就任から100日以内にクラブを去ってしまったプレミアリーグの監督たち
サッカー界の最高峰委に君臨するイングランドの「プレミアリーグ」。そこでプレーするものは選手であれ監督であれ、世界でもっとも高いレベルのパフォーマンスを発揮しなくてはならない。
もちろんプレミアリーグでその手腕を発揮し監督として成功した者も多いが、あっという間に追い出されてしまった監督も少なくない。
中には解任まで100日かからなかった監督も。今回はプレミアリーグにおけるスピード解任の記録をチェックしてみよう。
ネイサン・ジョーンズはサウサンプトンFCの前監督。監督期間は2022年11月から2023年2月だった。
ジョーンズは下部リーグでは優れた采配を見せており、ルートン・タウンFCをリーグ2(4部相当)からチャンピオンシップ(2部相当)でのプレーオフまで導いていた。だが、プレミアリーグのサウサンプトンFCに着任してからは振るわず、エヴァ―トンFCに対する一勝しか挙げられなかった。
コリン・トッドは2000年にスウィンドン・タウンFC(現在リーグ2(4部相当)所属)の監督を辞し、ジム・スミスが采配を振るっていたダービー・カウンティFCに助監督としてやってきた。
2001年10月、スミスが解任されたため跡を継ぐ形でトッドが監督に就任。だがその地位は三か月しか持たなかった。解任を決定的にしたのはFAカップで当時リーグ2所属(4部相当)のブリストル・ローヴァーズFCに敗北を喫したことだった。このシーズン終了後、ダービーは1部降格となってしまった。
テリー・コナーズはミック・マッカーシー監督時代のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCで助監督を務めていたが、2011-2012年シーズンの終わりに監督に昇格した。
コナーズが昇格したのは2012年2月のことで、そのシーズン中は13試合を戦ったが1勝もできなかった。ウルヴァーハンプトンは大差の最下位となり、2012年6月、コナーズは助監督に戻された。
キケ・サンチェス・フローレスが最初にワトフォードFCを率いたのは2015-2016シーズンのことで、その時はチームを13位という悪くない成績に導き、2015年12月には「今月の監督」に選ばれるなどうまくいっていた。
そして2019年9月、すでに大差の最下位という状態だったワトフォードに招かれて再び着任。それでも10戦中1勝しかできず、同じ年の12月にチームを離れた。
ボブ・ブラッドリーはプレミアリーグで采配を振るった初のアメリカ人監督。2016年10月にスウォンジー・シティFCに招かれて着任した。
そして2016年12月27日、ウェストハム・ユナイテッドFCに4対1で負けたのを最後に解任された。着任中の成績は11戦2勝、敵に通算29ゴールを決められていた。この記録はプレミアリーグ全チームを見渡しても破られていない。
フランク・デ・ブールは2017年にクリスタル・パレスFCの監督に就任。新たなポゼッションサッカーを導入して同チームをイングランド最高のチームにすることを目指し、鳴り物入りでの着任だった。
だが彼の任期は2017年9月に早くも終わってしまう。シーズン開始から4試合連続で敗戦、しかも無得点だったのだ。デ・ブールの任期が2か月強も続いたのは、シーズンが始まる前の期間が含まれているからに過ぎない。
2013年11月、レネ・メウレンステーンがマルティン・ヨル監督のフラムFCにヘッドコーチとして就任。その僅か3週間後、12月にヨルが解任され、メウレンステーンが監督となった。
それでもメウレンステーンもチームに対して大きな影響を与えることはできず、プレミアリーグでの成績は17戦4勝、さらにFAカップではリーグ1のシェフィールド・ユナイテッドFCに敗北し解任に至った。
2006年11月、最下位圏から脱せず苦しんでいたチャールトン・アスレティックFCは、同チームと長年関りのあったレズ・リードを監督として招聘、順位向上を図った。
結局リードは7戦して1勝しかできず、12月24日に合意の下でチームを離れた。その時点でチャールトン・アスレティックFCは降格圏脱出のためには勝ち点が7点必要という状態になっていた。