ピアニストやモデルとしても活躍……多才なテニス選手、ダニエラ・ハンチュコバの現在は
一時はテニス界を席巻し国際的スターとなった、スロバキア出身のテニス選手ダニエラ・ハンチュコバ。ランキングでは最高で5位にまで達し、女子テニス協会(WTA)ツアーでの優勝回数も多い。そんな彼女のキャリアを振り返ってみよう。
ハンチュコバは1983年4月23日、スロバキアのポプラトで生まれた。
テニスを始めたのは、自身かつて優れたプロテニス選手だった祖母ヘレナの影響だったという。
そして1999年にプロデビュー。徐々にランキングを登っていった。
そして2000年から2001年にかけてテニス界で頭角を現し始める。まずストラスブールでの大会で準々決勝進出、続いてアメリカでの室内テニス大会で準決勝に進出した。
2001年にはさらに、レオシュ・フリードルとのペアでウィンブルドンの混合ダブルスで優勝を果たす。
続く2002年はハンチュコバのキャリアが輝き始めた年だ。全豪オープンのダブルスではアランチャ・サンチェス・ビカリオとともに決勝に進出。だが、惜しくもマルチナ・ヒンギスとアンナ・クルニコワのペアに敗れてしまう。
だが、同じ年の全豪オープン混合ダブルスではケビン・ウリエットとのペアで見事優勝を果たす。
シングルスでもインディアンウェルズ・マスターズで当時最高の選手だったマルチナ・ヒンギスを破って優勝。ハンチュコバ初のWTAタイトルとなった。以降2002年は最後まで高い水準でのプレーを継続。ウィンブルドンや全米オープンでも準々決勝に進出した。
2002年には国別対抗戦のフェドカップでスロバキアチームの一員としてプレー、優勝に貢献してもいる。ちなみに、2005年にも男女混合国別対抗戦のホップマンカップで優勝している。
だが、続く2003年はハンチュコバにとって難しい年となってしまった。ランキング5位にまで達したが、両親の離婚や、拒食症など自身の健康状態に関する噂の流布などに悩まされた上、コーチのナイジェル・シアーズとも決別してしまう。
だが、2005年にはそういった苦境を乗り越え、ふたたび全仏・全米の混合ダブルスで優勝を果たし、混合ダブルスでのキャリアグランドスラムを達成する。
ハンチュコバは女子ダブルスでも好成績を残している。惜しくもすべて準優勝となってしまったが、4大大会では3回決勝に進出している。
女子ダブルスでは日本人選手の杉山愛とのペアも印象的だ。4大大会の決勝進出3回のうち、2回は杉山とのペアだった(2006年全仏、2009年全豪)。
ダブルスでの好成績も印象的だが、多くの人の記憶に残っているのはシングルスで活躍する姿だろう。WTAツアーではインディアンウェルズ2回やタイオープン1回を含む、計7回優勝している。
2008年には全豪オープンシングルスでベスト4入り。4大大会のシングルスではこれが最高成績となった。
ハンチュコバはそれからもプレーを継続し、2017年7月6日に引退を表明した。
じつは、ハンチュコバにはテニスプレーヤーだけでなく、ピアニストとしての顔もある。YouTube上で彼女の華麗な指さばきを見ることができる。
さらに、ハンチュコバにはモデル経験もある。2009年には、同じくテニス選手のマリア・キリレンコやタチアナ・ゴロビンとともに『Sports Illustrated』誌の水着特集に登場している。
さらに、2012年にはスペイン誌『The Body Issue』でかなり大胆なショットを披露している。
引退したハンチュコバは現在テニス解説者としてスポーツ番組やエンタメ番組で活躍中だ。
そんなハンチュコバはいまはモナコのモンテカルロ在住。優雅な引退生活を送っているようだ。