トップアスリートが払う過酷な代償:後遺症に悩まされるスポーツ選手たち
プロアスリートが超人的な努力を続けていることは見過ごされがちだ。日々の練習に始まり、第一線で闘うというプレッシャー、そして世界中を飛び回る過酷なスケジュールは時に選手の身体を蝕むことすらある。
スポーツ医学の進歩は選手生命を延ばすことに寄与したが、そんな医療技術とてあらゆる問題を解決する魔法の手段となったわけではない。じっさい、鎮痛剤や手術によって問題をごまかした結果、ダメージが増大し後遺症まで残ってしまうという例もある。
アスリートの中には怪我や先天性の問題のせいで一生続くの後遺症が残ってしまい、引退後も日々その問題に直面している人もいる。生涯をプロスポーツに捧げたが故の悲しい結果を振り返ってみよう。
テニス選手のアンドレ・アガシの自伝『OPEN―アンドレ・アガシの自叙伝』はピュリッツァー賞受賞ジャーナリストのJ. R. モーリンガーと共同で書かれた。さまざまなエピソードに富んだ本書はスポーツ本としてカルト的な人気を誇るが、なかでも印象的なのが怪我が身体に及ぼす影響の大きさをつづった個所だ。
『OPEN』の冒頭に次のような一節がある:「ふと気がつくとベッドの横の床に倒れていた。なにが起きたか思い出した。真夜中に、ベッドから床に自分で降りたのだ。ほとんど毎晩やっている習慣だ。そのほうが腰にいい。長い時間柔らかいマットレスに横になっていると腰が痛くなってしまう。私は三つ数えて、立ち上がるという困難な試みにとりかかる。咳やうめき声を出しながらなんとか体を横にする。それから体を丸めて膝をかかえ、そのままうつぶせになる」
また、アガシはプロテニスで極限まで体を酷使した結果どうなってしまうかを、次のように端的に表現してもいる:「私は36歳で、まだ比較的若い男性と言える。それでも朝起きるときはまるで自分が96歳のような気分になる」
ラファエル・ナダルもトップレベルのテニス選手だが、そんな彼は長いあいだミュラー・ワイス症候群と言われる足の骨の変性疾患に悩まされている。
ナダルがかつて語ったところによると、疾患の治療のためにラジオ波を用いているが、その治療に伴う痛みをごまかすために足に麻酔をかけたままプレーせねばならないこともあるという。この疾患は引退後も彼を悩ませることになるだろうが、記録のためには致し方ないのだろうか。
アメリカのアメフトリーグ、NFLのピッツバーグ・スティーラーズでプレーしていたライアン・シャジア選手だったが、2017年12月、そんな彼のキャリアに事件が起きる。ゲーム中に頭にタックルを受けたシャジアは脊椎を損傷、通常なら一生車いす生活を余儀なくされるような怪我を負ったのだ。
そんな事故があったにもかかわらず、シャジアはリハビリの結果ふたたび歩くことが可能になり、NFLにも感謝の気持ちを述べてすらいる。引退が決まった日、シャジアはこう語った:「アメフトというスポーツを愛していますし、そこから多くのものを受けとりました」
マルコ・ファン・バステンはオランダのサッカー選手だ。ピッチ上のファン・バステンはまるでバレエダンサーのようで、エレガントさと技術の粋を体現していた。だが、自伝『Enough』で、じつは足首が破壊されており耐えがたい痛みがあったことを明かし、多くの人を驚かせた。
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ファン・バステンはこう述べている:「痛みはフィジカルなものだが、当然、メンタルにも大きく影響した。サッカー選手としてのキャリアはまだまだ可能な年齢だったが、自分の可能性を完全に発揮することはできなかった」ファン・バステンは30歳で引退しているが、最後に公式試合に出場したのは28歳の時だった。いまでも、歩く姿からその怪我の影響がうかがえる。
グスタボ・クエルテン、愛称グーガは鮮烈なプレイスタイルで21世紀初頭のプロテニス界を席巻、一年近くランキング1位の座を占めたほか全仏オープンでも優勝。分厚いファン層も抱えこれからテニス界に長年にわたり君臨するかと思われた。だが……
怪我が相次ぎ、体がぼろぼろになってしまったグーガは31歳で引退。ブラジルのウェブサイト「UOL」にグーガはこう語っている:「もう走ることもできません。痛みのない生活を想像することもできないんです。後悔はしていないですけどね。全力を投入しているときは、10年後の自分の生活がどうなっているかなんて考えませんから」
モーターサイクル・レーシングライダーとして華々しい成績を残していたウェイン・レイニーだが、1993年9月5日に事件が起きた。ライバルのケヴィン・シュワンツと500㏄での優勝をかけて競っていた時のことで、奇しくも現場はレイニー得意のイタリア・ミザノのコースだった。
ミザノのコースのコーナーでレイニーは転倒、頭部から落下し頸椎を損傷してしまう。勝負の残酷さか、覇を競っていたシュワンツがその後タイトルを獲得。一方レイニーは生涯にわたる下半身不随が残ることとなってしまった。
フェリペ・マッサはブラジルのレーシングドライバー。2009年にハンガリーGPで200km/h以上の速度で走行中、前を走行するルーベンス・バリチェロの車からスプリングが脱落、不運にもマッサの頭を直撃し、マッサは意識を失ってしまう。
マッサの車は速度を維持したまま壁に激突。マッサは当然ヘルメットを着用していたにもかかわらず頭蓋骨が損傷するという大けがを負ってしまう。マッサはながい治療期間を経て回復、頭に残った傷は紙一重の生還劇を思い出させるものとなっている。
ダーク・ノヴィツキーはドイツ出身のバスケットボール選手。NBAで21シーズン闘ったレジェンドだ。だが、その長期キャリアがノヴィツキーにもたらしたのは栄誉だけではなかった。トニ・クロースのポッドキャストでノヴィツキーはこう語っている:「NBAでの最後の2シーズンは余計だった、という思いが頭から離れません」というのも、ノヴィツキーによれば、長期にわたるプレーの結果、彼の体は感覚が麻痺し、痛みも強いのだという。
ノヴィツキーはポッドキャストで後悔の理由を語っている:「もう少し早く引退していたら、今よりは体が動いたでしょう。子供とサッカーをすることもできたかもしれません。いまではそれもできないんです」
アルバロ・ドミンゲスはスペイン出身のサッカー選手。体が限界を迎えたことで、26歳での引退を余儀なくされた。スペインのアトレティコ・マドリードやドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハでプレーしていたが、その間にも5回もの背中の手術を受け、3か所ものヘルニアの診断を受けた。
2016年に引退した際、ドミンゲスはスペインの新聞『ABC』のインタビューに答えて、以降は普通の生活を送り、療養にもっと気をつかっていきたいと話した。