サメに襲われ片足を失った競泳選手:パリパラリンピックで銀メダル2つの快挙

パリ五輪で銀メダル2つを手に入れる
カリブ海で起きた悪夢
サメによる襲撃
命がけの戦い
15年の競泳経験を活かして生還
友人による応急処置
水泳への情熱
ジェシカ・ロングとの出会い
子供時代のコーチとの会話
水泳界への復帰
パリ五輪で銀メダル2つを手に入れる

今年の夏に開催されたパリパラリンピックに、水泳競技の米国代表として出場したアレクサンドラ・トゥルーウィット。銀メダル2つ獲得という快挙を果たした。彼女にとって人生の転機となったのは、友人のソフィー・ピルキントンとともにタークス・カイコス諸島へ卒業旅行に出かけたことだった。アレクサンドラはイェール大学で認知科学と経済学を修める一方、水泳選手として活躍していたが、旅行先でとんでもないアクシデントに見舞われることになってしまったのだ。

 

 

カリブ海で起きた悪夢

2023年5月24日、アレクサンドラとソフィーはカリブ海のビーチでシュノーケリングを楽しんでいた。ところが、2人ののんびりとした休暇はサメの登場により、あっという間に悪夢へと変貌してしまった。

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サメによる襲撃

突然、海中から飛び出してきたサメに脚と足の一部を噛まれてしまったのだ。『Marca』紙によれば、アレクサンドラは事件当時を振り返って、「襲われたときのことはすべて覚えています。ずっと意識がありましたから。誰もが恐れる最悪の悪夢が現実のものになってしまったんです」と語ったという。これによって、アレクサンドラはただちに脚を切断せざるを得なくなってしまった。

命がけの戦い

サメに襲われた2人はなんとか攻撃をかわそうと試みたというが、すべてはあっという間の出来事だった。アレクサンドラいわく:「2人でサメを蹴って追い払おうとしましたが、私は足を噛まれてしまいました。身を守るため、50~75メートルも泳いでボートまで戻らなければならなかったんです。大学でトレーニングを積んでいなければ、外洋を泳いで船まで戻れたかどうかわかりません」

15年の競泳経験を活かして生還

アレクサンドラはインタビューの中で、「私は『意識を保って、船までたどり着かなくちゃ』と自分に言い聞かせました。15年の競泳経験をなんとか活かして、不利な状況の中で突破口を開こうと必死でした」とコメントしている。

友人による応急処置

ボートに戻ると、友人のソフィーが即席の止血帯で応急処置を施してくれたため、アレクサンドラは命拾いすることになった。スポーツ専門チャンネル「ESPN」によれば、アレクサンドラはその後、病院で3度にわたる手術を受けなくてはならなかったそうだ。

 

 

 

水泳への情熱

アレクサンドラは入院中、競泳選手としての過去を思い返していた。幼いころから没頭してきた水泳をそう簡単に諦めることはできなかったのだ。実は母のジョディも1991年にイェール大学水泳チームのキャプテンを務めたことがあり、アレクサンドラがこの競技にのめり込むきっかけとなっていた。

ジェシカ・ロングとの出会い

アレクサンドラにパラリンピック水泳界の伝説、ジェシカ・ロングを紹介したのは、整形外科の技師だった。ロングはパラリンピックで29個のメダルを獲得しており、マイケル・フェルプスよりも多い。ジェシカと深い友情を育んだアレクサンドラは彼女について、「過渡期の数ヵ月における天からの贈り物、インスピレーションだった」と述べている。

子供時代のコーチとの会話

子供時代のアレクサンドラを指導した水泳コーチ、ジェームズ・バローネは、サメ襲撃事件後に彼女と交わした会話をこう回想している:「足で蹴って泳げって繰り返し教えてくれたのを覚えていますか? それが、片足なしでボートまで70メートルも泳ぐ羽目になっちゃって」NBC放送が伝えた。

水泳界への復帰

水しぶきの音を聞くとあの事件がフラッシュバックすることもあったが、アレクサンドラは水泳を諦めなかった。それどころか、襲撃からわずか3ヵ月で競技に復帰してしまったのだ。そして、10ヵ月後にはパラリンピックの米国代表に選ばれ、銀メダル2つという快挙を成し遂げた。

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