アメフト史上最高額の更新契約:フィラデルフィアのジェイレン・ハーツとは

NFL史上最高の高給取り
ジェイレンのキャリアを振り返る
フィラデルフィア・イーグルスからドラフト指名
スター選手への道のり
記録破りの契約額
今後のNFL契約
契約額高騰の歴史
1920年代のNFL契約
最初の巨額契約
1940年代・50年代
スーパーボウルの時代
1970年代:フリーエージェントがスタート
1980年代:契約額の高騰
1990年代:さらなる高騰
2000年代:クォーターバックの時代
記録破りのルーキーたち
制限解除で5,000万ドルの契約が誕生
契約額の未来は?
NFL史上最高の高給取り

アラバマ大学・オクラホマ大学のクオーターバックとしてプレーしたのち、フィラデルフィア・イーグルスから2巡目指名されたジェイレン・ハーツ。そんな彼がNFL史上最高額の契約を獲得するに至り、古くからのファンも驚きを隠せないようだ。では、いかにしてここまで登りつめたのだろう?

 

ジェイレンのキャリアを振り返る

高校時代から大活躍を見せ、カレッジフットボールからも引っ張りだこだったジェイレン。若い頃からスター選手の片鱗を覗かせていたのだ。まず、アラバマ大学に入団するやチームを全米王者決定戦に導いたが、ハーフタイムで交代。その後、リンカーン・ライリー監督の指導のもとオクラホマ大学に移籍した。

フィラデルフィア・イーグルスからドラフト指名

フィラデルフィア・イーグルスは全体53位指名でジェイレンを獲得したが、大物クォーターバックの呼び声高いカーソン・ウェンツと1億ドル以上の契約を結んだばかりだったため、このチョイスはファンの目には意外なものと映ったに違いない。しかし、1年目の終わりにはカーソンの座を奪い、2021年シーズンからは先発するようになった。

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スター選手への道のり

2021年シーズンには調子の波が激しかったジェイレン。様々な面で進歩を見せてはいたが、トップレベルのクォーターバックに期待される精度とタイミングを掴むことができなかった。しかし、2022年にはその弱点を克服、3,700パス獲得ヤード、22のパッシングタッチダウンに加え、760ラン獲得ヤード、13ラッシングタッチダウンを記録した。ついに、NFLスター選手としての地位を確立したのだ。

 

記録破りの契約額

ゼネラルマネージャー、ハウイー・ローズマンのもと、フィラデルフィア・イーグルスはこまめに契約更新を行い、契約額の高騰を抑えようとしてきた。しかし、ジェイレンの場合、年俸5,000万ドルあまりの契約に加え、5年間で2億5,500万ドルが上乗せされることとなった。これはNFL史上最高額だ。

今後のNFL契約

今のところ法外にも見えるジェイレンの契約額だが、フィラデルフィア・イーグルスはトップレベルのクォーターバック、ジョー・バロウやジャスティン・ハーバートとの契約延長も控えており、ジェイレンの契約額を遥かに上回る可能性もある。

 

契約額高騰の歴史

短期間のうちにも契約額が高騰するNFL。実は、アメフトの選手はもともとパートタイムだった。しかし、アメフト界の発展とともに契約額は上昇、スポーツ界屈指の高給取りになるに至ったのだ。

 

 

1920年代のNFL契約

1920年にオハイオ州カントンで設立されたNFL。当時はロチェスター・ジェファーソンズやトレド・マルーンズといったチームが所属し、現在とはまったく様相が異なっていた。契約の方式も異なっており、トッププレーヤーの収入は1試合あたりおよそ300ドル。これは現在の価値に換算すると4,527ドルに相当する。

最初の巨額契約

NLF史上初めて高額契約を獲得したのは、シカゴ・ベアーズのハーフバックだったレッド・グレンジ。初期NLFを代表する花形選手として、19試合で10万ドルの契約を結んだのだ。これは現在の価値に換算するとおよそ170万5,288ドルであり、今日のNLF選手の平均額と同程度だ。

1940年代・50年代

この20年間、契約額に大きな変化はなく、NFLは多くのプレーヤーにとってパートタイムに過ぎなかった。最も高給取りだったのはおそらく、ワシントンの伝説的クォーターバック、サミー・ボーだが、彼でさえ1950年の年俸は1万1,000ドルに過ぎなかった。ただし、これはスポンサーからの支払いを除いた額であり、サミーが合計でどのくらい受け取っていたのかはわからない。

 

スーパーボウルの時代

しかし、1960年代になるとヴィンス・ロンバルディ監督率いるグリーンベイ・パッカーズの大活躍などもあり、NFLの人気はうなぎ上りに。60年代初めに覇を唱えたブラウンズでは、ランニングバックのジム・ブラウンが5万ドル(現在の価値では49万3,196ドル相当)の契約を結んでいた。

1970年代:フリーエージェントがスタート

1978年まで、選手たちはプレーするチームを自由に選ぶことができなかった。しかし、フリーエージェントがスタートしたことで、新人選手を呼び込んだりスター選手を引き留めたりするため、契約額の高騰がはじまる。70年代終わりまでの最高年俸はO・J・シンプソンズの 73万3,358ドルで、これは今日の価値に換算すると300 万ドルをはるかに超えている。

1980年代:契約額の高騰

1980年代、NFL全体の契約額は少なくとも25%上昇。新たに誕生したライバルリーグUSFLの台頭はかろうじて退けることができたが、平均契約額は16万2,000ドルと数年前に比べると格段に跳ね上がった。NFLトップの高給取りとなったのはクォーターバックのウォーレン・ムーンで、その年俸はボーナスを含めて110万ドルだった。

 

1990年代:さらなる高騰

1990年代になると契約額はさらに高騰、ほとんどのクォーターバックにとって100万ドルの契約が目安となった。なかでもコーナーバックのディオン・サンダースは7年総額3,500万ドルの契約を結び、リーグ史上最高額の守備選手となった。しかし、それですらドリュー・ブレッドソーの年俸1,320万ドル(現在の価値に換算すると2,614万3,275ドル)に比べるとかすんで見えてしまう。

2000年代:クォーターバックの時代

2000年代になると、ペイトン・マニング、トム・ブレイディ、ブレット・ファーヴといったNFL史上最高のクォーターバックたちがしのぎを削るように。競争の激化とともに契約額も高騰。トップに立ったのはタイタンズのスティーブ・マクネアで、年俸1,800万ドルあまりを手にしていた。

記録破りのルーキーたち

NFLでは通常、1度目の契約額は控えめに抑え、そのシーズンで実力を見せつけ契約更新に持ち込むのが習わしとなっている。しかし、2009年と2010年にはデトロイト・ライオンズとセントルイス・ラムズが前例を破る高額契約で新人を獲得。マット・スタッフォードとサム・ブラッドフォードをそれぞれ7,200万ドル、7,600万ドルで迎えたのだ。

制限解除で5,000万ドルの契約が誕生

世界一収益性の高いスポーツとなったNFL。年々増加する収益を背景に、チームは潤沢な資金を手にするようになっている。2022年、グリーンベイ・パッカーズは引退を示唆していたクォーターバック、アーロン・ロジャースを引き留めるため年俸5,000万ドルを提示、3年間で15,000万ドルを支払った。

 

契約額の未来は?

今のところ最高額となったジェイレン・ハーツの契約だが、先ほども述べた通り数週間以内にトップの座から陥落する可能性もある。1年以内に3億ドルプレーヤーが現れたとしても驚いてはいけない。

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