セーリングの岡田・吉岡ペアが銀メダルを獲得!パリ五輪までの軌跡
パリ五輪のセーリング混合470級で、岡田奎樹(おかだ けいじゅ)選手と吉岡美帆選手のペアが銀メダルを獲得した。五輪でセーリング日本勢がメダルを手にするのは、2004年のアテネ大会以来20年ぶりとなる。
セーリングは1896年の第1回アテネ五輪から競技として採用されている(ただし、悪天候により競技は実施されなかった)。これまで欧米諸国が強豪とされてきたが、パリ五輪では470級の岡田・吉岡ペアが金メダル候補となっていた。
パリ五輪で岡田・吉岡ペアは8レースを終えて3位につけていた。メダルをかけた最終レースで総合順位を上げ、見事銀メダルに輝いたのだ。金メダルはオーストリア、銅メダルはスウェーデンのペアにわたった。
岡田選手はNHKのインタビューで、二人の強さの秘密をこう語っている:「風の予測を一つ一つ説明していたら、レース中に集団に埋もれて不利な状況になり、取りたいコースを取れなくなってくる。時間がもったいないので、可能なかぎり短い言葉でお互いの意思表示をできるようにしてきた」
まるで長年組んでいたような二人だが、ペアを結成したのは東京五輪の後だ。パリ五輪では10種目のセーリング競技が実施され、岡田・吉岡ペアは470級に参戦。艇の全長が470cmであることから470(ヨンナナマル)級と呼ばれている。
470級は2人乗りで、乗員の適性体重が合計で130kg前後。日本人の小柄な体型にフィットし操りやすいため、国内で最もレース活動が盛んな種目だ。また、1996年のアトランタ五輪で女子が銀メダル、2004年のアテネ五輪で男子が銅メダルを獲得している。
470級は東京五輪まで男子と女子に分かれて実施されていた。岡田選手は外薗潤平(ほかぞの じゅんぺい)選手と、吉岡選手は吉田愛選手とペアを組んで東京五輪に出場し、共に7位入賞を果たしていた。
しかし、パリ五輪から470級が男女混合種目となることで、新たなパートナーを探すことを余儀なくされた。『佐賀新聞』によれば、風や波など自然環境の変化を読むのが得意な岡田選手が吉岡選手に声をかけ、一緒に組むことになったという。
セーリングのペアはスキッパーと呼ばれる舵取り役と全身を使って帆を操るクルー役とに分かれる。スキッパーの岡田選手にとって、身長177cmと背の高い吉岡選手は最高のパートナーと感じられたのだろう。
2021年、二人はペアを組むなり全日本選手権で優勝。さらに2023年4月のプリンセスソフィア杯を制すと、同年8月に開催された世界選手権でも金メダルを獲得した。
しかし全てが順風満帆だった訳ではない。「テレ朝ニュース」に出演した吉岡選手は、初めて男性と組むことになった当初を振り返りこう語っている:「男子のパワーやスピード、頭の回転などについていかなければいけず苦労しました」
パリ五輪の代表選考をかねた「プリンセス・ソフィア杯」で、岡田・吉岡ペアは日本勢トップとなり470級代表の座を手にいれた。岡田選手は2大会連続、吉岡選手は3大会連続の五輪出場となる。
二人は「NHKニュース」に出演し、岡田選手は「現状で3回やれば1回は金メダルを取れると思っている」とし、吉岡選手も「(金メダルの確率は)6割か7割くらい」と自信をあらわにしていた。
『日刊スポーツ』紙によれば、吉岡選手は高校の部活動でセーリングをはじめ、立命館大学に進学すると頭角を現すようになる。大学で競技を引退するつもりだったが、五輪出場経験がある憧れの吉田愛選手からペアを組まないかと声を掛けられ、リオ五輪を目指すことにしたという。
吉岡・吉田ペアはリオ五輪で5位入賞を果たし、2018年の世界選手権では日本女子初の金メダルを獲得。東京五輪は金メダルを期待されていたが、7位に終わっている。
かつて岡田選手が所属していた「B&G海洋クラブ」のサイトによれば、同選手は父の影響で5歳の時にセーリング競技をはじめたという:「子どもの頃の自分にとって、ヨットという大きな道具を扱って、海という広くスケールの大きな場所に出ていくとがとても魅力的で、カッコ良く思えたんです」
岡田選手は小学生の頃から頭角を現し、中学生になると国際大会で活躍するようになる。早稲田大学に進学すると、2016年にドイツで開催された「470級ジュニア世界選手権」で、日本人初となる優勝を飾った。
2018年、外薗選手とペアを組んだ岡田選手は、江ノ島で開催された「セーリングワールドカップ」で日本男子初となる金メダルを獲得した。初出場した東京五輪では7位に入賞。パリ五輪では集大成として金メダルを狙うという。