ナチスドイツの英雄にKO勝ち:黒人ボクサー、ジョー・ルイスの活躍

ジョー・ルイスとは?
幼少期
デトロイトに移住
ボクシングをスタート
ボクサーデビュー
アマチュアボクサーとして
プロに転向
黒人ボクサーに対する偏見
ジョーのイメージ戦略
ボクシングの枠を超えた戦い
世界王者に向かって
マックス・シュメリング
ついに世界王者に
マックス・シュメリングとの再戦
劇的な勝利
ドイツに帰国したマックス・シュメリングは……
タイトル防衛記録
ジョー・ルイスとは?

史上最高のボクサーとされることも多いジョー・ルイス。身長187センチメートル、体重90キログラムという体格は、現在のヘビー級ボクサーたちに比べれば見劣りするが、圧倒的なパワーとテクニックで一時はチャンピオンの座を独占し続けた。しかし、ジョーがもっとも輝きを見せたのはドイツ人ボクサー、マックス・シュメリングとの対戦、ひいてはナチス・ドイツとの闘いだった。

幼少期

1914年にアラバマ州で誕生したジョセフ・”ジョー”・ルイス・バロー。当時の米国南部は奴隷制の風潮をいまだ色濃く残しており、黒人に対する風当たりは収まる気配がなかった。

 

デトロイトに移住

白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の暴力的な活動がエスカレートしたため、一家はジョーが12歳のときにデトロイトに移住。家族の大半はフォード・モーター・カンパニーで働くこととなった。

 

ボクシングをスタート

幼い頃からスポーツにのめり込むジョーだったが、もっとも熱心に取り組んだのはボクシングだった。母は息子がボクシングをすることに反対していたが、ジョーは学業や仕事の合間をぬってトレーニングを続けたという。

 

ボクサーデビュー

ボクサー登録をする際、氏名欄に「ジョー・ルイス」と記入したため、名字のバローや本名のジョセフよりも「ジョー・ルイス」の名で世界に知られることとなった。

 

アマチュアボクサーとして

デビュー後数年間はアマチュアボクサーとして大活躍したジョー。はじめは地元を中心に活動を行っていたが、1933年にはついにアマチュアボクシング全米王者に輝いた。

プロに転向

アマチュアで50勝4敗という戦績を挙げたことで、ジョーの才能は誰の目にも明らかに。したがって、プロ転向は自然な流れだった。1934年7月に行われたプロデビュー戦では、第1ラウンドで対戦相手をノックアウトし、強さを見せつけている。

 

 

黒人ボクサーに対する偏見

ジョーが活躍した20世紀前半の米国ではいまだに黒人差別が横行しており、白人ボクサーの多くは黒人ボクサーとの対戦を拒否していた。そのため、ジョーにとって王者への道のりは険しいものだった。

 

ジョーのイメージ戦略

そこで、ジョーと彼を支えるマネージャーたちは慎重にことを進めることにした。大手プロモーターの協力を取り付けると、「白人女性と一緒に写真に収まらない」「クリーンな私生活、クリーンなファイト」といったモットーを定め、ファンの支持を集める努力をしたのだ。

 

"動くアルプス"

1935年には十数回におよぶ試合を行ったが、これは現代のプロボクシング界では異例の多さだ。そして、ジョーはこの年、イタリア出身のヘビー級元王者プリモ・カルネラとぶつかることになる。”動くアルプス”の異名を持つプリモ・カルネラは身長2メートル弱、体重120キログラムの巨漢だ。しかし、ジョーは第6ラウンドでKO勝ちを果たしたのだ。

 

ボクシングの枠を超えた戦い

ムッソリーニ政権下のイタリアで、プリモ・カルネラはイタリアの理想像と見なされていたため、この試合結果は単なるボクシング以上の意味を持つことになる。そして、ジョーの試合が世界に大きなインパクトを与えたのはこの時だけではなかった。

世界王者に向かって

プリモ・カルネラを破った後、ジョーは続いてマックス・ベアと対戦。マックスは『ワシントン・ポスト紙』から「リング上で北欧のプライドを守る、白人最後の希望」と評されていた。しかし、ジョーはマックスを軽々と倒し、世界王者に向かって突き進んでゆく。

 

マックス・シュメリング

失格勝ちで世界王者となったため軽視されていたマックス・シュメリング。しかし、ボクサーとして劣っているわけではなかった。ジョーは対戦に向けたトレーニングを怠った結果、マックスにあっさり敗北を喫してしまったのだ。

 

ついに世界王者に

しかし、ジョーにはまだチャンスが残されていた。なんとか、ジェームス・J・ブラドックとの対戦を取り付けたのだ。タフなベテラン、ジェームスは第1ラウンドでジョーをノックダウンしたが、次第に消耗。第8ラウンドでついにジョーが勝利を決めた。

マックス・シュメリングとの再戦

ウェールズ出身のボクサー、トミー・ファー相手にタイトルを防衛したジョーは、再びマックス・シュメリングと対戦。当時、マックスは何度もナチ党の思想に異議を唱えていたが、本人の意向とは裏腹に「アーリア人の優越性」を証明するドイツ民族の理想像として祭り上げられてしまっていた。

 

劇的な勝利

1938年6月22日、再びリング上で相まみえたジョーとマックス。この対戦は単なるボクシングの試合ではなかった。アフリカ系アメリカ人王者とナチス・ドイツの英雄がぶつかる象徴的な闘いだったのだ。しかし、ジョーは序盤からマックスを圧倒し、わずか2分でKO勝ちを果たす。

 

ドイツに帰国したマックス・シュメリングは……

世界が見守る舞台で敗北を喫したマックスに対し、ナチ党は態度を一変させ白い目を向けるようになったという。

 

 

タイトル防衛記録

一方、ジョー・ルイスは12年間にわたって世界王座を防衛し続けたが、1949年についに陥落。しかし、ジョーのタイトル防衛回数および年月の記録はいまだ破られていない。それゆえ、ボクシング史上、もっとも偉大なボクサーとして今も記憶され続けているのだ。

 

 

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