バスケ界の伝説、故コービー・ブライアントの父、ジョー・ブライアントが69歳で死去
故コービー・ブライアントの父で、「ジェリービーン」の愛称で親しまれたジョー・ブライアントが逝去したことを、オンラインメディア「ESPN」等が伝えた。享年69。ジョー・ブライアントは元バスケットボール選手で70年代から80年代にかけてNBAで8シーズンにわたり活躍し、その後はイタリアや日本などで選手や指導者として活躍した。
なお、本稿にあるNBAとカレッジバスケットボールに関する統計データはすべて「Basketball Reference」を参考にしている。
ジョー・ブライアントの死因は公表されていないが、彼の出身校であるラ・サール大学男子バスケットボール部の現コーチ、フラン・ダンフィが『ザ・フィラデルフィア・インクワイアラー』紙に語ったところによると、ジョーは最近、重度の脳卒中に見舞われていたとのこと。
米バスケ史上最もユニークなニックネームのひとつ、「ジェリービーン」。ジョーにこのニックネームがついたのはフィラデルフィアのジョン・バートラム高校に在籍していた頃だと言われている。189cmという高身長にもかかわらずコート上で自由自在に動き回ってたことから、チームメイトが彼をこう呼び始めたと『ロサンゼルス・タイムズ』紙が伝えた。
ジョー・ブライアントは1954年10月19日、ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれた。若いころからバスケットボール界で頭角を現し、大学卒業後は地元チームのフィラデルフィア76ersで活躍、後に母校のバスケットボール部で指揮を執った。
ジョーは、息子コービー・ブライアントも所属していたローワー・メリオン高校バスケットボールのコーチをしていた。当時チームメイトだったダグ・ヤングはオンラインメディア「ESPN」に対し、「ジョーは監督として僕たちに、言葉では表せないほどの影響を与えたんだ」と語っている。
ジョー・ブライアントは地元のラ・サール大学に進みバスケットボール部に在籍。2年生と3年生のときに1試合平均20得点、11リバウンド以上を記録している。
ジョーは1975年のNBAドラフト全体14位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名されたものの、ジョーの代理人とチームの交渉が決裂。シーズン直前になりフィラデルフィア76ersに入団が決まった。『ニューヨーク・タイムズ』紙等が伝えている。
ジョー・ブライアントはフィラデルフィア76ersで4シーズンを過ごした後、サンディエゴ・クリッパーズで3シーズン、ヒューストン・ロケッツで1シーズンを過ごした。NBAにおける8年のキャリアを通じて1試合平均9得点弱、4リバウンドを記録している。
NBAを去った後、ジョー・ブライアントはイタリアのリーグ「レガA」のリエティに入団。『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば1試合平均35点という驚異的な成績を収めたという。そしてジョーの息子であるコービー・ブライアントは、スコアラーとして活躍する父の姿を目の当たりにしながらイタリアで少年時代を過ごした。
イタリアリーグでは週に1試合しかプレーしなかったジョー・ブライアントは、『ニューヨーク・タイムズ』紙にこう語っている:「アメリカでは試合で各地をまわって家を留守にしてばかりだったが、イタリアに来てすっかり家庭人になったよ。それに、子供たちが何にでも意欲的でイタリア語もしっかり話すようになって感銘を受けているんだ」
2010年、コービー・ブライアントは前述のメディア「ESPN」に対し、父親は「偉大なバスケットボールマインドの持ち主」であり、「自分が幼い頃から試合の見方や試合前の準備やその方法について教えてくれた」と語っている。
ジョー・ブライアントはスポーツ指導者としての才能にも恵まれていたようだ。『ニューヨーク・ポスト』紙によると、フィラデルフィアのコーチを務めながら息子コービーの指導に取り組み、日本とタイのチームも指導しつつ、女子プロバスケチームであるロサンゼルス・スパークスの指揮も執っていた。
しかし、ジョー・ブライアントと息子コービーの関係は、コービーが大人になるにつれて緊迫したものとなっていったようだ。『デイリー・メール』紙を始めとするメディアによれば、ジョー・ブライアント夫妻はコービーとやがて妻となるヴァネッサとの交際に反対しており、二人の結婚式にも出席しなかったという。
コービーは2016年に「ESPN」に対し、両親とは3年前から言葉を交わしていないと語っている。両親に「いい家を買ってあげよう」と提案したところ、「この物件はいまひとつだ」といわれたというのだ。また、ジョー・ブライアントは長年にわたり、コービーが獲得した記念品の一部を本人の許可なく売却していたとされ、コービーから訴訟を起こされている。
『Fox Sports』等のメディアによれば、コービー・ブライアントはNBAを引退してから父親とのギクシャクした関係を修復しようと積極的に働きかけたようだ。「コービーは現役を引退してから両親と再会を果たし、子供たちも祖父と一緒に過ごしている。親子関係はデリケートだったが、そうした時期を乗り越えたんだ」
しかし、2020年1月にコービーと次女のジアナが搭乗していたヘリコプターが墜落して命を落とすという悲劇が起こった。それ以来、ジョー・ブライアントは公の場にはめったに姿を見せなくなったと『ABCニュース』が伝えている。ジョー・ブライアントの冥福を祈ろう。