リオネル・メッシの輝かしいキャリア:逆境を克服し栄光を掴んだサッカー人生
世界最高のサッカー選手の1人として名高いリオネル・メッシ。並外れたボールコントロールと驚異的なセンスで、ファンやチームメートだけでなく対戦選手までも魅了してきた。
メッシは、しばしばライバルのクリスティアーノ・ロナウドと比較され、どちらが史上最高の選手かという論争を巻き起こしてきた。そこで、逆境を克服しながら栄光を掴んできたメッシの輝かしい足跡をたどってみよう。
英紙『ガーディアン』によると、メッシは成長ホルモン欠乏症と診断され、幼少期から身体の発達に問題を抱えていた。この病気が原因で小柄ではあったものの、メッシ少年はサッカーに並々ならぬ情熱を注ぎ、才能が開花。母国アルゼンチンの地元チームであるニューウェルズ・オールドボーイズでプレーし、下部組織の大会で優勝も経験している。
若きメッシは13歳にしてFCバルセロナの下部組織「ラ・マシア」に入団。すぐに天才選手として注目されるようになる。さらに、クラブ加入時にバルセロナがホルモン治療費の負担を申し出たことで、プロサッカー選手に必要とされる体格まで成長することができた。
メッシは16歳でバルセロナのトップチームデビューを果たした。身長は170センチとサッカー選手のなかでは小柄だが、低重心を活かしたキレのあるドリブルや、天性のボールコントロールで徐々に出番を増やしていった。
フランク・ライカールト監督の指揮の下、メッシはロナウジーニョやデコ、エトーといったスター選手たちとともにレギュラーとして出場。2005/06シーズンにブレイクを果たす。
「メッシをデビューさせたのは彼へのご褒美などではない。彼はそれにふさわしい実力をもっていて、デコが少し疲れているように見えたので交代で投入した。メッシは左利きで、ドリブルで中央に侵入するのがとても上手い。左足でシュートを打つこともできる」とライカールト監督は、メッシがエスパニョール戦でリーグ戦デビューを果たした後に語った。
元チームメイトのデコは、2007年に、マラドーナを彷彿とさせるドリブルでメッシがヘタフェの守備陣を切り裂き、ゴールを決めるのを間近で見ていた。試合後にデコは、「これまで見た中で最も美しいゴールだ。ロナウド、マラドーナ、ロナウジーニョと肩を並べる選手を生で目撃しているんだ。今日のゴールは完璧だったね」と振り返った。
2007年にレアル・マドリード戦(3-3)でメッシがハットトリックを決めた際、ディエゴ・マラドーナはインタビューで次のように発言。「私の後継者となるべき選手は決まっている。その名はリオネル・メッシだ。彼は他のどの選手とも違うところがある。模範となるリーダーだ」
ジョゼップ・グアルディオラ監督時代、メッシは一躍世界的スター選手に躍り出る。グアルディオラ監督の緻密な戦術の元、偽9番と呼ばれる攻撃の牽引役を担い、大活躍。メッシはバルセロナを3冠達成に導き、2009年に自身初のバロンドールを獲得した。
グアルディオラ監督時代のバルセロナは無敵とも言える強さを発揮。ヨーロッパのサッカー界を席巻した。メッシはまさにチームの「心臓」であり、彼の左足が多くの勝利をもたらした。この活躍により、メッシは2009年からバロンドールを4年連続で獲得。
2012年のUEFAチャンピオンズリーグでは、メッシが衝撃の1試合5ゴールを決め、バイエルン・レバークーゼンに7-1で大勝。マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドであるウェイン・ルーニーは、試合直後にソーシャルメディアで「メッシは、信じられないほど優れた選手。私にとっては史上最高だ」と投稿した。
メッシはその後、アルゼンチン代表のキャプテンに就任。2014年ワールドカップでは決勝まで進出したが、惜しくもドイツに0-1で敗れた。
2013/2014シーズン、メッシは度重なる怪我に苦しめられた。ハムストリングの負傷により離脱を余儀なくされたが、それでも46試合で41ゴールを記録。驚くべき得点力を見せつけた。
翌シーズンからメッシは、ネイマールとルイス・スアレスとともにそれぞれの頭文字から「MSN」と呼ばれる攻撃トリオを結成。この3人が攻撃を牽引し、2015年にバルセロナは3冠を達成した。
サッカー専門サイト「トランスファーマルクト」によれば、MSNがそろってプレーした409試合で、彼らは3人で合計344ゴール、157アシストを記録。
「メッシは歴史に名を残した。あらゆる点で歴代最高の選手だ。彼は万能で、毎試合素晴らしいプレーを見せてくれる。ただゴールを決めるのではなく、最高のゴールを決めてくれるんだ」とバルセロナのグアルディオラ元監督はメッシを称賛した。
30代に入ったメッシは、運動量こそ落ちたものの、依然として圧倒的なプレーを披露。点を決めるだけでなく、攻撃の組み立てへの関与が多くなり、ピッチ全体をコントロールする役割を担うなどバルセロナのキープレーヤーであり続けた。
メッシは、バルセロナで合計476ゴールを決め、ラ・リーガの歴代最多得点選手になっている。また、2011/2012シーズンには50ゴールを決め、1シーズンでの最多得点記録も保持。
バルセロナで21年間過ごしたメッシだったが、2021年に「心のクラブ」を離れ、パリ・サンジェルマン(PSG)移籍を決断。スペイン紙『マルカ』によれば、メッシはクラブの厳しい財政的制約やチームへの配慮から別れを決断することになったようだ。
メッシにとって、PSGへの適応は容易ではなかったようだ。新天地でネイマールやムバッペといったスター選手と共闘したが、新しいシステムに適応するには時間がかかった。バルセロナ時代のパフォーマンスが発揮できていないとして、ときにファンから批判を浴びることも。公式戦75試合32ゴール35アシストと見事な成績を残したが、2年間の在籍にとどまった。
35歳となり、キャリア終盤にさしかかったメッシだが、2022年にはついにワールドカップ制覇を成し遂げた。メッシはキャプテンとしてアルゼンチン代表を優勝に導き、代表チームでの悲願を達成。
その後、メッシは米メジャーリーグサッカーのインテル・マイアミに移籍。スアレスやブスケツといった元バルセロナのチームメイトたちとともに、アメリカの地で変わらぬ活躍を続けている。メッシの輝かしいサッカー人生から今後も目が離せない。