入場旗を掲げたフェンシングの江村美咲選手、金メダル獲得と3つの初回記録達成をめざす
破竹の勢いを見せているフェンシングの江村美咲選手。世界選手権で日本人初となる2連覇を達成し、パリ五輪出場を決めたばかりか金メダル最有力候補と目されている。
ヨーロッパの剣術が由来のフェンシングは「フルーレ」、「エペ」、「サーブル」の3つの種目に分かれ、剣の形状や得点となる有効面などが異なる。江村選手の種目はサーブルだ。
サーブルの有効面は頭や腕を含む上半身。3種目の中で唯一突きだけでなく斬りも有効となるため、よりダイナミックな攻防戦が展開される。
1998年に大分県で生まれた江村選手はフェンシング界のサラブレッドで、父親は88年ソウル五輪の元フルーレ代表選手、母親もエペで世界選手権出場を果たしている。そんな両親の元で、小学生3年生の時にフェンシングを始めた。
最初はフルーレを練習していたが、中学生の時に「大会の景品のジグソーパズルがほしくて」参加したサーブルの大会で優勝し、種目を転向することにしたと『読売新聞』が報じている。
2018年、19歳で女子サーブル・ワールドカップ個人の銀メダルを獲得した。同年の全日本選手権で初優勝を飾り、2020年のワールドカップで銅メダルを得たことで、東京五輪代表の切符を手にした。
親子2代で五輪代表となったが、個人戦は3回戦で敗退、団体戦は5位に終わってしまう。「NHKニュース」によれば、五輪後は心身ともに疲れ切ってしまい、大好きだったフェンシングからも気持ちが離れかけていたという。
2021年、江村選手は日本フェンシング界初のプロ選手となった。実業団には入らず、複数の企業から支援を受け競技に専念する。
江村選手には得意の必殺技がある。遠い間合いから一気に相手の懐に飛び込んで攻撃する「ロングアタック」だ。身長が170cmある江村選手の長い手足と柔軟性をフルにいかした必殺技で、一瞬で間を詰めて相手を仕留める。
日本でフェンシングが脚光を浴びるようになったのは、2008年の北京五輪でフルーレの太田雄貴(おおた ゆうき)選手が日本に初の銀メダルをもたらしてからだ。その後、日本代表は順調に結果を残し、ロンドン五輪で男子フルーレ団体が銀メダル、東京五輪では男子エペ団体が金メダルを獲得している。
サーブルは日本で競技人口が少ないこともあり、フェンシング3種目の中で唯一、これまでメダルを獲得したことがなかった。しかし、ついに2022年のワールドカップ・チュニジア大会で、江村選手が日本初となる金メダルを獲得した。
江村選手の快進撃はさらに続く。エジプトで開催された世界選手権でも金メダルを獲得。2015年の男子フルーレ太田選手以来となる、日本史上2人目の世界王者となった。
さらには太田選手もなしえなかった快挙を成し遂げる。2023年、江村選手は世界選手権2連覇の快挙を達成したのだ。この快進撃の原動力となったのは、本場フランスから日本代表コーチに就任したジェローム・グース氏の存在だという。
「NHKニュース」によれば、「負けず嫌いの完璧主義者」と自ら称す江村選手は、コーチから「競技をもっと楽しもう」とアドバイスされたことで、自由になったように感じたという。相手との駆け引きを楽しむようになり、結果的にそれが技術向上につながった。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの江村選手にも悩みがある。フェンシングの選手は常に同じ方向に動くため、利き足のももだけが大きく発達する。そのため写真を撮る時は常に細い方の足を前にしていると「サンデーLIVE!」で語っている。
パリ五輪で江村選手が頂点に輝けば、日本人として個人初、女子初、種目初の金メダルとなる。そんな快挙を成し遂げた時はきっと、細い方の足を前に出して、金メダルを披露してくれるに違いない。