プロレス界のお騒がせレジェンド、ハルク・ホーガン:気がかりな健康問題
ある程度年季の入ったプロレスファンなら、プロレスと言えばすぐに思い浮かぶ名前があるだろう。そう、ハルク・ホーガンだ。レジェンド的存在のホーガンだが、その周辺にはさまざまなトラブルも多く、最近では本人の健康状態にも不安が。そのキャリアと現況をみてみよう。
80年代から90年代にかけて、「ハルクスター」ことハルク・ホーガンの存在感は圧倒的だった。プロレスという競技をメジャーな存在に押し上げたのはまさに彼一人の功績と言っても過言ではない。
謎多きパフォーマーだが、アメリカのプロレス団体WWE主催のイベント、レッスルマニアX8でのザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)との対決をはじめ、数々の名試合がハルクの熱心なファン「ハルカマニア」の間で語り継がれている。
ハルクの輝かしい瞬間はそれだけではない。レッスルマニア3で300キロ近い体重を誇るアンドレ・ザ・ジャイアントにボディスラムを決めたシーンは、プロレスを象徴する光景として世界中で知られることとなった。
このように、「ハルカマニア」の高まりはジョン・シナやザ・ロックの絶頂期さえしのぐほどのものがあった。それなのに、今ではこの二人のほうがホーガンよりよほど人々の記憶に残っているようだ。だがそれも理由あってのことかもしれない。
ハルク・ホーガンの抱える問題を振り返り、なぜプロレス界がホーガンのことをあまり語りたがらないのか確認してみよう。
ハルク・ホーガン(本名テリー・ボレア)に対する最大の批判はかつての同僚(それも複数)からのものだ。いわく、「リアル・アメリカン」ホーガンは舞台裏での振る舞いにかなり問題があったという。
多くの人の証言によると、ホーガンはかなり自己中心的で、舞台裏では陰謀めいたこともやっていたという。ホーガンはほかのレスラーをよく見せるためにプレイすることを大変嫌い、将来有望な若手を支援するアイディアはいつもホーガンによって「慎重に検討」された。
ホーガンはいつでもショーやビジネスの中心にいたがり、プロレスの顔役としての自分の立場を後進に譲ることには非常に消極的だった。じっさい、周囲から厳しい視線を浴びるようになってさえ、自身の立場を頑として降りようとしなかった。
ホーガンのこういった態度のせいでシナリオライターやレスラー、そしてWWE代表のビンス・マクマホンとの間には緊張関係が生ずることとなった。WWEのマクマホンの場合は、人気レスラーを失うことを恐れてホーガンに味方することが多かった。
ホーガンはさらに、自分のお気に入りのレスラーたちが自分と試合するようスケジュールを組みはじめさえした。ナスティ・ボーイズやハクソー・ドゥガン、ホンキー・トンク・マン、ブルータス “ザ・バーバー” ビーフケーキなどのレスラーが全力を尽くしてホーガンを立ててくれることを知っていたので、ホーガンはそういった選手を優先したのだ。
逆にホーガンの不興を買った選手がどうなったのかは想像に難くない。そういった側からの証言は数も多く、大変詳細に富んだものなのでいちいちここで立ち入りはしない。だが、プロレスニュースサイトのthesportster.comによると、ホーガンとの間に問題があったと証言している選手にはブレット・ハートやジェシー・ヴェンチュラ、スコット・スタイナー、ショーン・マイケルズ、シッド、そしてプロモーターのジム・コルネットなどがいるという。
1994年、ビンス・マクマホンが裁判でステロイド剤の配布および配布未遂の罪を問われたことがあった。『ニューヨークタイムズ』紙の報道によると、その裁判でホーガンはビルドアップのためにステロイド剤を使用したことを認めざるを得なかったという。
ホーガンは自分の肉体は100%通常のトレーニング(ビタミンを取ったり、お祈りしたり、自分を信じたり……)によるものだというイメージを形成していただけに、このことは彼のイメージや信頼性を大きく損なうこととなった。ファンも以前と同じようにはホーガンのことを見られなくなってしまった。
1998年、ホーガンはアメリカの深夜トーク番組『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』に出演、爆弾発言をする。なんとプロレスを引退してアメリカ大統領選に出馬するといったのだ。
wrestlinginc.comが当時の様子を伝えている。出馬宣言の反響はまたたくまに広がり、ホーガンはさまざまなメディアで計画を説明した。するとたちまち、ホーガンは政治についてほとんどわかっておらず、手続きなどについてもきわめて表面的にしか理解していないということが明らかになり、プロレスファンもとても応援できる雰囲気ではなくなった。20年前ならまだ一発あてられたかもしれないが。
2007年には24年来の妻、リンダとの離婚が報道された。ホーガンは当時一家でリアリティ番組「ホーガン・ノウズ・ベスト」に出演していたので、これはひときわ顰蹙を買うニュースだった。おまけに、原因がホーガンの浮気でその相手が自分の娘の親友、クリスティアーヌ・プランテだというのだからなおさらだ。
プランテがアメリカのタブロイド紙『ナショナル・エンクワイアラー』でホーガンとの関係を認め、ホーガンの娘ブルックがSNS上に長文のポストをして事件の影響を語ったことで、事態はよりセンセーショナルになった。だが、ホーガンは自伝『マイ・ライフ・アウトサイド・ザ・リング』でこの関係を否定している。
事態はさらに紛糾していく。2012年、ホーガンの性行為シーンが盗撮されて流出してしまう。それに対する裁判の過程で提出した資料の中に、ホーガンが、自身の娘が黒人男性と交際していることに憤って差別発言をするシーンが含まれていたのだ。wrestlinginc.comによると、ホーガンは差別用語を何度も使っただけでなく、自ら自分のことを差別主義者だと宣言していたという。
この事実が明らかになったのが2015年、そしてホーガンはただちにWWEを解雇され、殿堂入りも取り消された。ホーガンは怒りで我を失ったことを認め謝罪したが、手痛い結果となった。
残念ながら、ホーガンの凋落はこれにとどまらない。ホーガンの影響力は落ちる一方だが、こんどは自分のフェイスブックページが舞台となった。
『ニューズウィーク』のオンラインでの報道によると、2022年1月、ホーガンのファンがフェイスブックで、99歳で亡くなったベティ・ホワイトなど有名人の死について投稿。それに対してホーガンがその死は「100%ワクチンのせいだ。みんなハエみたいにバタバタ死んでるのに絶対報道されない」とコメントしたという。
ホーガンの問題発言や行動はこれだけにとどまらず、書ききれないほどある。同性愛者に対する差別発言や娘との過激な写真撮影、プロレス界の労働組合潰しなどなど……だがこれはまた別の機会にお届けしよう。
こうしてWWEとの関係が冷え切ったかと思われたホーガンだったが、2018年、突如殿堂に復帰。団体に謝罪し和解したと伝えられた。
だが、復帰の兆しが見えてきた矢先、ホーガンはさらなるトラブルに見舞われた。背中の手術を受けたところ、重い後遺症が残ってしまったのだ。
WWE殿堂入りのカート・アングルのポッドキャスト『ザ・カート・アングル・ショー』によると、もともと背中の痛みを訴えていたホーガンが手術を受けたところ、「神経が切られてしまい、その箇所の感覚がない」のだという。
カート・アングルは次のように語っている:「ホーガンが杖を使っているから、てっきり背中が痛いからだと思った。だが、痛みどころではなく、なにも感じないらしい。足の感覚がないんだ」
1953年生まれでプロレスに何十年もの歳月を捧げてきたホーガンだが、大変残念な結果となってしまった。しかも、WWEの看板番組『ロウ』の30周年も迫ってきているのにだ。
「『ロウ』30周年イベントの開幕を飾るのはホーガンしかありえない。WWEを代表する顔役なのだから。プロレス界に革命をもたらした男だよ」とカート・アングルは語っている。このようなタイミングだけに、ひときわ健康状態が懸念される。