スポーツクライミングの楢崎智亜選手(28)、東京五輪のリベンジを狙うも準決勝で敗退
スポーツクライミングの楢崎智亜選手が、東京五輪に続いて2大会連続で五輪出場した。4位で終わった前回の雪辱を払うべく壁に挑んだ楢崎選手の幼少時からキャリアまでを振り返ってみよう。
東京2020大会から五輪競技となったスポーツクライミング。壁を登る速さを競う「スピード」、登った課題の数を競う「ボルダリング」、制限時間内にどこまで登れるかを競う「リード」の3種目ある。
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このスポーツクライミング界を長きに渡って牽引しているのが楢崎智亜選手だ。驚異的な身体能力とダイナミックで独創的なムーブから、海外では「ニンジャ」と呼ばれている。
『東京新聞』によれば、栃木県宇都宮市に生まれた楢崎選手は、幼稚園の頃から器械体操を習い、兄の影響で小学4年生からクライミングのジムに通い始めたという。
高校3年でプロ入りを決意した楢崎選手。しかし、当時のスポーツクライミングはメジャースポーツではなく、五輪種目でもなかったため家族から反対されたと『産経新聞』のインタビューで語っている。
プロ入りの翌年にあたる2016年、ワールドカップのボルダリング種目で、楢崎選手は日本人男子初となる世界ランキング1位に輝いた。
『産経新聞』によれば、ボルダリングの第一人者である楢崎選手は「トモア・スキップ」と呼ばれる新技のショートカットを生み出した。複数の選手が取り入れたことで、競技のタイム短縮に一役買ったという。
楢崎選手には3歳下の弟がいる。兄と同じく日本を代表するスポーツクライマーで、2017年と2018年の世界ユース選手権を制し、2018年のアジア選手権で優勝していた。
二人は2019年の世界選手権に出場し、兄弟揃って複合男子決勝まで進んだ。このときは智亜選手が大会を制し、日本勢最上位となり東京五輪代表の切符を手にした。兄弟で五輪出場を目指していたが、弟の明智選手は5位に終わり願いは叶わなかった。
2021年、金メダルの最有力候補として東京五輪に出場した楢崎選手。「NHKニュース」によれば「オリンピックで活躍すればクライミングの知名度が上がり、もっと注目されるようになる......活躍することが僕の使命」とクライミング界を背負って大舞台に臨んだという。
しかし、序盤で自身が考案した「トモア・スキップ」で足を滑らせるなど、まさかのミスを連発。4位に終わりメダルにも届かなかった。
「むちゃくちゃ悔しい......反省点が多い大会になってしまって本当に残念。会場や選手の空気感が全然違って、いつも通りのパフォーマンスを出すのが難しかった」『日刊スポーツ』紙が楢崎選手のコメントを報じた。
五輪終了後、楢崎選手は結婚を発表。お相手は同じく東京五輪スポーツクライミングの女子代表で、銅メダルを獲得した野口啓代選手だ。クライミング界のビッグカップル誕生に多くの祝福の声が寄せられた。
2023年、二人の間に第1子となる女の子が生まれた。楢崎選手は『読売新聞』でこう語っている:「今年は5月に長女も生まれています。それだけでクライミングの力が上がるわけではないけれど、家族が増えたことで日々の練習や生活の中で、自分の意識や気持ちの部分が上がったと思います」
さらにこう続けた:「妻は五輪で銅メダルに輝きましたが、当時、選手としてのピークはもう過ぎていた状況で、しっかりとメダルを取ったのは純粋に競技者としてすごいと思います」
2023年の世界選手権で総合3位となり、パリ五輪行きを決めた楢崎選手が『朝日新聞』で意気込みを語った:「前回は『自分が一番強い』と思って臨んだ五輪でした。でも今は、多くのライバルが自分の背中を追いかけ、追い越そうとしている状況です。だからこそ、チャレンジの気持ちを大切にしています」
様々なメディアで「東京五輪が一番悔いの残る大会だった」と語っている楢崎選手。東京五輪の悔しさをバネにパリ大会に挑んだものの、惜しいところで落下、準決勝敗退となった。