サッカードイツ代表のユリアン・ナーゲルスマン監督:自ら命を絶った父の職業はスパイだった?
サッカー界を代表するスターたちが、実は知られざる生い立ちを持っているということは珍しくない。たとえば、ドイツ代表のユリアン・ナーゲルスマン監督もその1人だが、彼の場合は本人というよりも父親がおどろくべき秘密を抱えていたようだ。
ブンデスリーガ史上最年少の監督としてTSG1899ホッフェンハイムを率い、RBライプツィヒとFCバイエルン・ミュンヘンを渡り歩いた後、ドイツ代表監督へと登りつめたナーゲルスマン監督。天才的なサッカー指導者という呼び声が高いナーゲルスマン監督だが、20歳のときに思いがけない形で父の死に直面した経験を持っている。
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当時、ナーゲルスマン監督はトーマス・トゥヘル監督率いるFCアウクスブルクIIで選手としてプレーしていたが、19歳の若さで現役を引退、スカウトに転身した。そして、21歳となった2008年からはトゥヘル監督と共同で同クラブを指揮する立場となる。
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こうしてサッカー人生における一大転機を迎えたナーゲルスマン監督だったが、同時にプライベートの面でも衝撃的な事件が発生する。父親が自ら命を絶ってしまったのだ。独紙『シュピーゲル』のインタビューの中で同監督は「大変でしたよ。父は遺書を残しませんでした。何の説明もなかったんです」とコメント。
本人が語ったところによれば、事件が起きた日、ナーゲルスマン監督はミュンヘン近郊のオーバーハヒングという町で監督養成講座を受けていたという。授業中に突然、教員から呼び出されたナーゲルスマン監督を待ち受けていたのは、訃報を伝えにやって来た義父(当時)だった。
ナーゲルスマン監督は当時を振り返り、「あの日のことはよく思い出します。いきなり、一家を支える立場になってしまったんです。母親を安心させるためにも難しい決断を下さなくてはなりませんでした」と語っている。本人いわく「傷跡を残すほど大変な」出来事だったのだ
これこそ、ナーゲルスマン監督がこれまで明かしてこなかった秘密だが、父親の方はさらに衝撃的な秘密を抱えていた:ドイツ連邦情報局の職員、つまりスパイだったというのだ。
ナーゲルスマン監督はスパイという職業こそ、父親を自殺に追いやった原因だと考えているようだ。いわく:「仕事の重圧と精神状態が相まって起きてしまったのではないでしょうか。プレッシャーにさらされているのは傍目にも明らかでした(中略)職業柄、仕事の話はできないわけですよ。そのせいか、もう無理だと弱音を吐いていることもありました」
また、ナーゲルスマン監督によれば、家庭や私生活が父の死を引き起したとは考えられないそうだ:「父は愉快な人でした。いつも冗談を飛ばしては笑い、ギターを弾いたり歌を歌ったりしていました。友達に会うのも好きでしたね。家族も円満で、けんかなどほとんどしたことがありません」
そのため、自ら命を絶つという決断が家族にとって理解に苦しむものだったのは言うまでもない。しかし、ナーゲルスマン監督自身は「仕事の重圧と精神状態が相まって起きてしまったのではないでしょうか」と分析している。
『シュピーゲル』紙のインタビューの中でナーゲルスマン監督は父の苦悩について「事態がうまくいかない可能性を認識しながらも、決断を下さなくてはならないという状況に追い込まれることが多々あったんでしょう(中略)職業柄、不安や心配事を他人に打ち明けるわけにもゆきません。これは大きなストレスだったはずです」と語った。
今では、父の苦悩をおもんばかることができるようになったと語るナーゲルスマン監督。いわく:「状況からしても、自ら命を選ぶという父の決断に迷いがなかったことは明らかです。家族にとっては救いがありませんが。いずれにしても、父は本当に死を望んでおり、周囲の人々に助けを求める悲痛な叫びなどではなかったのですから、決断を尊重するしかないのです」
ナーゲルスマン監督の父は生前、息子がサッカーの監督になることには反対で、むしろビジネスに取り組んでほしいと願っていたようだ。結局、ナーゲルスマン監督は父の意に反して、サッカー指導者として目覚ましい成功を収めることになったわけだ。しかし、監督自身は決断を下すことの大切さを父から学んだとコメントしている。
ナーゲルスマン監督いわく:「父は間違いなく私に決断を下す勇気を与えてくれました。人生における最悪な態度は優柔不断ですからね。私は父から多くのことを学びました。たとえば、監督として他人の評価や判断を気にし過ぎないということです。とりわけ、監督デビュー当時はこれが大切だったんです」
常人には理解しがたい采配を振るって、批判を浴びることも珍しくないナーゲルスマン監督。しかし、たいていの場合、結果がその正しさを後から証明するという成り行きに:「ホッフェンハイムの指揮官としてブンデスリーガで監督デビューしたとき、私はフォワードを4人投入しました。みんな、正気の沙汰ではないと思ったようですが、貴重な勝ち点1を手に入れることができました」
『シュピーゲル』紙のインタビューは「今では以前より慎重になりましたが、決断を下す勇気は父から受け継ぎました」という言葉で締めくくられている。その教訓が大いに役立ったのは間違いない。ナーゲルスマン監督は36歳の若さでブンデスリーガの名門クラブ3つを指揮し、ドイツ代表を世界屈指の強豪に育て上げてしまったのだから。
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