柔道の絶対王者、阿部一二三選手がパリ五輪で二連覇を達成するまでの軌跡
柔道男子66キロ級の阿部一二三選手がパリ五輪で金メダルを獲得した。東京五輪を制した後は全ての国際大会で優勝を飾り、絶対王者としてパリ五輪に臨んでいた。
阿部選手の妹、詩選手も東京五輪の52キロ級で金メダルを獲得しており、パリ五輪では兄妹での五輪連覇が期待されていた。しかし、詩選手は2回戦でまさかの敗退を喫してしまう。
『Sportiva』誌によれば、ウォーミングアップ会場で妹の敗戦を映像モニターで見ていた阿部選手は、顔にはださなかったが実は動揺していたという:「最初は信じられなかったし、正直、泣きそうにもなりました。妹が悔しがって泣いている姿を見て、僕も感情をどうしたらいいのかなと思った......」
しかし、それ以上に「僕が金メダルを獲らないで誰が獲る」「妹の思いも背負って最後まで戦いにいこう」と覚悟を決め「泣くのは今ではないと思ったし、ある意味あれで開き直れた。『もうやるしかない。思いきってできる』という気持ち」になったという。『Sportiva』誌が伝えた。
1997年8月9日に生まれ、6歳で柔道をはじめた阿部選手。努力家だが穏やかな性格で、技ひとつ覚えるのに時間がかかったため、中学生になるまで全国大会へ出場することはなかったと、『毎日新聞』が報じている。
しかし、中学へ入学すると頭角を現しはじめる。全国大会を制するようになり、アジアユースでも優勝。将来の日本代表エースとして大きな期待を寄せられるようになった。
『東京スポーツ』紙によれば、地元の高校に進学したことで阿部選手は更に強くなったという。柔道の強豪校でないからこそ、試合前になると全ての練習が阿部選手を中心に組まれることで万全の準備をすることができた。仲間のサポートを受けることで、精神的にも成長したという。
2014年、高校2年生の時に史上最年少で「日本代表の登竜門」と位置づけられている講道館杯を制した。ちなみに高校生での優勝は10年ぶり4人目だった。さらに同年のグランドスラム・東京でも、史上最年少で優勝を成し遂げる。
憧れは同じ軽量級で、五輪柔道史上初の3連覇を成し遂げた元日本代表の野村忠宏(のむら ただひろ)氏だ。『サンケイスポーツ』紙によれば、野村氏は阿部選手のことを「体の強さがあって、ぶれない。多少、強引でも投げ切る力が備わっている」と絶賛しているという。
高校3年生になると阿部選手の元に強豪大学からの勧誘が殺到した。『デイリー新潮』誌によれば「環境を変えて、東京でゼロから大学生活をスタートさせたい」という思いから日本体育大学への進学を決めたという。
2017年、大学2年生の時に初めて出場した世界選手権で優勝。翌年も同大会を制し2連覇を達成した。さらには妹の詩(うた)選手も勝利したことで、兄妹揃ってのW優勝となった。
一二三選手が大会を制すると、妹の詩選手が後に続く。二人は優勝を積み重ね、いつしか兄妹揃って東京五輪の絶対的エースとみなされるようになっていた。
しかし、一二三選手に強力なライバルが出現する。2連覇していた世界選手権で、丸山城志郎選手に敗北を喫してしまう。その後も丸山選手に連敗したことで、東京五輪代表の座が危うくなってしまった。
コロナ渦により五輪代表を決定するための国際大会が中止となってしまう。そこで2020年12月、異例となる一騎打ちでの代表決定戦が行われることになった。その結果、24分におよぶ死闘を制した阿部選手が、東京五輪代表の座を手に入れた。
待望の東京五輪で、一二三選手は妹の詩選手と共にオリンピック史上初となる兄妹同日金メダルを達成した。『スポニチ』紙にこう語っている:「......畳の上ではガッツポーズとか、笑顔でいいのかな、とやる前は思っていたけど、いろいろなことを考えると、今はたくさんの思いが込み上げてきた」
オリンピックの試合後に出演したTBS「ひるおび!」で、阿部選手は勝負アイテムについてこう語った:「小学校の時、初めて試合に出た時くらいから赤のスパッツで試合に出ています。お母さんが赤色のものを身に着けると闘争心がすごいわくと言うので......気持ちが高まります」
金メダリストとなってからも、阿部選手の勢いは止まらなかった。国際大会で黒星なし。2022年と23年の世界選手権では、2年連続で丸山選手と決勝戦で対決し、みごと勝利を手にしている。
東京五輪は最後の最後に代表の座を獲得したが、世界選手権でライバルの丸山選手を直接対決で下したことで、全競技を通じて史上最速の一番乗りでパリ五輪への切符を手にした。
一二三という名前は「一歩一歩進んでいってほしい」という両親の思いから付けられたという。その名の通り、一歩一歩努力を積み重ねた阿部選手が、国民の期待と妹の悔しさを一身に背負い、五輪二連覇を達成した。