暗黙の了解を破り、サッカー界で「禁断の移籍」をしてしまった選手たち

「掟破り」をした選手たち
ミカエル・ラウドルップ
レアル・マドリードへ
ロビン・ファン・ペルシ
マンチェスター・ユナイテッドへ
ルイス・フィーゴ
レアル・マドリードへ
クリスティアン・ヴィエリ
ACミランへ
ロナウド
レアル・マドリードへ
アシュリー・コール
チェルシーへ
ルイス・エンリケ
FCバルセロナへ
セスク・ファブレガス
チェルシーへ
マリオ・ゲッツェ
バイエルン・ミュンヘンへ
カルロス・テベス
マンチェスターシティへ
エマニュエル・アデバヨール
マンチェスター・シティとトッテナムへ
ウィリアム・ギャラス
トッテナムへ
ソル・キャンベル
アーセナルへ
禁断の移籍は続く
「掟破り」をした選手たち

情熱的なファン心理と、クラブ間の激しいライバル関係が存在するサッカー界。そんな中でひいきの選手が他クラブに移籍する時は、複雑な感情が絡んでくる。とくに移籍先がライバルクラブとなれば、ファンの心を打ち砕く「裏切り者」とみなされる。今回は、そんな「掟破り」をしたサッカー選手たちを追ってゆこう。

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ミカエル・ラウドルップ

デンマーク出身のミカエル・ラウドルップは、FCバルセロナから突然の戦力外通告を受けたことで、1994年に大きな決断を下す。

レアル・マドリードへ

ラウドルップはレアル・マドリードへの移籍を決意、スペインの首都マドリードへ移った。禁断の移籍をしたラウドルップは、FCバルセロナのサポーターたちから激しい非難にさらされることとなった。

ロビン・ファン・ペルシ

プレミアリーグのアーセナルで、得点王にもなったロビン・ファン・ペルシ。しかし、2012年にライバルクラブに移籍したことで、その功績は多くのアーセナルファンの記憶から消え去ってしまった。

マンチェスター・ユナイテッドへ

ペルシがアーセナルとの契約を更新しないことを発表すると、いくつかのクラブがペルシ獲得に動いた。そしてペルシは、マンチェスター・ユナイテッドと契約し、2015年まで在籍した。

ルイス・フィーゴ

FCバルセロナのシンボルだったルイス・フィーゴの移籍は、おそらくサッカー史上最も物議を醸した移籍といえるだろう。

レアル・マドリードへ

2000年、フィーゴは6000万ユーロの移籍金で、FCバルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードと契約した。フィーゴがレアル・マドリードの一員として初めてFCバルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウへ乗り込んできたとき、スタンドから豚の頭が投げ込まれたのは有名なエピソードだ。

 

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クリスティアン・ヴィエリ

クリスティアン・ヴィエリは1999年から2005年までインテルナツィオナーレ・ミラノでプレーしていた。ヴィエリは移籍を決意したが、ミラノの街を離れるつもりはなかった。

ACミランへ

2005年、ヴィエリはあろうことか宿敵ACミランと契約。裏切り者のレッテルを張られることになった。

ロナウド

史上最高のストライカーと称されていたロナウド・ナザーリオ。その称号はFCバルセロナで勝ち得たものだ。

レアル・マドリードへ

ロナウドはインテルナツィオナーレ・ミラノをはさんでから、2002年にレアル・マドリードへ移籍した。同クラブの会長フロレンティーノ・ペレスが集めた銀河系軍団の一員となったのだ。

アシュリー・コール

イングランド史上最高の左サイドバックと称されたアシュリー・コールは、アーセナルでキャリアをスタートさせた。そして2006年、コールは多くのアーセナルファンの心を傷つけることになる。

チェルシーへ

コールは同じロンドンのライバルクラブ、チェルシーFCと契約し、2014年まで在籍したのだ。

ルイス・エンリケ

ルイス・エンリケは今では有名な監督だが、1990年代はレアル・マドリードのスター選手だった。

 

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FCバルセロナへ

しかし、1996年にFCバルセロナに移籍、キャプテンも務めた。そして8年後、FCバルセロナの選手として現役を引退。

セスク・ファブレガス

スペイン出身のセスク・ファブレガスは、まだ10代の頃にアーセナルでセンセーションを巻き起こした。その後、同じロンドンの別のビッグクラブでプレーすることになる。

チェルシーへ

FCバルセロナで過ごした後、ファブレガスはチェルシーと契約し、プレミアリーグで2度のタイトルを獲得した。

マリオ・ゲッツェ

ドイツのボルシア・ドルトムントのスターだったマリオ・ゲッツェは、理想のサッカーを求めて別のクラブを選んだ。

バイエルン・ミュンヘンへ

2013年、ゲッツェはバイエルン・ミュンヘンに移籍したが、居心地が良いとは感じられなかった。そこで2016年にドルトムントに復帰するも、ホームスタジアムであるシグナル・イドゥナ・パルクの雰囲気は、以前とは全く異なるものになっていた。

カルロス・テベス

元アルゼンチン代表のカルロス・テベスは、3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝くほどの選手だ。ウェストハム・ユナイテッドでゴールを決めていたが、マンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。

マンチェスターシティへ

そして2009年、テベスはマンチェスター・シティへ禁断の移籍をし、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。

 

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エマニュエル・アデバヨール

トーゴ共和国出身のエマニュエル・アデバヨールは、22歳でアーセナルに入団し、レギュラーとして才能を惜しみなく発揮した。

マンチェスター・シティとトッテナムへ

その後、アバデヨールは、マンチェスター・シティを経て、アーセナルの永遠のライバル、トッテナムでプレーすることになった。しかも、古巣のアーセナル相手にゴールを決めたときも、遠慮なく喜んだ。

ウィリアム・ギャラス

信頼できるディフェンダーとして全盛期を迎えていたウィリアム・ギャラスは、2006年にチェルシーからアーセナルへフリートランスファーした。

トッテナムへ

そして2010年、アーセナル最大のライバルであるトッテナム・ホットスパーFCへ移籍し物議を醸した。ギャラスは2013年、契約を満了して退団。契約更新はされなかった。

ソル・キャンベル

1992年、ソル・キャンベルはトッテナム・ホットスパーFCで頭角を現したが、2001年にトッテナムファンを激怒させることになる。

アーセナルへ

キャンベルはフリートランスファーでトッテナムを離れ、ダービーマッチのライバルであるアーセナルでプレーすることになったのだ。そして2006年のチャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦で、ゴールを決めた。

禁断の移籍は続く

人気選手の争奪戦は日ごとに激しさを増している。今後もサッカー界を揺るがすような「禁断の移籍」が生まれつづけることだろう。

 

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