暗黙の了解を破り、サッカー界で「禁断の移籍」をしてしまった選手たち
情熱的なファン心理と、クラブ間の激しいライバル関係が存在するサッカー界。そんな中でひいきの選手が他クラブに移籍する時は、複雑な感情が絡んでくる。とくに移籍先がライバルクラブとなれば、ファンの心を打ち砕く「裏切り者」とみなされる。今回は、そんな「掟破り」をしたサッカー選手たちを追ってゆこう。
デンマーク出身のミカエル・ラウドルップは、FCバルセロナから突然の戦力外通告を受けたことで、1994年に大きな決断を下す。
ラウドルップはレアル・マドリードへの移籍を決意、スペインの首都マドリードへ移った。禁断の移籍をしたラウドルップは、FCバルセロナのサポーターたちから激しい非難にさらされることとなった。
プレミアリーグのアーセナルで、得点王にもなったロビン・ファン・ペルシ。しかし、2012年にライバルクラブに移籍したことで、その功績は多くのアーセナルファンの記憶から消え去ってしまった。
ペルシがアーセナルとの契約を更新しないことを発表すると、いくつかのクラブがペルシ獲得に動いた。そしてペルシは、マンチェスター・ユナイテッドと契約し、2015年まで在籍した。
FCバルセロナのシンボルだったルイス・フィーゴの移籍は、おそらくサッカー史上最も物議を醸した移籍といえるだろう。
2000年、フィーゴは6000万ユーロの移籍金で、FCバルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードと契約した。フィーゴがレアル・マドリードの一員として初めてFCバルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウへ乗り込んできたとき、スタンドから豚の頭が投げ込まれたのは有名なエピソードだ。
クリスティアン・ヴィエリは1999年から2005年までインテルナツィオナーレ・ミラノでプレーしていた。ヴィエリは移籍を決意したが、ミラノの街を離れるつもりはなかった。
2005年、ヴィエリはあろうことか宿敵ACミランと契約。裏切り者のレッテルを張られることになった。
史上最高のストライカーと称されていたロナウド・ナザーリオ。その称号はFCバルセロナで勝ち得たものだ。
ロナウドはインテルナツィオナーレ・ミラノをはさんでから、2002年にレアル・マドリードへ移籍した。同クラブの会長フロレンティーノ・ペレスが集めた銀河系軍団の一員となったのだ。
イングランド史上最高の左サイドバックと称されたアシュリー・コールは、アーセナルでキャリアをスタートさせた。そして2006年、コールは多くのアーセナルファンの心を傷つけることになる。
コールは同じロンドンのライバルクラブ、チェルシーFCと契約し、2014年まで在籍したのだ。
しかし、1996年にFCバルセロナに移籍、キャプテンも務めた。そして8年後、FCバルセロナの選手として現役を引退。
スペイン出身のセスク・ファブレガスは、まだ10代の頃にアーセナルでセンセーションを巻き起こした。その後、同じロンドンの別のビッグクラブでプレーすることになる。
FCバルセロナで過ごした後、ファブレガスはチェルシーと契約し、プレミアリーグで2度のタイトルを獲得した。
ドイツのボルシア・ドルトムントのスターだったマリオ・ゲッツェは、理想のサッカーを求めて別のクラブを選んだ。
2013年、ゲッツェはバイエルン・ミュンヘンに移籍したが、居心地が良いとは感じられなかった。そこで2016年にドルトムントに復帰するも、ホームスタジアムであるシグナル・イドゥナ・パルクの雰囲気は、以前とは全く異なるものになっていた。
元アルゼンチン代表のカルロス・テベスは、3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝くほどの選手だ。ウェストハム・ユナイテッドでゴールを決めていたが、マンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。
そして2009年、テベスはマンチェスター・シティへ禁断の移籍をし、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。
トーゴ共和国出身のエマニュエル・アデバヨールは、22歳でアーセナルに入団し、レギュラーとして才能を惜しみなく発揮した。
その後、アバデヨールは、マンチェスター・シティを経て、アーセナルの永遠のライバル、トッテナムでプレーすることになった。しかも、古巣のアーセナル相手にゴールを決めたときも、遠慮なく喜んだ。
信頼できるディフェンダーとして全盛期を迎えていたウィリアム・ギャラスは、2006年にチェルシーからアーセナルへフリートランスファーした。
そして2010年、アーセナル最大のライバルであるトッテナム・ホットスパーFCへ移籍し物議を醸した。ギャラスは2013年、契約を満了して退団。契約更新はされなかった。
1992年、ソル・キャンベルはトッテナム・ホットスパーFCで頭角を現したが、2001年にトッテナムファンを激怒させることになる。
キャンベルはフリートランスファーでトッテナムを離れ、ダービーマッチのライバルであるアーセナルでプレーすることになったのだ。そして2006年のチャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦で、ゴールを決めた。
人気選手の争奪戦は日ごとに激しさを増している。今後もサッカー界を揺るがすような「禁断の移籍」が生まれつづけることだろう。