ユスラ・マルディニ:シリア内戦を逃れてオリンピックに2度出場した希望のストーリー
シリアのダマスカスで育ったユスラ・マルディニには大きな夢があった。父親の跡を継いで水泳選手になるという夢だ。
その夢の実現のためマルディニは9歳の時から水泳の訓練を開始。だが、13歳となった時、人生を揺るがす出来事が起きる。
その出来事とはシリア内戦だった。2011年に内戦が勃発し、マルディニの家族は以降4年間空爆や狙撃手に怯えながら毎日を過ごすようになってしまったのだ。
それでも夢を諦めなかったマルディニは、姉のサラとともに両親の元を離れ、ヨーロッパを目指すというつらい決断を下す。
2015年8月、マルディニは姉とともにヨーロッパを目指す危険な旅に出発、まずはトルコに向かい、そこで18人が乗る小舟へと乗船した。
『ハーパースバザー』誌のウェブサイトで、マルディニはこう語っている:「基本的人権が尊重される新たな人生を得るために、すべてをなげうつ必要がありました。ほんとうにつらい決断でした。すべてを捨てねばならなかったのですから」
トルコからギリシャに向かう海上で小舟のエンジンが停止、水没し始めた。この緊急事態に際してマルディニは自身の力を最大限に発揮、これまで培ってきた水泳能力を用いて小舟を岸まで運んだ。
こうしてたどり着いたギリシャからドイツへと渡り、マルディニはようやく第二の家へと落ち着くことができた。そして、ベルリンのクラブでふたたび水泳の練習を始めた。
マルディニはこう語っている:「泳いでいる時だけは、家にいるかのように落ち着くことができました」そして、水泳を続けるというマルディニの強い意志はやがて、2016年のオリンピック代表選出で報われることになる。
2016年6月、マルディニは新たに結成された難民選手団に選出され、リオデジャネイロオリンピックで100m自由形と100mバタフライに出場した。
こうして出場したマルディニは初戦を突破。1分9秒21というタイムを記録して45人の出場選手中41位という成績を収めた。
オリンピック公式サイトによると、トーマス・バッハ会長はこう述べたという:「戦火や暴力を逃れねばならなかった人びとにも手を差し伸べて、スポーツにおける最高の舞台でプレーするという夢を叶えるのを助けよう」
マルディニは2020年東京オリンピックでも難民選手団に選出され、開会式では旗手を務めた。競技では100mバタフライに出場したが、残念ながら予選を突破することはできなかった。
『ヴォーグ』イギリス版のウェブサイトで、マルディニはこう語っている:「オリンピックに出場してから、これはもう私だけのストーリーではないんだということに気づきました。人びとの意識を高めることや、世界中に何百万人も存在する難民たちに希望を届け、声なき者の声を届けること、それらすべてが私の肩にかかっているのです」
ユスラとサラのふたりは2023年、米誌『タイム』が選ぶ世界で最も影響力のある100人に選出された。
オリンピックの歴史上類を見ないユスラ・マルディニの経歴は、どんな状況でも、誰でも夢を叶えることはできるという希望を伝えている。
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