マイケル・ジョーダンの人生とキャリアにまつわる10の豆知識
NBAが1990年代に世界的な人気を博したのは、マイケル・ジョーダンの大活躍によるところが大きい。類まれな才能と闘争心でファンを魅了し、史上稀に見る名アスリートとして、バスケットボール界のレジェンドとなったのだ。
実際、マイケルを越えるような天才プレーヤーはいまだに現れておらず、彼こそが「史上最高」だと考えるファンは少なくない。そこで、今回はジョーダンに関する、知られざる豆知識を見てゆくことにしよう。
マイケル・ジョーダンがキャリアの絶頂でNBAを引退し、野球へ転向したことはよく知られている。所属球団はシカゴ・ホワイトソックス傘下のバーミングハム・バロンズだ。しかし、このときの監督が名将テリー・フランコーナだったことはあまり知られていない。
フランコーナ監督はMLB史上最多勝利を挙げた監督であるばかりか、2004年にボストン・レッドソックスをワールドシリーズ優勝に導き、「バンビーノ(ベーブ・ルース)の呪い」を解いたことで有名だ。フランコーナ監督はWKYC放送に対し、マイケルを指導した当時を振り返ってこう述べている:「あいつは野球の試合をとても大切にしていて、あらゆる面でうまくやっていたよ」
スポーツ飲料「ゲータレード」のCMソングとしておなじみの「Be Like Mike(マイケル・ジョーダンのようになろう)」。キャッチ―な曲調で、1990年代の子供たちに夢を与えたことは言うまでもない。ところで、当初はこのCMに別の曲が使われる予定だったことをご存じだろうか?
ESPN放送によれば、当初はディズニー映画『ジャングル・ブック』の挿入歌「I Wan'na Be Like You(きみのようになりたい)」が使用される予定だったというの。しかし、この曲は使用料がかかりすぎると判明。CMの担当者だったバーニー・ピッツェルが別のテーマソングを用意することとなった。ちなみに彼はイタリアンレストランで食事中に「Be Like Mike」の歌詞を思いついたのだそうだ。
ノースカロライナ州で育ち、シカゴ・ブルズでプレーしたマイケルだが、実はニューヨーク市ブルックリン区生まれ。さらに言えば、フォートグリーン地区にあるカンバーランド病院が出生地だ。興味深いことに、ボクシング界の伝説、マイク・タイソンもこの病院で誕生している。
マイケルがニューヨーク市で暮らしていたのはわずか18ヵ月に過ぎず、その後、一家でノースカロライナ州に移住することとなった。けれども、マイケルいわくニューヨーク市はバスケットボールの聖地であり、実際に同市にあるマディソン・スクエア・ガーデンでは抜群のパフォーマンスを見せている。
1996年、バスケットボール界のレジェンド、マイケルは映画『スペース・ジャム』の主役として銀幕デビューを果たす。当然というべきか、そのストーリーはバスケットボールにまつわるものだった。ちなみに、マイケルは試合のリアルさにこだわっており、公式サイズのコートを撮影現場のそばに用意するよう求めたそうだ。
これに応じて、ワーナー・ブラザースはスタジオにあるVIP専用駐車場にテントで覆われたコートを用意したそうだ。しかし、マイケルは撮影のためだけに、この専用コートを準備したわけではなかった。他のNBAスターたちを定期的に招待してはドリームマッチを実現させていたのだ。『Slam』誌が伝えている。
マイケルは離れわざを披露して人々を驚かせるのが好きだった。たとえば、1991年に行われたデンバー・ナゲッツ戦では、目を閉じてフリースローを決め、観客たちを唖然とさせている。
実を言えば、この出来事が起きる前、マイケルはナゲッツの新人だったディケンベ・ムトンボと火花を散らしていた。ディケンベはマイケルにダンクシュートなどさせるものかと息巻いていたのだ。そこで、マイケルはこの若手プレーヤーに自分の実力を思い知らせてやることにした。つまり、目を閉じたフリースローはディケンベに対する一撃だったのだ。後年、ディケンベはこのエピソードを笑い話として語っている。
気ままに行動することで知られる、ブルズ時代のチームメイト、デニス・ロッドマン。1997-1998シーズンの半ばには、シカゴ・ブルズのヘッドコーチ、フィル・ジャクソンと掛け合い、ストレス発散のためと称して、2日間だけチームを離れる許可を取ったことがある。しかし、約束の期日が過ぎてもデニス・ロッドマンは一向に姿を見せなかった。そこで、マイケルの出番となった。
スポーツ専門サイト「EssentiallySports」によるインタビューの中で、デニスは「4日目、オレは羽目を外していた。ベガスまで誰が迎えに来たかって? マイケル・ジョーダンだよ。『デニス、かえってプレーするぞ』って言うのさ。オレは同意したよ」と回想している。
プロアスリートというと、厳格な食事メニューに従っていると思われがちだ。けれども、マイケル・ジョーダンは人々が思っている以上に、よくマクドナルドを口にしていた。実際、元チームメイトのステイシー・キングは、マイケルが練習前にマクドナルドのソーセージマフィンを必ず食べると明かしたことがある。
さらに、マクドナルドは期間限定で「マクジョーダン」というコラボメニューをリリースしたことがある。これはクォーターパウンドのパテにベーコンやバーベキューソース、マスタード、玉ねぎ、チーズ、ピクルスを合わせたものだった。もちろん、フライドポテトとドリンクもセットで付いてくる。
マイケルがNBAチームのワシントン・ウィザーズやシャーロット・ホーネッツ(旧ボブキャッツ)で、オーナーを務めていたことは有名だ。しかし、NHL(ナショナルホッケーリーグ)チームのオーナーだったことがあるというのは、あまり知れらていない。実は、2000年から2001年にかけてワシントン・キャピタルズの少数株主だったのだ。キャピタルズの選手だったジェフ・ハルパーンはESPN放送に対し、「あれは最高の出来事だと思ったのを覚えている」とコメントしている。
また、キャピタルズの元共同オーナー、ジョナサン・レデッキー氏はESPN放送に対し、「マイケルはホッケーが激しい有酸素運動であるということに驚いたようです。なにしろ、選手たちは45秒間ほどプレーすると、すぐに交代してしまうのですから」と語った。
シカゴ・ブルズやワシントン・ウィザーズのファンが、ジョーダンの驚異的なプレーに熱狂していたことは言うまでもない。しかし、マイケルは現役引退後に、実はアウェイでプレーする方がホームよりも少し楽しかったと明かしている。
マイケルはバスケットボール選手ステフィン・カリーによるインタビューの中で、
「アウェイのほうがいい。アウェイでプレーするのは楽しいからね。集中力がいつになく高まるような気もする。勝つことを期待されていないからこそ、未知の何かを見せつけるチャンスも生まれるんだ。ホームではついついリラックスして、気楽にプレーしがちだしね」
2023年のスポーツドラマ『AIR/エア』でも取り上げられているが、ナイキはマイケル・ジョーダンと1984年にスポンサー契約を結んだ。これはスポーツ史上稀に見るウィン・ウィンの関係であり、両者ともにこのスポンサーシップから大きな恩恵を受けてきた。
『スポーティングニュース』紙によれば、マイケルは2022年にナイキから2億5,600万ドルものスポンサー料を受け取ったとのこと。一方、『Inc』誌はマイケルのスポンサー収入について、これまでに総額15億ドルあまりを稼ぎ上げたと伝えている。
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