元NBAバスケ選手、ショーン・ケンプの破天荒人生:女性6人と子供7人、逮捕は3回、拳銃騒ぎが1回
ショーン・ケンプは堂々たる体躯のバスケットボール選手で、強力なパワーフォワードとしてNBAで活躍した。多彩なテクニックを持つオールラウンダーで、パワフルなダンクと執拗なディフェンスでとくに知られている。
ショーン・ケンプは1969年11月26日、インディアナ州の小さな町エルクハートに生まれた。同世代における最高のバスケットボール選手として知られ、1989年から2003年にかけてNBAでプレーした。ケンプは1989年、シアトル・スーパーソニックスに1巡目17位で指名された。
バスケットボール界におけるショーン・ケンプの偉大さについては後で詳しく触れるとして、彼はNBAを引退後、警察沙汰になりしばしば世間を騒がせている。
今年3月にもスキャンダルがあった。ワシントン州における銃撃事件である。ショーン・ケンプは車からの銃撃に関わった容疑で、ピアース郡警察に逮捕されたのだった。
警察の報告によると、はじめ、遊歩道の近くで2台の車に乗っている人々の間で口論が始まったという。そして銃が何発か発砲された。怪我人は出なかったが、一方の車が犯行現場から立ち去った。警察は犯行現場に残された銃を証拠に、後日ショーン・ケンプの身柄を拘束するに至った。
ショーン・ケンプの言い分によると、iPhoneや他の貴重品を盗まれたことが口論のそもそもの原因だという。
ケンプは盗まれたiPhoneの位置情報をたどり、盗んだ犯人たちを見つけたが、非友好的な銃撃で迎えられたので、ケンプもやむなく撃ち返したという。結局、ケンプへの告訴は取り下げられ、その日のうちに釈放された。
ケンプが法に触れた(触れかけた)のはこの一件が初めてではない。2005年にワシントン州ショアラインにて、薬物所持で逮捕されたことがある。ケンプともう一人の男は、少量のコカインとマリファナ60グラム、そしてセミオート拳銃を所持していた。
2006年7月21日にも、薬物がらみの容疑で逮捕されている。どちらの件でもケンプは罪を認めた。
ケンプの波瀾万丈の人生はさらに続く。彼はいわばワイルド・サイドを好んでほっつき歩く男なのだ。まちがっても、家にじっとしているようなタイプではない。6人の女性とのあいだに7人の子どもをもうけていることからそれは明らかである。彼の現在の結婚相手は、NFLの元チアリーダーで女優のニッキー・ジャヴァシス。
ショーン・ケンプには7人の子どもがいるとされているが、名前が公表されているのは2人だけである。息子のショーン・ケンプ・ジュニアとハモン・ケンプも父の背中を追い、バスケットボールの道に進んでいる。
ショーン・ケンプ・ジュニアは1991年生まれ、ワシントン大学のチームで2011年から2015年にかけてプレーした。ハモン・ケンプは2000年生まれ、現在はサウスイースタン・ルイジアナ大学のチームでガードのポジションでプレーしている。2021年には22試合に出場し、1試合平均10得点を記録した。
ショーン・ケンプの私生活がトラブル続きであることは否定できないが、彼がNBA界のレジェンドであるという事実もまた動かしがたい。
ケンプはNBAオールスター選手に6度選ばれ、オールNBAセカンドチームの名誉を1994年から3年連続で受けている。当時NBAではマイケル・ジョーダンやスコッティ・ピッペン、ジョー・デュマースといった巨人たちが活躍していたことを考えると、これらがいかに偉大な達成であるかわかる。
ケンプは1996年、オリンピックの米国代表チームにも招集された。チームは順調に勝ち進み、アトランタオリンピックの金メダルに輝いたのだった。華々しいスポーツキャリアによってケンプはスターになり、年俸や広告契約などによる収入はおよそ520万ドルにのぼったと見積もられている。
NBAを引退した後も、ケンプはシアトルのコミュニティにひんぱんに顔を出し、シアトル・スーパーソニックスのイベントに意欲的に参加している。また、地域の若者を啓発するための講演活動も行っている。
彼はまた、シアトルの若い世代の導き手として、バスケットボールのコーチングも行っている。ショーン・ケンプは地位や名声などは問題にせず、地域コミュニティの発展に尽力しているのだ。ケンプは今後も、才能のある刺激的な選手として、そして献身的な指導者として、人々に語り継がれることだろう。