウニティーニは、若き日のムバッペに手を焼いていたようだ。「彼は身勝手な選手だと思っていたよ。選手としても、人間としても好感が持てなかった」

5. チェルシーに加入していた可能性があった

2011年、キリアン・ムバッペは初めてイギリスを訪ねた。サッカー専門メディア「Goal」によると、当時12歳だったムバッペは、チェルシーFCの入団テストを受けるためにロンドンへ。最初のテストを終えた後、チェルシーの元スカウトであるセルジュ・ダニエル・ボガはムバッペの母ラマリに連絡し、ムバッペにもう一週間の追加テストを提案したという。このときは加入に至らなかったが、同スカウトはムバッペを次のように評価。「いま彼を獲得できなければ、後に5,000万ユーロ支払って獲得することになるだろう」

6. リーグ・ドゥのSMカーンに行った可能性も?

キリアン・ムバッペが幼い頃から、多くのクラブが彼の獲得を希望していた。フランス北部のカーンにあるスタッド・マルヘルブもその一つだ。同クラブは契約をオファーしたが、ムバッペの父親はその提案を拒否。元スタッド・マルヘルブのスカウト、ローラン・グレーズによると、ムバッペの父親は次のように断ったという。「釣り竿でサメを捕まえるくらい無謀なオファーだよ」

7. レアル・マドリードからの最初のオファー

ムバッペは14歳のとき、夢の一つを実現した。レアル・マドリードのトレーニングに1週間参加することになったのだ。マドリードに到着したムバッペを出迎えたのはジネディーヌ・ジダンだった。トレーニングはうまくいったが、ムバッペ側は最終的にレアル・マドリードのオファーを却下。ムバッペの父親は、「レアルは息子との契約を望んでいたが、決め手を欠いていた」とその理由を仏紙『パリジャン』に明かしている

8. 模範的な行動で知られる

2017年、ASモナコはクープ・ドゥ・フランスで優勝。 選手全員がタイトル獲得を祝ったが、当時19歳だったムバッペはお祭り騒ぎには参加しなかったようだ。「選手全員が祝杯をあげたよ。でもムバッペだけは夕食後すぐに両親と一緒に帰ったんだ」とマルティン・ルプランスは、ムバッペの伝記の中で明かした。

9. ムバッペのニックネーム

「ドナテロ」(『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』のキャラクター)、「ムベベ」、「キックス」、「ラズモケット」、「ボンディのカエル」など、ムバッペは様々なあだ名で親しまれている。仏メディア「フランス・アンフォ」によれば、2018年ワールドカップ後には、チームメイトから「37」と呼ばれるようになったという。これは、ワールドカップ決勝トーナメントのアルゼンチン戦でムバッペがペナルティを得た際に記録したスピード(時速37キロメートル)が由来となっている。

10. 家族と強い絆で結ばれている

2012年、ムバッペの義理の兄ジレス・ケンボ・エココは、スタッド・レンヌで32試合に出場し10得点と大活躍。しかし、同選手はアラブ首長国連邦のアル・アイン移籍を決断した。この決定について、ムバッペは仏紙『レキップ』に対し、「フランスを離れることは彼の選択だったけれど、悲しかった。本当に辛くて、涙が出たよ。義兄のことが本当に好きだったんだ」と語った。

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