相手を震え上がらせたサッカー選手たち
サッカー選手にもいろいろなタイプがあるが、なかでも人一倍血の気が多く、アグレッシヴなプレーを得意とする選手もいる。そうしたプレーは時に相手を震え上がらせたと、実際に怪我を負わせてしまうこともある。
そのような選手は、スポーツマンシップにのっとった紳士的なふるまいをするのが苦手なことが多い。さて、具体的にはどの選手がこのタイプにあてはまるだろうか?
マンチェスター・ユナイテッドFCの主将をつとめたロイ・キーンは、プライドの高い男で、こせこせとしたやり方を好まなかった。1997年にアルフ・インゲ・ハーランド(アーリング・ブラウト・ハーランドの父)からタックルを受けて前十字靭帯を負傷したことがあったが、2001年にはそのお返しとばかり、ハーランドに激しいタックルをくらわせた。ハーランドは左膝を負傷し、それがもとで引退に追い込まれてしまったのだった。
ACミランのレジェンド、ジェンナーロ・ガットゥーゾは、相手選手を大声で怒鳴りつけるだけでなく、チームメートがふがいないプレーをしたときにはそのチームメイトも怒鳴りつけた。
ヴィニー・ジョーンズは1965年生まれ、イングランド出身の元サッカー選手で、現役引退後は俳優になった。ジョーンズはウィンブルドンFCに在籍していたとき、ニューカッスル・ユナイテッドFC戦で相手選手ポール・ガスコインの股間をつかんだ事件で有名。
レアル・マドリードの歴代センターバックとしてその名を刻むぺぺは、相手選手を容赦なく迅速に排除する。ただ、ときにはまるで暴力のような振る舞いに及ぶこともあり、例えば2009年のヘタフェ戦では、ピッチに横たわるハビエル・カスケロを蹴りつけている。
ぺぺのチームメイトであり、こちらもレアル・マドリードのレジェンドであるセルヒオ・ラモス。卓越した技術と不屈の闘志を持つ選手で、リーガ・エスパニョーラにおける最多退場回数を誇る。
イタリア人のサッカー選手、マルコ・マテラッツィは、2006年W杯決勝戦でジダンの頭突きをくらった選手である。トラッシュ・トークが予期せぬ反撃を招いてしまった事件だ。
セビージャFCのレジェンド、ハビ・ナバーロ。RCDマジョルカ戦でフアン・アランゴの頭に肘鉄をくらわせ、一時生死のふちをさまよわせた。この肘鉄を見て憤慨したディエゴ・マラドーナは、ナバーロを刑務所に入れろと言ったという。
セビージャFCのセンターバック、パブロ・アルファロは、チーム加入時にはすでにベテランの域に達していたが、ハビ・ナバーロとの最恐コンビで相手選手を激しくマークした。キャリア通算で18枚のレッドカードをもらっている。
トニー・アダムズは22歳のときにはすでにアーセナルFCの主将を任され、その後チームの黄金時代を支えた。ピッチの外でも存在感にあふれており、夜は盛場で楽しく過ごし、飲酒運転で3ヶ月収監されたこともある。
オランダ出身のナイジェル・デ・ヨングのラフプレーはきわめて悪名高い。彼は2010年ワールドカップ南アフリカ大会の決勝戦で、シャビ・アロンソの胸に飛び蹴りを加えたが、審判がそのプレーを見ていなかったためにイエローカードで済んでしまった。
オランダ史上屈指のディフェンダーと評されるヤープ・スタムは、191cmの長身と、ジェームズ・ボンド映画に出てくる悪役のような面構え、そしていかついスキンヘッドがトレードマークである。バックラインで体を張り、相手の攻撃を阻んだ。
このスコットランド代表ミッドフィールダーは、相手選手を威嚇するために頭を剃っていたことを認めた。その目論見どおり、相手選手に首尾よく恐怖を植え付けた。
オランダのマルク・ファン・ボメルは、よく躾けられた猟犬のようにボールに飛びかかり、ボールを奪うか相手選手がピッチに倒れるかしないうちは追撃の手を緩めようとしなかった。そのしつこいディフェンスをかわせたのはほんの一握りの選手である。たとえば、2010年W杯決勝でゴールを決めたときのイニエスタがそうだった。
バイエルン・ミュンヘンの伝説的守護神、オリバー・カーン。試合中は相手選手に怒鳴り散らし、味方にげきを飛ばしまくった。オリバー・カーンの熱い視線は、敵陣深いところまで到達し、味方選手を奮い立たせたものだった。
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