スケートボードを一変させたトニー・ホーク
トニー・ホークはスケートボードの神様とされる存在だ。彼の功績がなかったら、スケートボードやその他エクストリームスポーツは20世紀の終わりにメインストリームの地位を得ることができていなかったかもしれない。
トニー・ホークは1968年5月12日、カリフォルニア州サンディエゴに生まれる。子どもの頃から負けず嫌いで、9歳でスケートボードを始めると『Britannica.com』は書いている。
11歳のときから大会に出場し、独創的で向こうみずなスタイルですぐに頭角をあらわす。
スケートボードに熱中するトニーを両親も応援し、のちに両親はアマチュアリーグのCASL(California Amateur Skateboard League)とスケボー協会『ナショナルスケートボードアソシエーション』を立ち上げ、スケボーの地位確立に貢献する。
「14歳のときにパウエル・ペラルタのプロチームに加入し、Bones Brigadeの有名なビデオに出演する」と、『Britannica.com』の記述は続く。スケボーの歴史についての本『Skateboarding and the City』(Iain Borden, 2019)によると、このビデオは予想売上枚数の300枚をはるかに超える3万枚のセールを記録したという。
ふたたび『Britannica.com』に戻る。「トニー・ホークはストリートのスケーターとしても秀でていたが、その名声はもっぱらバート・スケーター(バーチカルを滑るスケーター)としての力量にあった。1980年代から90年代にかけて、彼はスケボーのコンペティションを牛耳った」
彼は73のタイトルを獲得し、1984年から1996年にかけて、毎年連続でトップのバート・スケーターに選ばれた。
トニー・ホークはたくさんの技を考案した。例えばollie-to-Indy、gymnast plant、フロントサイド540ロデオフリップ、サランラップなどがある。
あらゆるエクストリームスポーツの選手にとって、エックスゲームズは最も威信のある大会である。トム・ホークは負け知らずだった。
「xgames.com」によると、トム・ホークはのべ17の種目に参加し、金メダル10個を含む16のメダルを獲得した。エックスゲームズでのハイライトは、1999年の大会で史上初の「900°(2回転半)」を成功させたことだろう。
スケートボーダーとして成功を収めつつあった90年代初め、トニー・ホークは思い切って、スケートボードのビジネス方面も開拓する。
彼は2つの会社を立ち上げた。「バードハウス」はスケートボードやアクセサリーを手掛けるブランド、「ブリッツ」はスケボー用品の卸売業者である。
会社は成功を収め、トニーは他にもさまざまなベンチャーに手を出す。1998年、ソフトウェア会社「Activision」と契約を結び、スケボーがテーマのビデオゲームの制作にとりかかる。
翌1999年、『トニー・ホーク プロスケーター』が発表される。同ゲームはシリーズ続編を生み出し、売上は合計で10億ドルを超え、最も成功したビデオゲームになったと『Britannica.com』は指摘している。
その同じ年にトニー・ホークは競技から引退するが、2002年に「Tony Hawk’s Boom Boom HuckJam」を企画する。これはエクストリームスポーツのアスリートたちの技とパンクバンドの音楽を合わせたショーで、アメリカ各地を回った。
その2002年、トニー・ホーク財団が設立される。この財団はアメリカ国内の低所得地区にスケートパークを作ることを目的としている。
2022年、トニー・ホークはドキュメンタリー映画『Tony Hawk: Until the Wheels Fall Off』の制作に協力した。映画ではトニーの人生や家族との絆、スケートボードで拓いてきた物語が描かれている。