レアル・マドリード史上最高の監督ランキング
チーム全体の指揮を執る監督は極めて重要な存在だ。しかしメディアが主に注目するのは選手たちで、監督が脚光を浴びることは少ない。さらに現代サッカーでは、監督が責任を負って直ぐに解任されるケースが増えている。強豪クラブの監督ともなれば、安定して高い結果を残し続けなければ、監督業は務まらない。今回はスペインの名門レアル・マドリード史上、最も優秀な監督たちトップ4をご紹介しよう。
2000年代前半、ジダンはレアル・マドリードのスター選手としてファンタジックなプレーを展開、多くのファンを魅了した。引退後はテレビ解説者やスポーツディレクターを務めていたが2016年、カルロ・アンチェロッティの後任として、レアル・マドリードの監督の座につくことになる。
ジダンが選手として在籍していた頃のレアル・マドリードは、「銀河系軍団」と呼ばれていた。当時、世界最高峰の選手たちがレアル・マドリードに勢ぞろいしていたからだ。
2013年、ジダンはアンチェロッティ監督のアシスタントコーチとして指導者のキャリアをスタートさせた。宿命のライバルFCバルセロナを相手にコパ・デル・レイ(スペイン国王杯)を制し、指導者として好スタートをきった。
2013-14シーズン、レアル・マドリードはアトレティコ・デ・マドリードを4-1の逆転で下し、10度目のチャンピオンズリーグ制覇を果たした。こうして指導者としてのジダンの初シーズンは、大成功に終わった。
2014年、ジダンはレアル・マドリードのリザーブチームであるレアル・マドリード・カスティージャの助監督(実質的には監督)を任された。このチームで戦術を磨き、2016年1月にレアル・マドリードの監督に就任した。
レアル・マドリードの監督に就任すると、チームを3年連続でUEFAチャンピオンズリーグ優勝へ導くという歴史的快挙を成し遂げた。選手たちの個性を尊重しながらチームを管理する能力の高さで、ジダンはレアル・マドリード史上最も偉大な監督の一人と称されている。
1999年、レアル・マドリードは指導者として成長目覚ましいビセンテ・デル・ボスケを監督に迎えた。「知将」と呼ばれる穏やかな監督は、4年の間に次々と成功を収めていった。ボスケ監督率いるレアル・マドリードは、リーガ・エスパニョーラで2回、チャンピオンズリーグでも2回優勝している。
個性の強い選手たちをうまくコントロールしながらチームをまとめあげるボスケ監督の優れた手腕は、クラブに黄金期をもたらした。またレアル・マドリードを解任されてから10年後の2010年、ボスケ監督はスペイン代表を率い、スペイン史上初のFIFAワールドカップ優勝を成し遂げた。
好き嫌いが別れる監督の一人がジョゼ・モウリーニョ。自ら「スペシャル・ワン」と名乗る強烈なカリスマ性と天才的な戦術は、レアル・マドリードにラ・リーガとコパ・デル・レイのタイトルをもたらした。
モウリーニョと契約した当初、レアル・マドリードは勝ち星をあげることに苦労していた。勝ちに徹することで有名なモウリーニョは、そのためには内容を問わない勝利至上主義者だ。そんなモウリーニョの熱血ぶりと競争心の強さが、レアル・マドリードを再び頂点に押し上げた。
モウリーニョの采配は時に物議を醸した。選手が現状に満足し、勝利へのモチベーションを欠いていると感じると、解決策としてその選手達をすぐさまベンチに下げてしまうのだ。
イタリア出身のカルロ・アンチェロッティは、レアル・マドリードの伝説になりつつある。2015年に監督の座を解任されたが、2021年に再びレアル・マドリードの指揮官に就任。旧知のメンバーが多く残っていたことから直ぐにチームを巧みに束ね、レアル・マドリードの文化を体現しながら勝利を積み重ねている。
アンチェロッティ監督は、攻撃的なプレーと質の良いサッカーへのこだわりで知られている。監督として選手たちから深い尊敬を集め、抜群の安定感ですべてのタイトルを獲得した。
大らかな監督ではあるが、時には頑固な面をのぞかせる。また若手選手を積極的に起用し、チームの世代交代の立役者となった。現在、レアル・マドリードの契約延長が近いと報じられている。
レアル・マドリードの監督になるということは、世界で最も要求の厳しいクラブで、個性の強い世界最高峰の選手達を束ね、戦術家としての才気を発揮し続けなければならない。最高の監督となるとファンの間で意見が分かれるが、今回紹介した監督たちがレアル・マドリードの歴史と世界のサッカー界に与えた影響については疑う余地がないだろう。