スポーツクライミングの森秋彩選手:天才少女からオリンピック代表までの軌跡
スポーツクライミングの森秋彩選手(20)が、パリ五輪代表の切符を手にした。今回は小学生の頃から「天才少女」と呼ばれるようになった森選手の軌跡を追っていこう。
東京2020大会から新たな五輪競技となったスポーツクライミング。登り切った課題の数を競う「ボルダー」、制限時間内にどこまで登れるかを競う「リード」、登る速さを競う「スピード」の3種目がある。
森選手は2003年に川崎市で生まれ、つくば市で育った。クライミングとの出会いは小学校1年生の時。父親に連れられて教室に通いはじめたことがきっかけだ。
『産経新聞』によれば、森選手は幼い頃から木登りやうんていなど、登ったりぶら下がったりする運動が好きだった。最初は父親がライバルだったが、小学校の高学年になる頃には完全に追い抜いていたという。
森選手は早くからその才能を開花させ、小学校に入学すると国内外の大会を制するようになる。イタリアで開催されたユースの大会に出場し、ボルダリング、トップロープ、スピードの3種目で優勝したのは小学3年生の時だ。
2016年、12歳で出場したリード種目の全国大会であるジャパンカップで優勝を飾る。史上最年少優勝を果たしたことで、森選手は「天才少女」と呼ばれるようになった。
2019年、初出場のリード種目で力を競う世界選手権で銅メダルを獲得。日本人史上最年少の15歳でメダリストとなったことで「天才少女」の名は更に広まった。しかし、その後突然国際舞台から姿を消してしまう。
森選手はクライミングへの取り組み方に悩んでいた。『読売新聞』で当時のことをこう語っている:「結果を追い求めるあまり伸び伸びと登れなくなり、実際、体の動きも悪くなっていた。このままではダメになると考え、思い切って休んだ」
また、元東京五輪代表で、小学生の頃から同じジムで一緒に練習していた憧れの存在、野口啓代選手からこうアドバイスされたという:「自分が本当にやりたくなってから始めたらいいよ。秋彩ちゃんが戻ってくるのをいつでも待っている」
3年の間、自分のペースで楽しみながらクライミングに取り組み、国際大会には出場しなかった。高校卒業後にプロ入りするクライマーも多い中、森選手は筑波大学への進学を決める。専攻は体育専門学群だ。
Webサイト「CLIMERS」のインタビューで大学進学の理由をこう語っている:「......職業にしてしまうとクライミング自体を楽しめなくなってしまうのでは、という不安を感じたし、選手生活が終わってからの人生のほうが長いと思うから、その後のことも考えると経験や知識が豊富な方が役に立つかなって......」
2022年9月、3年ぶりに国際大会に復帰した森選手。スロベニアで開催されたワールドカップのリードで、昨年の年間王者であるヤンヤ・ガンブレット選手を抑えいきなり優勝を飾った。さらに10月のワールドカップ複合でも優勝。
2023年、森選手はスイスで開催された世界選手権女子リードで優勝を果たす。リードでの優勝は男女を通して日本人初となる快挙だった。女子複合でも3位となり、大会3位以内に与えられるパリ五輪への切符を手にした。
「TBSニュース」によれば、森選手が得意とするリードは、長い距離を登る種目のため持久力が勝敗の鍵を握る。森選手は2ミリあれば確実にホールドを掴める指の強さを持ち、指2本で全体重を支えることができる。この世界一とされる保持力が森選手の強さの秘密だという。
『山と渓谷』誌のインタビューで、森選手は野口啓代選手と東京五輪金メダリストのヤンヤ・ガンブレット選手に影響を受けたと語った。また、フィギュアスケートの羽生弓弦選手をメンタル面で参考にし、著書にも目を通しているという。
パリ五輪では「スピード」が別競技となり「ボルダー&リード」と2種目で競技が行われることになる。この改変は「スピード」を苦手とする森選手に追い風となるだろう。7月26日に開催されるパリ五輪の金メダルが、今、まさに射程圏内に入った。