サッカー界の伝説リオネル・メッシ:画像で追う全キャリア
世界で最も高い才能と名声、そして最高額の報酬を得るトプ選手の一人、リオネル・メッシ。ワールドカップ・カタール大会では母国アルゼンチンに悲願の優勝をもたらすという自身最大の目標さえも達成したスーパースター、メッシの人生とキャリアを画像で追っていこう。
メッシの本名はリオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニ。1987年6月24日、アルゼンチンのロサリオで誕生した。母親のセリアは磁石工場で働き、父親のホルヘは鉄鋼工場で管理職に就いていた。
メッシは幼い頃からサッカーを始めて兄妹や従兄弟たちと共にプレーをしていた。4歳のとき、地元サッカークラブの「グランドリ」に加わる。
6歳になったメッシは地元ロサリオにある憧れのクラブ「ニューウェルズ・オールドボーイズ」に加わった。このクラブでは6年にわたる在籍期間で、合計500本のゴールを記録している。
2000年、スペインのバルセロナに住む親戚の紹介により、FCバルセロナの加入テストを受けることになった。世界最高のクラブの一つであるバルサはメッシの才能をすぐに認めたものの、当時それほど若い年齢の選手との契約は少なかったことからかなりの躊躇を示した。しかし最終的にクラブは14歳になったメッシと契約を締結、2001年1月にメッシ一家はバルセロナに移住することになった。
クラブ側は間もなく、アルゼンチン出身の若手と結んだ締結がどれだけ価値のあるものかに気づかされた。バルセロナのユースアカデミーを経て、2002年にスペインリーグにプロ登録を果たしたメッシは、瞬く間にゴールデンプレイヤーとして頭角を現していったのだ。
カデテA(下部組織の名称で15歳のカテゴリー)でデビューしたユース時代には、最初のシーズン(2002-2003)に30試合30得点を挙げて得点王に輝いた。
2004年にトップチームでデビューを果たすと、2006-2007シーズンのレアル・マドリードを相手にしたエル・クラシコでハットトリックを決め、スペイン国王杯では5人抜きでゴールを決めるなど、歴史に残る活躍を見せた。
FCバルセロナで達成した優勝記録には、スペイン国王杯(コパ・デル・レイ)8回、スペインスーパーカップ7回、スペインリーグ優勝10回が挙げられる。さらにメッシが活躍するFCバルセロナはUEFAチャンピオンズリーグで4回、欧州スーパーカップで3回の優勝を果たしている。
さらに、メッシは一人のサッカー選手として、サッカー界の最高の栄誉にあたるバロンドールをこれまでに7回受賞している。
サッカー選手として比べるもののない成功と高い報酬を手にしているリオネル・メッシだが、一般的に謙虚で忠誠心に富むというイメージがある。実際、メッシはキャリアのほとんどをFCバルセロナに捧げている。
しかし2021年、スペインのラ・リーガの規定が絡み、14歳の時からプレーしてきたFCバルセロナとの契約延長が暗礁に乗り上げてしまった。その結果、メッシは20年間在籍したチームを離れることになる。涙とともに退団を発表するメッシの映像は世界中を駆け巡った。
メッシのFCバルセロナ退団が発表された2021年8月はサッカーの歴史に深く刻まれた。ワン・クラブ・マンとみなされていたメッシがバルサを去り、ひとつの時代が終わりを告げたのである。
2021-2022シーズンにメッシはFCバルセロナからパリ・サンジェルマン(PSG)に移籍。新天地でやはり世界最高選手に数えられるキリアン・エムバペやネイマール・ジュニアとともに活躍した。
移籍に伴い、メッシは長年住み慣れたバルセロナを離れ、家族と共に隣国フランスに移り住んだ。
プライベートでは、ロサリオ出身で幼なじみの恋人アントネラ・ロクッツォと2017年に結婚。二人の間には3人の息子が誕生した。現在、アントネラはSNSのインフルエンサーとして広く人気を集めている。
次はアルゼンチン代表におけるメッシの活躍を追ってみよう。 代表デビューは2006年のワールドカップドイツ大会。若手として3試合に出場、1ゴールを決めている。この年、アルゼンチンは準々決勝でドイツと対戦、PKで敗退した。
2008年の北京オリンピックではアルゼンチン代表がみごと金メダルを獲得。画像はチームメイトのセルヒオ・アグエロと並ぶメッシ。このときのオリンピック優勝とメッシの活躍により、以降のワールドカップでもアルゼンチン代表の優勝が期待されるようになった。
サッカー界の伝説マラドーナを監督に迎えて臨んだ2010年のワールドカップ南アフリカ大会。アルゼンチン代表はまたもや準々決勝で強豪ドイツと決戦し、0-4で敗北を喫した。
しかも、メッシは南アフリカ大会で1ゴールも決めることができなかったのだ。これはメッシにとってもアルゼンチンのファンにとっても大きな誤算となった。
2014年開催のブラジル大会はメッシにとり3回目のワールドカップとなる。出場した4試合で4ゴールを決め、アルゼンチン代表はみごと決勝進出を果たした。
しかし、ここでも悲劇は繰り返された。前回の南アフリカ大会と同じくドイツと対戦したアルゼンチン代表は0-1で敗北を喫し、メッシが渇望していたワールドカップ優勝の夢はドイツへと渡った。
スペインリーグ、欧州リーグ、南米と数々の賞を獲得し、さらにバロンドールも複数回手に入れているメッシ。世界最高の選手と謳われるだけに、キャリアを通じて一度はワールドカップ優勝を母国にもたらさなくてはならないというプレッシャーが重くのしかかった。
メッシにとり4度目となるワールドカップ2018年ロシア大会。アルゼンチン代表は苦戦しつつも予選を通過して本大会出場へ進み、からくも決勝リーグに上がったがラウンド16でフランスに敗れ去った。
2022年、35歳になったメッシはアルゼンチン代表の主将としてカタール大会に出場。今大会は自身にとり最後のワールドカップになると明らかにしていた。
メッシは『ESPN』に対し、「確実にこれが最後のワールドカップになる」と語っていた。W杯優勝という大きな期待を背負いながら、メッシはカタールに「よいコンディションで、大きな希望を胸に」到着したとしている。
本大会を決勝まで上り詰め、フランスと対峙したアルゼンチン。リードするたびに追いつかれて苦しみぬいたが、PK戦を経てみごと勝利をその手に収めた。母国に36年ぶり3回目の優勝をもらたしたメッシの目に、今度は喜びの涙があふれた。
2023年6月、パリ・サンジェルマンとの契約が切れることから中東リーグあるいはアジアと新天地についてうわさが飛び交っていたメッシ。最終的に米メジャーリーグ・サッカーのインテル・マイアミCFへの移籍を発表。メッシは36歳にして新チームに大きく貢献、12月にはクラブの年間最優秀選手(MVP)に選出されるなど新たな伝説を築きつつある。