ピッチで心停止に襲われたサッカー選手たち
サッカーは高い心肺機能を要求するスポーツだ。選手たちはあいだに一度の休憩をはさみ、90分間ピッチの上を駆け回らなければならない。
サッカーはアメリカンフットボールや野球と異なり、試合を止めて作戦タイムをとることができない。つまり、サッカー選手はハーフタイムをのぞいては、ボールがピッチの外に出たときや、セットプレーの際に息を整えるくらいしかできず、その体力はぎりぎりまで試されることになる。
だからなのか、まれにではあるが、心臓がその負担に耐えきれなくなり、数千のファンが見守るなか、ふいに選手がピッチにくずおれるという不幸なできごとが起きている。
そんな場合も、医療チームがすぐさま動き、選手が息をふきかえす場合が大半だ。しかしときには、選手たちは思いがけず、早すぎる死を迎えている。
このような事故が起きると、私たちは改めて思い知らされることになる。プロのサッカー選手にかかる心身のストレスは途方もなく、彼らは試合のたびに文字どおり命懸けでプレーしているのだと。
今回は試合中やトレーニング中に心停止となったサッカー選手たちを振り返ってみよう。
ファブリス・ムアンバは1988年生まれ、ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の出身で、イングランドのボルトン・ワンダラーズでプレーしていた。ムアンバが心停止となりピッチにくずおれたのは、2012年のFAカップ準々決勝、トッテナム・ホットスパー戦の前半42分のことだった。
倒れたムアンバをすぐに医療チームが取り囲み、人工呼吸やAEDの応急処置を試みた。心臓は停止してから78分後にようやく再び動きはじめた。医師の勧めもあって24歳のムアンバはサッカー選手を引退し、スポーツジャーナリスト、そしてコーチの道を歩んでいる。
マルク=ヴィヴィアン・フォエは1975年生まれ、カメルーン出身。2003年6月26日、FIFAコンフェデレーションズカップ2003準決勝のカメルーン対コロンビア戦、試合開始から72分で突然意識を失い、そのまま二度と目を覚ますことはなかった。
マルク=ヴィヴィアン・フォエが倒れたとき、やはり迅速な処置が施された。ひたむきな心肺蘇生が45分間行われたという。スタジアム内のメディカルセンターに運びこまれたとき、フォエはまだ存命だったが、まもなく亡くなった。彼が当時所属していたクラブであるマンチェスター・シティはその死を悼み、彼の背番号である23を永久欠番とした。
クリスティアン・エリクセンは1992年生まれ、デンマーク出身のミッドフィールダー。2021年開催の「UEFA EURO」の試合中に心停止で倒れた。デンマーク対フィンランド戦で、スローインのボールを受けたところだった。
クリスティアン・エリクセンは無事に回復し、手術で植込み型除細動器(ICD)を体内に植えこんだ。もしまた心臓がおかしな挙動を見せた場合の、突然死を防ぐ装置である。彼はいま、マンチェスター・ユナイテッドに所属している。
シェイク・ティオテは1986年生まれ、コートジボワール出身。中国のクラブに移籍する前はイングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCに所属し、わすれがたい多くの瞬間を演出した。
シェイク・ティオテが中国の北京北体大足球倶楽部に移籍したのは2017年2月のことで、同年6月、トレーニング中に心停止を起こし、救急搬送先で亡くなった。祖国のコートジボワールでは軍葬が執り行われた。
アントニオ・プエルタは1984年生まれ、スペイン出身。地元セビージャFCの左サイドバックとしてプレーした。2007年8月25日、ラ・リーガのヘタフェCF戦の35分に心停止を起こす。
その後、意識を回復したプエルタは歩いてロッカールームに向かうも、そこで再び倒れた。搬送先の病院では医師たちが手を尽くして蘇生をこころみた。しかしその措置もむなしく、3日後の8月28日にアントニオ・プエルタは息をひきとる。