フィギュア現役を引退した宇野昌磨:栄光のキャリアとプロフィギュアスケーターとしての活躍
フィギュアスケートの2024-25年シーズンの開幕に向けた会見が行われ、フジテレビ系フィギュアスケートスペシャルアンバサダーに宇野昌磨が就任したことが発表された。
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宇野昌磨は元フィギアスケート選手で2024年5月に引退を表明し、現在はプロフィギュアスケーターとして活躍している。
プライベートでは、かねてから交際を公言している本田真凛との交際も順調のようだ。本田真凛は2024年1月に引退を表明した元スケーター。世界ジュニア選手権(2016年)で優勝するほどの実力者で、『家政婦のミタ』で人気者となった女優、本田望結の姉としても知られている。
2022年1月に熱愛が発覚してから二人は正式に交際を認め、テレビや自身のSNSで仲睦まじい様子を発信していた。本田望結のYouTubeチャンネル「本田姉妹やで」に二人揃って出演した際にも熱々ぶりを披露している。今回はそんな宇野の生い立ちから引退までの軌跡を追って行こう。
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1997年に愛知県で生まれた宇野は、未熟児だったほか、幼少期はぜんそくで入退院を繰り返していた。そのため、両親は宇野の体を強くしようと様々なスポーツを体験させたという。『中日新聞』が報じた。
教育関係団体「子ども応援便り」のサイトによれば、宇野がスケートを始めたきっかけは浅田真央だという。5歳の時に訪れたスケート教室で、浅田に「一緒にやろうよ」と誘われた。「練習していた浅田真央さんをよく追いかけまわしていましたが、よく考えたら練習の邪魔をしていた、と後で気が付きました」
こうして宇野は、浅田と同じ山田満智子コーチの門下生となった。山田コーチは、女子フィギュアスケート史上初めてトリプルアクセルを飛び、1992年のアルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得した伊藤みどりを育て上げたことで知られている。
小学生時代から全国優勝を重ね、天才少年と騒がれていた宇野。しかし中学生になると大きな壁にぶち当たってしまう。男子シングルの選手として重要なトリプルアクセルがどうしても飛べなかったのだ。
教育関係団体「子ども応援便り」のサイトによれば、先輩の無良崇人(むら たかひと)から「先に4回転トウループを練習してみたら」とアドバイスされた。意外にも直ぐ跳ぶことができ、その後はあれほど苦戦していたトリプルアクセルも嘘のように跳べるようになっていたという。
こうして4回転トウループとトリプルアクセルを習得した宇野の快進撃が始まった。2014年の全日本選手権で2位になると、続く世界ジュニア選手権ではショートプログラムでジュニア史上初となる80点台を叩きだして優勝。
2015-16シーズンはシニアクラスへ移行し、グランプリシリーズ初参戦でエリック・ボンパール杯を制した。さらにはグランプリシリーズ全6戦の成績上位者だけが出場できるグランプリファイナルで銅メダルを獲得。デビューシーズンにグランプリファイナルでメダルを獲得した男子シングル初の選手となった。
2017年の世界選手権はショートとフリーの両方で自己ベストを大きく更新し、銀メダルを獲得した。1位となったのは羽生弓弦だった。
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2017-18シーズン、全日本選手権で2連覇を果たし、平昌オリンピック代表に選ばれた。羽生は怪我のため、2年連続で全日本選手権を欠場していた。
初出場の平昌オリンピックで、宇野は銀メダルを獲得した。金メダルに輝いた羽生とともに、日本フィギアスケート史上初となる五輪ワンツーフィニッシュを決めた。
平昌オリンピック直後の世界選手権で2年連続の銀メダリストとなるも、翌シーズンは怪我の影響で思うような成績を残せなかった。そんな中、ステファン・ランビエールコーチに師事することを発表。ランビエールコーチはトリノ五輪銀メダリストで、世界選手権を2度制したことがある。スピンと芸術性の高さで知られ、日本にも多くのファンがいる。
2019年、宇野は全日本選手権で4連覇を果たした。この大会が特別なものとなったのは、羽生との直接対決で初めて勝利を手にしたからだ。
メダリスト会見で宇野はこう語っている:「僕にとってのスケート人生の大きなひとつの目標を、皆さんはオリンピックと思っていると思うんですけれども、僕にはそれ以上に羽生選手といつか同じ立場で戦って、一度でいいから勝ってみたいという目標があった。それだけ僕にとって、すごく大きな特別な存在。本当に今回の結果は偶然のところがたくさんあると思うんですけれども......」
2021-22シーズン、北京オリンピックのショートプログラムで自己ベストを更新し、フリーでミスが出たものの銅メダルに輝いた。『スポーツ報知』によれば、オリンピックで連続してメダル獲得は羽生に次いで日本フィギュア史上2人目、団体戦も含めてオリンピックでのメダル3個は日本フィギュア史上最多だという。
2019年の世界選手権で、宇野は4種類の4回転ジャンプを5本成功させ初優勝を果たした。『東京新聞』によれば、これまで世界選手権に6度出場したが、2度の銀メダルが最高順位だった。世界選手権での男子シングル優勝は、高橋大輔、羽生弓弦に次いで3人目だという。
2022年7月、「史上最高の男子フィギュアスケート選手」と称された羽生弓弦が、27歳で引退を発表した。
『日刊スポーツ』紙が、プロ転向を表明した羽生に向けた当時の宇野のコメントを報じている:「背中を追い続ける僕にとっては大きな道標でもありました。微力ながらも、切り開いてくれた道を後輩や次の世代に繋いでいけるように頑張ります」
2022-23シーズン、宇野はグランプリファイナル初優勝を飾った。これにより世界選手権、四大陸選手権、グランプリファイナルを制した史上14人目の男子シングル選手となった。
2023年には世界選手権2連覇を果たした。WEBサイト「NHKニュース」によれば、男子シングルで日本勢の大会連覇は史上初。しかし2連覇を達成するも、宇野はみずからのスケートに満足していないと語ったという。
2024年5月9日、宇野は自身のインスタグラムで引退を表明した:「5歳の時にスケートと出会い、21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を送れたことにとても感謝しております」
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『東京新聞』によれば、強力なライバルだった2人の選手、北京五輪金メダリストのネーサン・チェン(米国)とフィギュアスケート界の帝王、羽生結弦の引退後は、モチベーションを維持するのが難しくなっていたという。