クリスティアーノ・ロナウド:その生い立ちからファンタジスタへの道
史上最高の選手の一人として歴史に刻みつつある、サッカーポルトガル代表FWのクリスティアーノ・ロナウド。母国ポルトガルに始まり、イングランド、スペイン、イタリアといった世界のトップリーグで驚異的な活躍を繰り広げている。
スペインのレアル・マドリードからユベントスへ、さらにユベントスからマンチェスター・ユナイテッドへと移籍する中、近年はそのキャリアが集大成に向かっていることを感じさせる。
2022年サッカーW杯カタール大会の開催直後、クリスティアーノがマンチェスター・ユナイテッドを退団することが発表された。
写真: Instagram - @manchesterunited
マンチェスター・ユナイテッドは、クリスティアーノ・ロナウドと双方合意の上で契約解除に至ったことを発表、ロナウドは直ちにチームを離れることになった。世界最高レベルの選手にあまり似つかわしくない、きわめてあっさりとした退団発表となった。
好むと好まざるとにかかわらず、クリスティアーノ・ロナウドがほかの追随を許さない輝かしいキャリアを築いたことは間違いない。彼の生い立ちと活躍の軌跡を振り返ってみよう。
クリスティアーノはアラブ首長国連邦で授与される「グローブ・サッカー・アワード」で年間最優秀選手に複数回選出され、さらに「21世紀最優秀選手」という特別賞を獲得した。
クリスティアーノ・ロナウドは、1985年2月5日、ポルトガルのマデイラ島にあるフンシャルという町で生まれた。母親は学校の調理師、父親は庭師という、決して裕福とは言えない家庭の5人きょうだいの末っ子だった。
クリスティアーノは6歳のとき、マデイラ島の最貧地区の一つであるサント・アントニオの地元クラブ「CFアンドリーニャ」に加わり、本格的にプレーを開始。4年後の1995年には「CDナシオナル」に入団した。
クリスティアーノはかなりの痩せ型だったため、所属した各クラブのコーチは彼に体重をつけさせようと、トレーニング後に食べ物を与えるほどだった。
クリスティアーノは幼い頃からサッカーに打ち込み、夜遅くまで通りで練習をしていたことから近隣の住人からは批判の声が上がったこともしばしば。学校の教師も彼の成績についてたびたび警鐘を鳴らしていたという。
1997 年 8 月、クリスティアーノ・ロナルドはポルトガル一部リーグの名門、「スポルティングCP」の下部組織への入団が決まった。それに伴いマデイラ島を離れて首都リスボンへと移住、プロへの道を歩き始めた。
クリスティアーノがクラブの寮生活を始めたのはわずか12歳の時だった。ポルトガルの情報サイト「Sábado」に寄せられた元ルームメイトの証言によれば、寮のクローゼットに入れていたものは家族の写真だけだったという。
スポルティングCPに移籍したクリスティアーノは、貧しい家庭の出身でしかもマデイラ訛りがあることでからかわれ、日々泣きはらしていたという。しかし、家族にとって唯一の希望はクリスティアーノであり、簡単に家に帰ることはできなかった。
スポルティングCPの下部組織時代、クリスティアーノはトップチームでボール拾いをするボールボーイとしてお小遣いを稼いでいた。
クリスティアーノ・ロナウドの人生における大きな支えとなったのは、母親のドロレス・アヴェイロ。実際、息子と並んで笑顔をたたえるドロレスの姿は頻繁にキャッチされている。
クリスティアーノの母親ドロレス・アヴェイロは、息子と同じく人生で数々の苦難に直面してきた。夫はアルコール中毒により52歳の若さで逝去、その後は女手一つで家族を支えてきた。2007年には乳がんと診断されたものの見事克服している。
ポルトガル代表の元監督ルイス・フェリペ・スコラーリ氏は「Zero Zero」のインタビューに対し、「クリスティアーノは、私がこれまで見た中で最もタフで、最も熱心な選手の一人だ」と語っている。
2005年9月6日、クリスティアーノの父親が亡くなった。フェリペ・スコラーリ率いるポルトガル代表チームに召集されロシア入りしていたクリスティアーノは、「今日は父のために何もできないが、プレーに全力を注ぎたい」と会見の場で語った。
2003年、クリスティアーノ・ロナウドはプレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドと契約。アイコンとなる背番号7番を手に入れた彼は快進撃を続け、FIFA年間最優秀選手賞やバロン・ドールなど数多くの栄誉を手に入れた。
2009年、スーパースターとなっていたクリスティアーノはマンチェスター・ユナイテッドからスペインのレアル・マドリードへ移籍。8,000万ポンド(約130億円)という世界史上最高額の移籍金が大きな話題になったほか、ベルナベウ・スタジアムで行われたお披露目には8万人を超える観客が詰めかけた。
クリスティアーノはレアル・マドリードで9シーズンにわたり驚異的な活躍を繰り広げ、チーム史上最高のアタッカーの一人となった。438試合で450ゴールという驚くべき成績を挙げてレアル・マドリードの歴代最多得点記録を自立するなど、数々の栄誉を手にした。
クリスティアーノはレアル・マドリード在籍時はチャンピオンズリーグで4度優勝、しかも2015年から2018年にかけて3回連続優勝を果たした。バロンドールは5回獲得している。
レアル・マドリードがチャンピオンズ・リーグ連覇を決めた2018年7月、クリスティアーノはイタリアのユベントスへの移籍を発表。トリノを本拠地とするユベントスは当時33歳のクリスティアーノに対し、 1 億ユーロ (約130億円)という30歳以上の選手としては破格の移籍金をオファーした。
2021年夏、マンチェスター・シティと契約の噂もあったクリスティアーノだが、元マンU監督アレックス・ファーガソンや同クラブ出活躍するポルトガル出身MFブルーノ・フェルナンデスの説得を受け、ユベントスから古巣マンチェスター・ユナイテッドで再び戻ることを決定。
クリスティアーノ・ロナルドはアスリートとして大きな成長を遂げると同時に、自身のビジネスも軌道に乗せていった。レアル・マドリードで活躍していた2015 年、クリスティアーノは2億1000万ユーロ (約 240億円) の資産を誇る世界で最もリッチなサッカー選手となっている。
2021年11月の経済紙『フォーブス』は、記事発行の時点でクリスティアーノが億万長者になっているとした。マンチェスター・ユナイテッドとの契約によりプレミアリーグで最も稼ぐ選手となっていたのだ。
クリスティアーノ・ロナウドが最も大きな成功を収めたビジネス分野の一つはファッションだ。インナーウェアブランド「CR7」の商品は世界各国で販売されている。
クリスティアーノは栄養バランスのいい食事とトレーニングに細心の注意を払うことで知られている。さらにアルコールも煙草も一切口にせず、体脂肪率7%、筋肉量50%を維持している。
2014年、クリスティアーノ・ロナウドの故郷であるマデイラ島のフンシャルで地元出身スーパースターの銅像がお披露目された。
アスリートとしての名声とは反対に、プライベートについては意外に明らかにしていない。ただし、2010年から2015年にかけて交際した世界的トップモデル、イリーナ・シェイクとの関係は世紀のカップルとして各国のプレスをにぎわせた。
2016年夏、ロナウドはスペイン出身のジョージナ・ロドリゲスと交際をスタート。その1年後、2人の間に第1子となる娘アラナが誕生した。彼にとっては3人目の子供となった。
クリスティアーノ・ロナウドの子供たちは代理出産で生まれ、クリスティアーノの母親のサポートを得て育てられた。パートナーのジョージナとの間には、2022年4月にも娘が誕生している。
クリスティアーノ・ロナウドはさまざまな慈善活動、とくに困難な状況に置かれた子供のための支援活動に携わっている。世界各地の小児病院を訪問し、ポケットマネーから子供たちの手術代を支払うこともある。
クリスティアーノはその見事なボディにタトゥーをひとつも入れていないことでも知られる。筋肉美のためではなく、定期的に行っている献血を続けるためにタトゥーを入れることはないと公言している。
世紀のスーパースター、クリスティアーノ・ロナウドが引退した時には、サッカー界は少し色あせたものになってしまうだろう。一度でも多く、現役で活躍する彼の姿を目にとどめておきたい。