女子走り高跳びのヤロスラワ・マフチク選手:戦禍のウクライナからパリ五輪金メダリストへの道

ウクライナの希望
自身初のオリンピック金メダルを獲得
7月には世界新記録を樹立
ヤロスラワ・マフチク選手のキャリア
幼少期のキャリア
初の国際タイトル
ブエノスアイレス・ユースオリンピックで金メダル
ダイヤモンドリーグで優勝
ドーハ世界選手権で銀メダル
東京オリンピックで銅メダルを獲得
ウクライナ侵攻の影響を受ける
「素晴らしいシーズンでした」
さらなる勝利を重ねる
ウクライナ新記録を樹立
2023年に世界チャンピオンとなる
世界新記録を樹立
走り高跳びの世界記録を破れるとは思っていなかった
パリオリンピックで期待に応える
決勝の競技の合間に寝袋で横になっていたことが話題に
「競技前のリラックス法です」
ウクライナ侵攻が気がかり
22歳という若さで多くのことを経験
ウクライナへの帰国を望む
ウクライナの希望

ウクライナのヤロスラワ・マフチク選手は、2024年だけでも走り高跳びの歴史に名を刻むような偉業を何度も達成している。なかでも最も輝かしい勝利は、8月4日に行われたパリオリンピックでの金メダルだろう。

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自身初のオリンピック金メダルを獲得

マフチク選手は、2メートルの高さを3回クリアしてオーストラリアのライバル、ニコラ・オリスラガースを破り、自身初のオリンピック金メダルを獲得したのだ。

7月には世界新記録を樹立

7月には、37年間保持されていた記録を1センチメートル上回る2メートル10センチのジャンプで世界新記録を樹立しており、絶好調な2024年を過ごしている。

ヤロスラワ・マフチク選手のキャリア

22歳という若さで、走り高跳び史上最強の選手と言われているマフチク選手。彼女の全盛期はまだこれからなのは間違いないだろう。戦争で荒廃した祖国から国際大会に出場する苦難や、今までに打ち立ててきた数々の偉業、そして寝袋ルーティンなど、これまでの彼女の歩みを振り返ってみよう。

幼少期のキャリア

英放送局「BBC」によると、2001年生まれのヤロスラワ・マフチク選手は、故郷のドニプロ市で走り幅跳びとハードル競技からそのキャリアをスタートし、その後走り高跳びに競技変更したという。

初の国際タイトル

世界陸上競技連盟の記録によると、彼女が初めて国際的なタイトルを獲得したのは2017年、16歳のときだった。18歳以下の世界陸上競技選手権で金メダルを獲得したのだ。

ブエノスアイレス・ユースオリンピックで金メダル

2018年には、ブエノスアイレス・ユースオリンピックで表彰台に上がり、再び金メダルを獲得。

ダイヤモンドリーグで優勝

2019年にはダイヤモンドリーグで優勝。世界陸上競技連盟によると、2メートル5センチという記録で陸上界の世界トップレベルの選手たちと肩を並べている。

ドーハ世界選手権で銀メダル

同年、ドーハで開催された世界陸上競技選手権で、マフチク選手は走り高跳びで銀メダルを手にした。

東京オリンピックで銅メダルを獲得

マフチク選手は好調を維持したまま2021年に開催された東京オリンピックに出場。同種目で銅メダルを獲得した。

ウクライナ侵攻の影響を受ける

しかし2022年、ロシアがウクライナに侵攻すると、競技活動の継続が極めて困難になった。その年、セルビアで開催される世界室内選手権に出場するために、車で3日間かけてウクライナから2000キロメートルも移動したそうだ。そうした過酷な状況にもかかわらず、世界室内選手権の走り高跳びでは優勝を成し遂げている。

「素晴らしいシーズンでした」

この予期せぬ旅が精神的な強さに繋がったと、マフチク選手はドイツ国際公共放送「DW」に説明した。「世界室内選手権の1週間前にした、旅のことを思い出すんです。出場を目指して長距離移動を成し遂げ、結果的には素晴らしいシーズンになりました」

さらなる勝利を重ねる

2022年のウクライナ侵攻後もマフチク選手の勢いは止まらず、オレゴン州での世界選手権で銀メダル、ミュンヘンでのヨーロッパ選手権で金メダルを獲得した。

ウクライナ新記録を樹立

2022年9月、世界陸上競技連盟が報じたところによると、マフチク選手はブリュッセルで行われたダイヤモンドリーグで、2メートル6センチというウクライナ新記録を樹立。

2023年に世界チャンピオンとなる

2023年に入っても、マフチク選手の快進撃は続いた。ブダペストで開催された世界陸上競技選手権で2メートル1センチという記録で優勝し、晴れて世界チャンピオンとなったのだ。

世界新記録を樹立

パリオリンピックに向けて、彼女のコンディションは上々だった。7月に行われたダイヤモンドリーグパリ大会で、マフチク選手は2メートル10センチという大記録で歴史に名を残したのだ。

走り高跳びの世界記録を破れるとは思っていなかった

ブルガリアのステフカ・コスタディノヴァが樹立した2メートル9センチという記録は、37年間誰にも破られることはなかった。マフチク自身も、その記録を破れるとは思っていなかったと、米スポーツチャンネル「ESPN」に語っている。「この大会に臨むにあたって、2メートル7センチ、もしかしたら2メートル10センチを跳べるかもしれないという感覚がありました。ついに、ウクライナが世界陸上競技の歴史に名を刻んだんです」

パリオリンピックで期待に応える

パリオリンピックが間近に迫る中、素晴らしい成績を残し続けていたマフチク選手。その決勝の場面に、誰もが注目していた。そしてオリンピックの記録によると、マフチク選手は期待を裏切らず、3回連続で2メートル1センチをクリアして金メダルを獲得した。

決勝の競技の合間に寝袋で横になっていたことが話題に

加えて、競技の合間にスタジアムの真ん中で寝袋にくるまるという変わった習慣が、オリンピック中に話題となった。英紙『ガーディアン』に対し、瞑想の一種だと語ったという。

「競技前のリラックス法です」

「どんな気温でも対応できるように、涼しいキャンプ用ブランケットを持っていくんです。競技の前にはリラックスして、走り高跳びのことだけを考えるようにしています」

ウクライナ侵攻が気がかり

マフチク選手はパリオリンピックで再び世界一に輝いたが、手放しで喜びに浸ることはできないという。今なお続くロシアによるウクライナ侵攻に心を痛めているのだ。

22歳という若さで多くのことを経験

マフチク選手は同紙に対し、「今22歳ですが、様々なことが私の身に降りかかったと感じています。爆撃があるたびに、両親や家族を失うかもしれないと思います。残念ながら、多くの子供たちが親を失っています。21世紀に生きる私たちにはテクノロジーがあり、自由があり、世界は前進しているはずなんです。お互いの経験を共有し、理解しあうべきですが、自国のために戦っている今は、そうした交流は難しいといわねばなりません」と語った。

ウクライナへの帰国を望む

パリ五輪後もマフチク選手には多くの大会が控えている。9月にブリュッセルで行われるダイヤモンドリーグ決勝を含めてあと3つの大会があり、その後は長い冬のトレーニング期間が待っている。しかし今は故郷が恋しいようだ。「自分の街に戻って家族や友人に会い、一緒にこの金メダルを祝うのが楽しみです」と彼女は同紙に語った。

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