サッカー界の名将、ジネディーヌ・ジダンの知られざる15のエピソード
サッカー界の伝説的な選手として名を馳せ、引退後は監督としても才能を発揮するジネディーヌ・ジダン。プライベートやチーム内での対立など、15のエピソードを通してジダンの知られざる一面をみてゆこう。
2005年、当時レアル・マドリードでプレーしていたジネディーヌ・ジダンは、自分が先天性の難病であるサラセミアを患っていることを知った。これは赤血球中のヘモグロビンをうまく産生できない疾患で、体内での酸素の循環が阻害されるため、場合によっては重度の疲労感に悩まされる。スペイン紙『マルカ』によれば、ジダンの場合は幸いにも軽度の症状だったため、スポーツ選手としてのキャリアを続けることができたという。
2006年、ドイツワールドカップの準決勝フランス対ポルトガル戦の前日、ジネディーヌ・ジダンの写真が世界を驚かせた。仏メディア「フランス・アンフォ」はジダンを含むフランス代表のメンバーが喫煙する場面を報道。大きな話題となった。ドキュメンタリー「Les Yeux dans les bleus」では、ジダンだけでなく同じくフランス代表のローラン・ブランやファビアン・バルテスが喫煙する姿も映っている。
レアル・マドリードのリザーブチーム、カスティージャを指揮していた2014年、『マルカ』はジダンの年俸が総額60万ユーロ、手取り約30万ユーロ(約4,800万円)であると報じた。現役時代には最大年棒600万ユーロ(約9億7,000万円)を受け取っていたことを考えると、カスティージャの監督としての給与は控えめなものだったと言えるだろう。
50歳の誕生日に仏紙『レキップ』のインタビューに答えたジダンは、実は家族からはジネディーヌともジズーとも呼ばれず、ミドルネームの「ヤジッド」(アラビア語で「成長」を意味する)で呼ばれていると明かした。「家ではヤジッドと呼ばれているよ。妻は僕をヤズと呼んでいるんだ」
現在は多くの選手にとって、アイドルとも呼ぶべき憧れの選手になっているジダン。そのジダンの憧れの選手は、エンツォ・フランチェスコリだった。 1989年から1990年にかけてオリンピック・マルセイユでプレーしたこのウルグアイ出身の同選手は、ジダンに大きな影響を与えた。サッカーメディア「ソー・フット」によれば、ジダンはこの選手に敬意を表して長男を「エンツォ」と名付けたようだ。
ジダンはフランスの地方都市ロデーズとエヴィアンのサッカークラブに投資している。2012年、ジダンはリーグ・ドゥの下部リーグにあたるCFA(フランス全国選手権)に所属するロデーズの経営権を取得。妻ヴェロニクの出身地であることが決め手になったようだ。また、「ソー・フット」によれば、エヴィアンを本拠地とするトノン・エヴィアン・グラン・ジュネーヴFCのオーナーを務める、仏食品大手ダノンのCEOフランク・リブーと親友だったことから同チームにも出資していたという。
ジダンのドーピング疑惑が浮上したきっかけは、2010年にフランス代表チームの元医師ジャン=ピエール・パクレが『崩壊(L’implosion)』を出版したことだ。この本には「2006年のフランス代表がベロッカ(栄養補助食品)やヴィタスコルボル(ビタミンCサプリメント)のおかげでワールドカップ決勝まで進んだことは間違いない」と書かれている。さらに、同書によればディディエ・デシャンやジダンを含む1998年から2000年の間にユヴェントスでプレーしていた選手の一部からは、異常なヘマトクリット値(血液中の赤血球比率)が測定されていたという。仏メディア「ル・ポワン」もこの問題を取り上げ、議論が巻き起こった。
その注目度の高さもあり、ジダンの行動が大きく波紋を呼んだこともある。2010年、豪紙『ヘラルド・トリビューン』は、カタールの2022年ワールドカップ開催地への立候補を支援する見返りにジダンが1,500万ユーロ(約24億円)を受け取っていたと報じた。2019年、仏紙『ジュルナル・デュ・ディマンシュ』のインタビューに答えたジダンは、このことを一部認めている。ただし、受け取ったのは1,500万ユーロではなく300万ユーロ(約5億円)で、全額チャリティ目的に使ったと明らかにしている。
普段はあまりメディアの前に姿を見せないジダンだが、これまでいくつかの映像作品に出演したことがある。レアル・マドリードのチームメイトだったラウールとともに『ゴール』三部作に出演。また、2008年には映画『アステリックスとオベリックス オリンピック大奮闘』に出演した。
2009年、『TVマガジン』のインタビューで、ジダンは仏放送局TF1の人気サバイバル番組『コー・ランタ』のファンだと明かしている。さらに、ニコス・アリアガスとミシェル・デニゾといった芸能人が好きで、『プリズン・ブレイク』と『24 -TWENTY FOUR-』といったドラマをよく見ていると語った。
1993年9月、ボルドーに所属していたジダンは、当時マルセイユに所属していたマルセル・デサイーと試合中に口論に発展。60分にコーナーキックになった際、激昂したジダンはデサイーを突き飛ばした。後に二人は無事和解し、フランス代表でチームメイトとしてワールドカップにも出場している。
ジダンは音楽も好んで聴いているという。特にフランスのシンガーソングライター、フランシス・カブレルの大ファンだと明かしている。「ずっとファンだった。だから実際に彼に会ったとき、本当に嬉しかったし、少し不思議な気持ちがしたくらいだよ」
ジダンはアルジェリア代表でプレーする権利ももっていた。両親はマルセイユに在住だが、元はアルジェリアのカビリー出身。このため、ジダン自身もアルジェリアとフランスの二重国籍をもっている。
仏メディア『ヴォワスィ』によれば、ジダンと妻ヴェロニクが出会ったのは、1989年のカンヌだったという。当時、ジダンはASカンヌに所属しており、2人は同じユースホステルに滞在していた。ヴェロニクはダンサーとして働きながら、生物学を勉強していたという。同メディアによれば、二人は出会って数年後の1994年にボルドーで結婚し、現在まで約30年間にわたり仲睦まじく生活しているという。
エンツォ、ルカ、テオ、エリヤスという四人の息子たちは全員サッカー選手となった。2023年には、レアル・マドリードで兄弟で合計200試合に出場するという珍しい記録を達成。サッカー専門メディア「フットメルカート」によれば、長男のエンツォは兄弟のなかで最多の78回出場。次男ルカは51試合に出場した。現在もレアル・マドリードに在籍する三男テオは、これまで71試合に出場している。
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