テニス界の伝説、アンナ・クルニコワ(42)は今どうしてる?
輝かしい成績とカリスマ性で一時代を築く選手はどのスポーツにもいるもの。テニス界の伝説となったアンナ・クルニコワもその1人に挙げられる。
すでに40代を迎えたクルニコワだが、90年代後半に大活躍した当時の面影を今も残している。
早熟の天才だったクルニコワ。子供のころに米国に移住し、テニスの道を追求することとなる。
10歳のクルニコワは名門ニック・ボロテリー・テニスアカデミーでトレーニングをスタート。同アカデミーの卒業生にはモニカ・セレシュやアンドレ・アガシ、マリア・シャラポワといった、錚々たるメンバーが名を連ねている。
15歳の若さにして、1996年の全米オープンでは4回戦に進出、1年後にはウィンブルドンで準決勝進出を果たしたクルニコワ。17歳になるころには、女子テニス協会(WTA)のランキングでトップ10に上りつめていた。
同時に、モデルのような容貌とカリスマ性から、ファッション誌をはじめとするメディアにひっぱりだことなる。
クルニコワのモデルとしての人気ぶりは、グランドスラムのタイトルよりも、『スポーツ・イラストレイテッド』『ヴォーグ』『FHM』『マクシム』をはじめとする雑誌の表紙を飾ることのほうが多いという事態を招くほどだった。
しかし、メディアの注目を浴びたことで本業がおろそかになってしまっている、という声も聞かれるように。
とはいえ、クルニコワはもう1人の早熟プレーヤー、マルチナ・ヒンギスと組んだダブルスで目覚ましい活躍を見せ、全豪オープンで2回(1999年と2002年)、WTAツアーで2回(1999年と2000年)優勝を果たしている。
多少の低迷ははあったものの、2007年まで現役選手としてプレーを続けたクルニコワ。引退の理由は成績不振ではなく、度重なるケガだった。
クルニコワはキャリアを通じて雑誌の表紙を飾り続けたほか、アディダスやオメガといった有名ブランドのイメージキャラクターも務めている。
実際、クルニコワはスポンサー契約数と広告収入で女子テニス選手トップの地位にあった。
現役を引退した時点で、クルニコワはスペイン人歌手のエンリケ・イグレシアスとすでに交際6年目だった。2人が出会うきっかけとなったのはエンリケ・イグレシアスの曲「Escape」のミュージックビデオ撮影だったという。
現役時代はメディアにひっぱりだこだったクルニコワだが、エンリケ・イグレシアスとの交際はうってかわって極秘。引退を決めた後はプライベートを優先しているようだ。
Googleでもっとも検索されたアスリートとなったクルニコワ。しかし、TVドラマ『フレンズ』への出演を除けば、メディアへの露出はきっぱりとやめてしまった。
アンナ・クルニコワとエンリケ・イグレシアスは子供を3人授かっている。2017年生まれの双子、ニコラス&ルーシーと、2020年1月30日生まれのメアリーだ。
2人はプライベートを明かそうとしないため、交際20年を過ぎた今も結婚しているのかどうかは依然として謎のままだ。
クルニコワ一家は現在、フロリダ州マイアミにある豪邸で暮らしている。
メディアからは姿を消してしまったクルニコワだが、SNSでは活発に近況をシェアしている。Instagramアカウント @annakournikovaを見れば、一家の円満ぶりは一目瞭然。クルニコワの投稿には愛犬もたびたび登場する。
現役を引退したとはいえ、子供やパートナー、あるいは1人でスポーツをする姿が見られることも。
また、モデルとしても第一線からは退いて久しいものの、スポーツ用品ブランド「K-Swiss」の広告塔や子供たちの福祉改善を目指す団体「Five & Alive」のアンバサダーを務めている。
アンナ・クルニコワが残した功績はテニスにおける活躍そのものよりも、スポーツマーケティングの側面が大きいと言えるかもしれない。クルニコワが切り拓いた道はベッカム夫妻やクリスティアーノ・ロナウド、あるいはセリーナ・ウィリアムズへと受け継がれてゆくのだ。
世界的な人気を博したクルニコワだけあって、彼女の名を冠するものは、カクテルやビデオゲーム、ポーカーの役、コンピュータウイルスに至るまで多岐にわたっている。
クルニコワが引退後に見せたエレガントな流儀は、デヴィッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウド、セリーナ・ウィリアムズ、大坂なおみといったアスリートたちに、第一線を退いたスポーツ選手のあり方を示したと言えるだろう。