トゥール・ド・フランスを悩ませてきた数々のドーピングスキャンダル

ドーピング問題が絶えないトゥール・ド・フランス
トム・シンプソン
ヴァントゥー山で倒れる
アンフェタミン
ミシェル・ポランティエール
マイヨ・ジョーヌも
コンドームを使ってごまかす
ヨープ・ズートメルク
3度の陽性反応
フェスティナ事件
車から発見
大会全体を巻き込む
オペラシオン・プエルト
血液ドーピング
有力選手も多く関与
裁判で多くのことが明らかに
フロイド・ランディス
オスカル・ペレイロ
アルベルト・コンタドール
優勝はアンディ・シュレクに
ランス・アームストロング
7度の優勝が剥奪される
ドーピング問題が絶えないトゥール・ド・フランス

世界最大の自転車レース、トゥール・ド・フランスは賞金の額も、選手にかかるプレッシャーも最大級だ。そのため、時としてその重圧に負けた選手が違法なドーピングに頼ってしまうことも。さらにはそのドーピングスキャンダルが複数の選手に波及して、業界全体の汚点として残り続ける場合すらある。トゥール・ド・フランスをめぐるドーピング事件をおさらいしてみよう。

Sports Unlimited News をフォローして世界のスポーツをいつも手元に

トム・シンプソン

トム・シンプソンはイギリスの選手で、1965年に世界チャンピオンとなっている。だが、彼のことは、1967年トゥール・ド・フランスの最中にヴァントゥー山で亡くなった人物として覚えている人が多いだろう。

ヴァントゥー山で倒れる

第13ステージを走行中だったシンプソンはヴァントゥー山頂上付近で倒れた。アヴィニョンの病院に搬送されたが、すぐに死亡が宣告された。

アンフェタミン

シンプソンはアンフェタミンを摂取していたとされ、これがアルコールや熱中症、体力の消耗などと組み合わさった結果死につながったようだ。ヴァントゥー山にはシンプソンを偲ぶモニュメントが残されている。

ミシェル・ポランティエール

ベルギーの選手、ミシェル・ポランティエールは複数の区間優勝経験を持つ有力選手だった。だが、1978年、衝撃的なドーピング事件が発覚して失格となった。

マイヨ・ジョーヌも

ポランティエールは優勝候補と目され、アルプ・デュエズ区間でも優勝、個人総合成績一位の証であるマイヨ・ジョーヌを身につけていた。そして次の区間終了後、ドーピングテストを受けることとなった。

コンドームを使ってごまかす

ポランティエールはクリーンな尿をコンドームに入れてわきの下に隠し持ち、それを手元から管を通して出すことでテストをごまかそうとした。それが発覚したため、ポランティエールはただちに失格となり帰国を命じられた。

ヨープ・ズートメルク

ヨープ・ズートメルクはトゥールでの優勝経験のある数少ないオランダ人選手だ。悲願の優勝は1980年のことだが、実はそれ以前に複数回ドーピング検査で陽性反応が出たことがある。

写真:ヨープ・ズートメルク(中央), screenshot Instagram, @desktoppeloton

3度の陽性反応

ズートメルクがトゥールでの検査で陽性とされたのは3回、1977年、1979年、そして1983年のことだ。

写真:ヨープ・ズートメルク(右), screenshot Instagram, @kidpagorn05

フェスティナ事件

1998年のフェスティナ事件は数あるトゥールでのドーピング事件の中でも最悪のものだろう。

車から発見

きっかけはトゥール開幕直前、フランスとベルギーの国境で自転車競技チームの「フェスティナ」の専属理学療法士ウィリー・フートの車からドーピング用の薬物が発見されたことだった。

大会全体を巻き込む

「フェスティナ」にはフランスのスター選手リシャール・ビランクも所属していたが、この問題でチームのマネージャー、ブルーノ・ルッセルと専属医のエリック・ライカートが逮捕されたことを受けてトゥールから除外された。複数の所属選手がドーピングを認めて資格停止となったほか、ほかにも棄権するチームが出たり、オランダのチーム「TVM」も禁止薬物を所持していたことが発覚するなど、大規模なスキャンダルとなった。

オペラシオン・プエルト

スペインの医師、エウファミアノ・フエンテスに対して警察が行った大規模なドーピング摘発作戦「オペラシオン・プエルト」もトゥールに大きな影響を及ぼした出来事だ。

血液ドーピング

2006年5月、スペイン国家警察がいわゆる血液ドーピング用に採取されたと思われる大量の血液サンプルと輸血用の器具をマドリードで発見・押収。フエンテスを含む5名がドーピング容疑で逮捕された。

有力選手も多く関与

この事件の影響は大きく、イヴァン・バッソやヤン・ウルリッヒ(写真)のような有力選手も関与が報道されて2006年のトゥールから除外された。

裁判で多くのことが明らかに

2013年にはフエンテスが法廷に立ち、自転車競技以外にも多くのスポーツ界に関与したアスリートがいることを明かした。フエンテスはこの時は懲役1年の判決を受けたが、2016年には無罪判決を受けている。

フロイド・ランディス

フロイド・ランディスはアメリカの選手で、2006年にトゥールで優勝を果たした、と思われた。

オスカル・ペレイロ

トゥールでの優勝後、ランディスの尿検査が行われ、異常なテストステロン値が確認された。結局ランディスの優勝は剥奪され、スペインのオスカル・ペレイロの総合優勝が認定された。

アルベルト・コンタドール

アルベルト・コンタドールも似た経緯をたどった選手だ。2007年、2009年、2010年にトゥール優勝を果たした有力選手だったが、2010年の優勝は後のドーピング検査の結果を受けて剥奪されてしまった。

優勝はアンディ・シュレクに

コンタドールが抗議したこともあって処分は紛糾したが、2012年の2月に2010年の優勝記録の剥奪が決定、優勝はアンディ・シュレク(写真左)となった。コンタドールは他にも2012年8月までの出場停止処分も受けている。

ランス・アームストロング

ドーピング事件に関わった中でも最大のビッグネームはランス・アームストロングかもしれない。トゥールで1999年から2005年まで7年連続優勝という新記録(当時)を打ち立てたレジェンドだったのだが……

7度の優勝が剥奪される

やがて、アームストロングがそのキャリアにわたって各種ドーピングを行い続けていたことが発覚、7年間の優勝記録はすべて剥奪された。

ほかのおすすめ