シャチによるヨット襲撃事件:ヨットレース「オーシャンレース」の一幕
シャチの群れがヨットを襲い、キールやラダー(舵)を壊す事例がたびたび報告されている。オランダのヨットチーム「Team JAJO」とポルトガルのチーム「Mirpuri/Trifork Racing Team」は、ジブラルタル沖をレース中に、荒ぶるシャチの襲撃を受けた。科学者たちも、シャチのこのような行動に当惑しており、その行動パターンを理解すべくさまざまな仮説を立てている。
実際、ポルトガル沖・スペイン沖のシャチの群れは、新興の海賊でもあるかのようにジブラルタル海峡を牛耳っており、沿岸の船乗りたちをふるえあがらせている。
シャチ襲撃の最たる例は、シャチの群れが船体に突っ込み、その航行能力を奪うという形をとる。今年すでに、少なくとも3艘の船がシャチの襲撃によって沈没したという。
スペイン沿岸警備隊はシャチの襲撃を54件記録しており、うち13件で船が相当な損害を受けた。襲撃のターゲットだが、ヨットが襲われるケースがほとんどだった。
さきに触れた「Team JAJO」と「Mirpuri/Trifork Racing Tea」は、どちらも「VO 65」というヨットを操船していた。「オーシャンレース・VO65スプリントカップ」のコースを走っていたのである。オランダ・ハーグからイタリア・ジェノバへ向かうコースの途中で、ヨットはシャチに襲われたのだ。
「Team JAJO」のスキッパー(艇長)、イェルマル・ファン・ビーク(Jelmer van Beek)は当時の状況を次のように語っている。「3頭のシャチがまっすぐこちらに向かってきて、舵にぶつかり始めました。シャチを見て、私は感銘を受けました。彼らは美しい動物ですから。もっとも、私たちチームにとっては危険な瞬間だったのです」
チームは急いで帆を下ろし、ヨットをすぐさま減速させた。シャチは何度かラダーにぶつかり、そのまま泳ぎ去ったという。
この襲撃は、6月22日木曜日14時50分、ジブラルタル海峡西の沖合で発生した。この海域ではシャチの襲撃が多発しており、現在調査が行われている。幸いにも両チームのヨットに目立った損傷はなく、そのままレースを続行し、最後は好タイムでゴールインした。
なぜシャチによる襲撃が起きているのか? シャチたちの裏で、どんな黒幕が糸をひいているのだろうか?
2023年初めから、大西洋を泳ぐシャチの目撃報告が多数寄せられてきた。科学学術雑誌『Marine Mammal Science』に掲載の論文によると、シャチの不可解なふるまいの背景には、船にまつわる過去のトラウマがあるという。シャチたちはかつて船体に衝突されたり、船の電子機器によって有害なストレスを感じたりし、それが原因で報復行為を行うようになったというのだ。
この論文の著者のひとりでもある、スペインの海洋生物学者、アルフレド・ロペスは『ナショナル・ジオグラフィック・エスパーニャ』の記事で、大西洋で繰り返し発生するシャチとの遭遇について、その概要を語っている。
その説明によると、2020年以来、アフリカ北岸沖からフランスのブルターニュ沖にかけて、シャチとの遭遇は744件記録されているという。そのうち、たんなる目撃は239件、シャチが船に反応し、船に近づいたり接触したりする事例は505件だった。その505件のうちおよそ2割のケースで、船が何らかの損害を受けたという。
攻撃に携わっているのは9頭のシャチで、これら海のギャングたちを束ねるのは「ホワイト・グラディス」という名のおとなのメスだという。彼女は過去に、船がらみの苦い経験を持っている。このホワイト・グラディスが若いシャチたちに、ヨットへの攻撃の仕方と沈め方を伝授しているのではないかと科学者たちは考えている。
シャチは高い知能と子どものような好奇心を持っていることが知られている。シャチたちはお互いにちょっかいを出してみたり、獲物で遊んでみたりする。そういったことから、シャチの襲撃も遊びの一種ではないかとする説もある。
ところで「オーシャンレース・VO65スプリントカップ」の結果だが、出場した6艇のうち、シャチの襲撃を受けた「Team JAJO」は第2位、「Mirpuri/Trifork Racing Team」は第3位というまずまずの結果を残した。
最近ではスコットランド北東のシェトランド諸島沖の北海でシャチがヨットを襲う事例が報告されたが、これもジブラルタル海峡沿岸のシャチ襲撃と関わりがあるのではないかと科学者たちはみている。攻撃したシャチはホワイト・グラディスのスコットランド系の親類筋にあたるのでは、という憶測もあるほどだ。ソーシャルメディア上では、シャチを応援する側とヨットに味方する側で意見が分かれ、論戦が行われているらしい。