世界選手権王者、バドミントンの山口茜選手
2021年と22年のバドミントン世界選手権覇者、山口茜選手がパリ五輪代表の座を確実にした。リオ五輪と東京五輪に続き、3大会連続での五輪出場となる。今回は日本女子バドミントン界のエース、山口選手をおっていこう。
1997年に福井県で生まれた山口選手(26歳)は、3歳の時に2人の兄の影響でバドミントンをはじめた。
幼い頃から抜群の運動センスをもち、3歳の時には親にせがんで自転車の補助輪を外してもらい、1日で乗りこなしていたと、『スポーツニッポン』紙が報じている。
『バドミントン・マガジン』誌によれば、山口選手はすぐに頭角を現し「スーパー小学生」として注目を集めていたという。全国小学生大会のシングルスでは、4連覇を果たしている。
中学生の時に史上最年少の15歳で日本代表に選ばれた。高校1年生になると世界大会を制す偉業を達成。当時世界ランキング145位だった山口選手が、ヨネックスオープンジャパンで世界の強敵を撃破し金メダルに輝いたのだ。16歳でのスーパーシリーズ制覇は、史上最年少の快挙だった。
2016年、はじめて出場したリオ五輪で、山口選手は決勝トーナメント1回選で日本のWエース奥原希選手と対戦し敗北を喫してしまう。奥原選手は同大会で3位となり、日本史上初となるシングルスのメダルを獲得した。
高校卒業後は進学せず、再春館製薬所に入社することになった。日本リーグ女子1部に所属するトップクラスの実業団だ。
2018年4月、山口選手は世界ランキング1位にまでのぼりつめた。シングルスの日本人選手がランキングの頂点に立つのは、男女を通して初めてのことだった。
大きな期待を一身に背負って挑んだ東京五輪。しかし、準々決勝で敗退してしまう。リオ五輪から2大会連続での8強止まりとなった。
『西日本スポーツ』紙で当時をこう振り返っている:「(敗戦を)どう消化していいのか難しかった。やり切ったのかも分からなかった。次に何を目指すか、自分の中ではすぐにはっきりしなかった」
『読売新聞』によれば、東京五輪は普段にはない重圧を感じ、自分らしいプレーができなかった。結果を受け入れるのは難しいが、「どんな状況でも自然体で楽しめるメンタル」が重要なことを学んだという。
また、コロナ渦の間に母親と当時6歳だった自分のラリー風景をDVDで見て、楽しむことの大切さを再認識したという:「バドミントンを始めた時は、シャトルに当たって次につながるのが『喜び』だったな。なのに、いつからか自分にとってラリーが『我慢』になってしまっているな......」
こうしてバドミントンを楽しむことをモットーにした山口選手の快進撃が始まった。世界選手権を連覇し、伝統ある全英オープンで初優勝。2022年の世界女子年間再優勝選手にも選ばれた。
TV番組「サンデーLIVE!」によれば、山口選手の趣味は「ナノブロック」で、時間があれば一日中やっているという。しかも腕前は、コンテストの特別審査員を務めるほどなのだそう。
また、同番組でグリップエンドの秘密を明かしている。書かれているアルファベットは全て家族のイニシャルで、「例えば昨日お父さんで調子が良かったから、今日もお父さんでいこうとか。昨日はお父さんでミスが多かったから、今日はお母さんにしようとかいう感じで選んでいます」
五輪では思うような結果を残せずにいる山口選手。パリ五輪では、3度目の正直で素晴らしいプレーをみせてくれるに違いない。その時はグリップエンドのイニシャルにも注目してみよう。