サーフ・ウェットスーツの生みの親、ジャック・オニール
サーフィンは単にスポーツというだけでなく、ライフスタイル、カルチャーであり、自然と向き合うレジャーでもある。そんな現代のサーフィンカルチャー、サーフィン産業を語るにあたっては、ジャック・オニールの存在を忘れるわけにはいかない。彼はいわば、サーフィン共和国建国の父祖の一人であり、サーファーたちに新たな権利をもたらした人物なのだ。
サーフィンといっても、陽光がさんさんと降り注ぐ南カリフォルニアの、夢のようなビーチで誰もがサーフィンできるわけではない。ジャック・オニールの住んでいた場所は、そのようなビーチから遠く離れた北カリフォルニアの、ガレ場続きの沿岸だった。しかし彼には一つのヴィジョンがあり、やがてサーフシーンに革命をもたらすことになるのである。
起業家として先見の名があったジャック・オニールは、ウェットスーツの発明により、サーフィンの普及に貢献し、業界全体に革命を巻き起こしたのだ。
ジャック・オニールは1923年3月27日、コロラド州デンバーに生まれた。オニールが青春時代を過ごしたころ、サーフィンは反体制的なアクティビティであり、アメリカ全土で若者たちのハートを掴んでいた。オニール少年もその例にもれず、海とサーフィンに情熱を傾けていた。
1952年、オニールはサンフランシスコに引っ越した。彼のサーフ・キャリアはその土地で本格的に始動する。若きサーファーはオーシャンビーチのうっとりするような波に恋をし、のちに自身初となるサーフショップを近くのガレージで開業することになる。
オニールが発明したウェットスーツは、サーフ・シーンをがらりと変えてしまった。ウェットスーツが生まれる以前、サーファーたちは冷たい水にも歯を食いしばり、最低限の装備で波に立ち向かっていたものである。しかしこれでは、サーフィンの熱狂もいくぶん冷めてしまうことは否めなかった。
サンフランシスコやサンタクルーズあたりの水温は、夏の間は20~22℃まで上昇するが、冬には10~14℃まで下がる。
オニールの考案したネオプレン素材ウェットスーツは、1950年代初めに使われるようになった。このウェットスーツのおかげで、海水によって体温を奪われることなくサーフィンを楽しむことができるようになったのだ。
オニールのサーフショップは、サーフボードとネオプレン・ウェットスーツの販売をメインにしていたが、単にサーフショップであるだけでなく、西海岸で隆盛しつつあったサーフカルチャーの主要拠点でもあった。店はしだいに、アパレルグッズやアクセサリーのような商品も扱うようになっていく。
自身もサーファーだったジャック・オニールは、製品の品質向上や改良に熱心に取り組み、その結果として「オニール」は主要サーフ・ブランドへと成長を遂げることになる。
写真:Youtube / O'Neill
オニールが生み出したブランドは、若い世代のサーファーにとって自由と冒険心のシンボルとなった。そのブランドはサーフィンのポジティヴな側面を体現しており、今日にいたるまでシーンに影響を与え続けている。
サーファー誌『Surfer』がオニールに、ウェットスーツの開発にいたる思考プロセスについて訊ねたとき、彼はにこっと笑って次のように答えた。「僕はいちサーファーとして、もっとじっくりサーフィンしていられるような服を仕立てたいと思ったんだ」
ジャック・オニールの風貌は海賊を思わせた。1971年、オニールはサーフィン中の事故で片目を失い、それ以来左目に眼帯をつけていたのである。
今日でも、ジャック・オニールと彼のサーフブランドは西海岸のサーフシーンにおいて大きな存在感を持っている。サーフィンコンペテイションやエキシビション、地元でのボランティアやその他さまざまな活動を通じて、オニールは彼のブランドを成長させていった。
オニールがサーフィンに与えた影響はビジネスの領域にとどまるものではなかった。「社会に気を配る資本家」というべきか、彼は地元の環境やコミュニティに多大な関心を払い、海洋環境や海洋生物を守る活動にサポートを惜しまなかった。
数多くの慈善活動や社会活動を通して、オニールのブランドは美しい海を保護することに取り組んできた。これは海に対するオニールの愛の率直な現れである。
写真:Youtube / O'Neill
ジャック・オニールはカリフォルニア州サンタクルーズ、プレジャーポイントに自宅を構えた。その海辺の家から愛する海をずっと見わたし、北カリフォルニアに打ち寄せる最高の波を眺めながら晩年を過ごした。オニールへの敬意をこめて、そのささやかな一角は「ジャックス」と呼ばれるようになった。2017年6月2日、オニールは安らかにこの世を去った。94歳だった。