プレッシャーをはねのけてフェンシング男子フルーレ団体が金メダルを獲得!
パリ五輪におけるフェンシング競技の最終日、日本の男子フルーレ団体が金メダルを獲得した。これにより今大会のフェンシング日本勢のメダル数を5つにのばし、まさに黄金期が到来した。
長い五輪の歴史の中で、フェンシング日本勢がメダルを得たのは3回。ところがパリ五輪では1大会だけで5つのメダル、さらには出場した団体種目の全てでメダルを獲得するという歴史的快挙を達成した。
(写真は銀メダルとなった男子エペ団体)
フェンシングのフルーレは日本で最も競技人口が多く、得意種目とみなされている。また、男子フルーレ団体は現在世界ランキング1位で、金メダルの大本命とされていた。そんな中、パリ五輪でフェンシング日本勢は大躍進をみせ、すべての種目で連日のようにメダルを獲得。最後に試合が行われるフルーレ団体のメンバーはプレッシャーにおしつぶされそうになっていたという。
「Olympics.com」のインタビューで、男子フルーレ団体のキャプテンを務める松山選手がこう語っている:「......僕ら精神的にものすごい追い込まれていて、苦しくて、プレッシャーがあって、メダルなしじゃ日本帰れないなと思っていた」
そんな重圧をはねのけて、男子フルーレ団体は準決勝に進出、東京五輪の王者であるフランスを下した。続く決勝では世界ランキング2位のイタリアを45対36で破り、みごと金メダルを手にした。こうして、東京大会からさらなる飛躍を遂げたフェンシング日本代表は、最高の形で五輪を締めくくることになった。
1896年の第1回近代五輪アテネ大会から競技種目となっているフェンシング。フルーレ、エペ、サーブルの3種目あり、幅約2m、長さ14mの細長いコート上で試合が行われる。また、種目により剣の形状や得点となる有効面が異なる。
「Olympics.com」によれば、フルーレは先に攻撃を仕掛けた側が「優先権」、つまり相手を「攻撃する権利」を手にする。それに対し、剣先を払うなどして相手の攻撃を阻止することで「優先権」を奪うことができる。また、得点になる範囲の「有効面」は背中を含む胴体だけで、突きだけが有効になるという。
パリ五輪で男子フルーレ団体のメンバーに選ばれたのは、松山恭介(まつやま きょうすけ)選手、敷根崇裕(しきね たかひろ)選手、飯村一輝(いいむら かずき)選手、永野雄大選手だ。
NHKのWebサイトによれば、松山選手は27歳で東京都出身。巧みな剣さばきを主体にしたディフェンスの強さが持ち味だという。五輪メダリストの太田雄貴選手が現役を引退してから、男子フルーレ団体のキャプテンを務めている。
大分県出身27歳の敷根選手はフェンシング一家に生まれた。父親はフェンシングの日本代表、母親も国体選手で、6歳の時にフェンシングを始める。父親譲りの剣先を下げて前進する独特のスタイルを持つ。Olympics.comが伝えた。
画像:Instagram, @shikine_fencing
京都府出身21歳の飯村選手は「ノエビアグリーン財団」のインタビューで自身の強みをこう語っている:「一瞬で相手との距離をゼロにできるスピードです。海外選手と比べ身長が低く小柄な点を活かし、相手の懐に瞬時に潜り込みます。また、剣を自身の腕の延長のように、自由に繊細に操るスピードも負けないと自負しています」
画像:Instagram, @kazuki_12.27
永野選手は茨城県出身の26歳。東京五輪に続きパリ五輪の切符を手にした。『スポーツ報知』紙によれば、結果が出ず苦しんだ時もあったが重点的にフットワークを改善し、2022年のW杯個人戦で銅メダルを獲得。日本勢7年ぶりとなる表彰台に昇ったという。
画像:Instagram,@fje_fencing
男子フルーレ団体が初めて金メダルを手にしたのは、2023年7月にイタリアで開催されたフェンシング世界選手権。『読売新聞』によれば、フルーレ団体の金メダルは五輪、世界選手権、そして男女を通じて初だったという。
画像:Instagram, @kazuki_12.27
さらに、同年の世界ランキング年間1位にも輝いた。そして、2024年2月に開催されたフェンシングワールドカップでは銀メダルを獲得している。
金メダル最有力候補として臨んだパリ五輪で、男子フルーレ団体は見事に期待に応えてみせた。五輪におけるメダルは2012年ロンドン大会の銀メダル獲得以来、そして金メダルはフルーレ史上初となる。