スポーツ史に刻まれたまさかの「悲劇」:勝利を目前にして崩れ去った選手たち

大試合とプレッシャー
パリ・サンジェルマンFC、UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17 ラウンド16
ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデ、1999年全英オープン
シカゴ・カブス、2003年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
カンザシティ・チーフス、2013年のプレーオフ
ジョーダン・スピース、2016年マスターズ
テキサス・レンジャーズ、2011年のワールドシリーズ
グレッグ・ノーマン、1996年マスターズ
ダラス・マーベリックス、2006年のNBAファイナル
ゴールデンステート・ウォリアーズ、2016年NBAファイナル
ボストン・ブルーインズ、2010年のカンファレンス準決勝
ヒューストン・オイラーズ、1993年NFLワイルドカードプレーオフ
アンディ・ロディック、2009年のウィンブルドン選手権
トロント・メープルリーフス、2013年NHLプレーオフ
アダム・スコット、2012年の全英オープン
大試合とプレッシャー

スポーツ試合に出たことがあれば、誰でも身に覚えがあるプレッシャー。たとえばサッカーでのっぴきならない試合展開となり、突然自分にボールがまわってきたら平静さを失わないほうがおかしい。じっさい、プレッシャーには慣れっこなはずのプロ選手も、ここぞという場面で失態を演じることがある。今回はそんなスポーツ史上に残る「悲劇」を追っていこう。

パリ・サンジェルマンFC、UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17 ラウンド16

パリ・サンジェルマン(PSG)対FCバルセロナ。第1戦、PSGはバルセロナを4−0の大差で下す。第2戦、バルセロナは序盤から猛攻をしかけ、たてつづけに3得点を挙げるも、PSGが1点を返してスコアは1-3になる。この結果、アウェーゴール規定に則り、バルセロナはさらに3得点を挙げなければ次のトーナメントに進めないという状況になった。試合はそこから動かないまま終盤に入り、もはやこれまでと思われた。しかし88分、ネイマールがフリーキックを決めて4点目、さらに後半アディショナルタイムにペナルティーキックで5点目、ネイマールのクロスから6点目が入り、バルセロナは準々決勝進出を決めた。カンプ・ノウの奇跡である。もっとも、パリ市民にとっては悪夢である。

ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデ、1999年全英オープン

1999年全英オープンはカーヌスティ・ゴルフリンクスで開催された。17番ホールを終えた時点でジャン・ヴァン・デ・ヴェルデは2位に3打差を付けてトップを走っており、まず優勝は間違いなしと思われた。しかし最終18番、外れたショットがクリークに入ったところから雲行きはどんどん怪しくなった。結果、ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデは最終ホールでトリプルボギーを叩いてしまう。プレーオフで優勝をさらったのはポール・ローリー。この悲劇は「カーヌスティの悲劇」「ヴァン・デ・ヴェルデの悲劇」としてゴルフ史に語り継がれている。

シカゴ・カブス、2003年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ

栄えある球団史にもかかわらず、シカゴ・カブスはワールドシリーズ優勝から長いこと遠ざかっていた。そんなカブスだが、2003年に絶好のチャンスが巡ってきた。リーグ優勝決定戦、あと1勝で優勝という第6戦で事件は起きた。試合はカブスの3点リード、8回表フロリダ・マリーンズの攻撃、一死二塁。ファウルフライが三塁観客席すれすれにあがる。捕球体勢に入る左翼手。しかしボールにまず触れたのはスタンドから腕を伸ばした観客だった。左翼手の怒りは言うまでもない。このイニングはそこから狂い、一挙に8点を失ってしまう。

カンザシティ・チーフス、2013年のプレーオフ

今でこそカンザスシティ・チーフスは強豪だが、かつてはトロフィー日照りが長いこと続いていた。しかし2013年、ようやくその飢えが満たされるかに思われた。ワイルドカード枠で出場した2013年シーズンのプレーオフ、QBアレックス・スミスの活躍があり、インディアナポリス・コルツを相手に38-10の28点差でリードしていたのだ。しかしコルツはQBアンドリュー・ラックを起点とする猛攻でこの得点差をひっくり返し、44-45でチーフスを破ってしまった。

ジョーダン・スピース、2016年マスターズ

「アーメン・コーナー」(オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの11番から13番までの3ホール)では数多のゴルファーが天を仰いできたが、わけても2016年のジョーダン・スピースは特筆に値する。ジョーダン・スピースは、サンデーバックナインに入る時には2位に5打差をつけていたが、10番と11番で連続ボギー、12番では2度池に落とし、悪夢のうちに優勝を逃した。

テキサス・レンジャーズ、2011年のワールドシリーズ

テキサス・レンジャーズがワールドシリーズ優勝にもっとも肉薄したのは、2011年ファイナルシリーズの第6戦のことだった。チームは3勝2敗で優勝に王手をかけていた。8回終わってカーディナルスに7-5でリードしていたが、試合は延長11回までもつれ込み、エンドスコア9-10で敗れた。第7戦もあっけなく敗退。

グレッグ・ノーマン、1996年マスターズ

6打差首位でむかえた最終日、グレッグ・ノーマンはオーガスタを制し、オーストラリア人として初の快挙を成し遂げるはずだった。だが、最終ラウンドでまさかの78を叩き、ニック・フェルドに優勝を譲ることになった。

ダラス・マーベリックス、2006年のNBAファイナル

初めの2戦で勝利をあげたダラス・マーベリックスは、第3戦もリードを築き、試合終了まであと6分、マイアミ・ヒート相手に優勝に王手をかけようとしていた。しかしヒートのドウェイン・ウェイドはどこまでもドウェイン・ウェイド的な仕事をこなし、マーベリックスは崩れ落ちる。そこからたてつづけに4試合で敗北を喫し、シリーズ優勝を逃すのだった。

ゴールデンステート・ウォリアーズ、2016年NBAファイナル

これはNBAファイナル史上まれにみる激闘だった。ステフィン・カリー擁するゴールデンステート・ウォリアーズは、クリーブランド・キャバリアーズを3勝1敗と追い込んでいた。追い込まれたキャブスだったが、レブロン・ジェームズの超人的な活躍が光り、怒涛の3連勝で優勝をかっさらうのだ。

ボストン・ブルーインズ、2010年のカンファレンス準決勝

ブルーインズの3勝0敗で迎えた第4戦、この試合も相手のフィラデルフィア・フライヤーズをリードする展開だった。しかしそこからフライヤーズは底力を見せ、あれよあれよと3勝4敗で逆転されてしまった。

ヒューストン・オイラーズ、1993年NFLワイルドカードプレーオフ

ふつうアメフトの試合では、35-3という大差で勝っている場合、ベンチはそろそろ先発メンバーをひっこめようかと考え始める。相手チーム、バッファロー・ビルズのファンたちも敗北を悟り、早々に帰路に着いたという。しかしビルズはそこで終わらず、歴史に残る大逆転劇を収めた。

アンディ・ロディック、2009年のウィンブルドン選手権

自滅というにはあたらないが、しかし、あのロジャー・フェデラーが相手でもこのときばかりはアンディ・ロディックに勝ってほしかった。結局試合は第5セットにまでもつれ込み、第30ゲームをフェデラーがとって終了した。試合時間は4時間18分だった。

トロント・メープルリーフス、2013年NHLプレーオフ

トロント・メープルリーフスのファンはあまりいい思いをしない運命にあるのかもしれないが、2013年の敗北の味はまた格別だった。4−1のリードで迎えた最終ピリオド、相手は仇敵ボストン・ブルーインズ。メープルリーフスの守備は枯葉のごとく崩れて3失点を喫し、延長戦で敗れ去った。

アダム・スコット、2012年の全英オープン

2位に4打差、残りは4ホール。オーストラリア出身のアダム・スコットはついに悲願のメジャー優勝達成かと思われた。しかしそこから4連続ボギーに倒れ、気づいたときにはアーニー・エルスが優勝していた。

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