フィリップ・トルシエ監督:2002年日韓ワールドカップで日本代表を決勝トーナメント進出に導いた名将
2000年代にサッカー日本代表を指導し、一時代を築いたフランス出身のフィリップ・トルシエ監督を覚えているだろうか。じつは日本以外にも多くの国で活躍している。
1983年以来、トルシエ監督は数多くのクラブや各国代表チームを指導している。代表監督を務めた国は日本以外にも南アフリカや中国、コートジボワールなど各地域にわたっている。まさに世界を股にかけているのだ。
日本では男子代表監督に就任し、2002年日韓ワールドカップで日本代表を初めて決勝トーナメント進出に導いたことで記憶されている。
指導者として多くのチームを指導するトルシエ監督だが、76年から80年代初頭にかけてはサッカー選手としてフランスの2部リーグでプレーしていた。
選手時代にはフランス2部リーグのアングレームやレッドスター、ルーアン、スタッド・ランスなどでプレーしていた。その後指導者に転身し、フランス国立サッカー研究所で一年間U-15フランス代表の指導を担当してから、フランス下部リーグのクラブの監督に就任した。
こうして監督経験を積んだトルシエはいよいよ世界に目を向け、1989年、アフリカのコートジボワールでASECミモザの監督に就任した。
そうしてトルシエが指導を開始したASECミモザ・アビジャンは1990年から1992年にかけて105試合連続無敗記録を達成し、3年連続優勝を果たす。1992年にはコートジボワール国籍も取得し、同国代表チームの監督も務めた。
その後、1994年に南アフリカのカイザー・チーフスFC監督に就任。翌年は北アフリカのモロッコに渡りCAラバト監督となる。このように、トルシエは新天地に出向くのが好きなようだ。
その頃にはトルシエの名前はアフリカで広く知られるようになってきており、多くの国が代表監督として迎え入れようとしていた。そしてトルシエはその後3年間でナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ各国の代表監督を歴任した。
「白い魔術師」の名はアフリカを越え、1989年、ついに日本から声がかかる。兼任していたU-21代表監督などで実績を積みつつ、A代表監督としても2002年の日韓ワールドカップを見据えて指導を続けた。
とはいえ、トルシエ監督もさすがに日本語は話せない。指導に当たっては通訳フローラン・ダバディのサポートも欠かせなかった。
当時、日本はワールドカップ出場経験は1998年フランスワールドカップの1度きりで、結果もグループ予選で3戦全敗というものだった。
そのため、2002年の日韓ワールドカップでもサムライブルーは予選敗退となるのが濃厚と見られていた。そんな中、トルシエは決勝トーナメント進出を目標に掲げた。
グループ予選では初戦のベルギー戦は2-2の引き分け。だがその後、観衆も味方につけたおかげかロシア戦(1-0)、チュニジア戦(2-0)に連続勝利。ベルギーを抜いてグループ予選をトップで突破した。
トルシエ率いる日本代表は決勝トーナメント緒戦でトルコと対戦。だが、後に準決勝まで進出するトルコは手強く、0-1で敗退。ベスト8入りはかなわなかった。
この偉業を達成したあと、トルシエはまたしても新天地を求めて日本を後にする。しばらくカタール代表監督を務めてから故国フランスに戻り、オリンピック・マルセイユ監督に就任。だがそのポストも1シーズン(2004-2005)限りで後にした。
その後もモロッコ代表や、日本、中国、チュニジアなどのクラブ監督や総監督を歴任。2023年2月にベトナム代表監督に就任した。
しかしベトナム代表で目覚ましい成果を上げることができず、1年で解任が決まった。現地メディアによればトルシエ監督はフランスに戻り、しばらく休暇を過ごしたという。現在69歳のトルシエ監督がふたたびスタジアムに戻ることはあるだろうか。