レスリング53kg級の藤波朱里(20)選手:パリ五輪金メダルを獲得!
女子レスリング53㎏級の藤波朱里選手(20)がパリ五輪で金メダルに輝いた。中学時代から続く無敗記録を維持しながら五輪出場を決めた藤波選手。危なげなく予選を突破し、決勝では10-0と圧倒的大差で相手を下して無敗記録を137に伸ばした。
近年圧倒的な強さをみせる日本女子レスリングだが、その中でも破竹の勢いで勝ち星を重ね、多くのファンの期待に応えて優勝を果たした藤波朱里選手。それまでの道のりを振り返ってみよう。
藤波選手は2003年に三重県で生まれた。父親はレスリングの88年ソウル五輪代表候補で、兄は2017年のレスリング世界選手権74kg級で銅メダルを獲得し、現在は総合格闘家として活躍する藤波勇飛(ふじなみ ゆうひ)選手だ。
五輪代表候補だった父親の影響を受け、4歳の時にレスリングをはじめた藤波選手。2019年には父親がレスリング部監督を務める三重県立いなべ総合学園高等学校へ進学した。
高校2年生の時に初出場した全日本選手権の53kg級で、大金星をあげた藤波選手。過去に2度世界女王となっている奥菜春奈選手や世界選手権で銀メダルを獲得した入江なおみ選手を制し優勝したのだ。
画像:Instagram, @11.akrstagram.11
翌年の2021年には17歳で世界選手権に初出場し、優勝を果たしている。『日刊スポーツ』紙によれば、全試合無失点でのテクニカルフォール勝ちという完全優勝だった。また、高校生で世界王者となったのは日本人史上5人目、史上2番目の年少記録だったという。
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『サンスポ』紙によれば、高校を卒業すると日本体育大学に進学した。父親が日体大OBで、地元の教員を辞職して同大学の女子レスリング部コーチに就任することになったので、寮には入らず父親と家賃10万円の家に住み、二人三脚でパリ五輪を目指すことになったという。
同紙によれば、寮ではなく父親と住むことを選んだのは食事の管理を徹底するためだ。「減量が苦しくならないために、普段から増え過ぎないように気をつけている」という藤波選手は、白米を口にせず雑穀米を主食とし、油を使用するときはオリーブオイルにしているという。
日体大では五輪を4連覇した伊調馨(いちょう かおり)元日本代表からも指導を受けている。『スポーツ報知』紙によれば、「甘い」「遅い」と指摘を受けながら「打倒・伊調」を目指しているという:「......なかなかポイントを取れない。本当に今もめちゃくちゃ強くて。どうしたら馨さんからポイントを取れるんだろうと、いつも考えています」
写真:2019年全日本選抜レスリング選手権に出場した伊調馨選手
2022年の世界選手権は左足リスフランじん帯損傷のため欠場した。復帰後は順調に勝ち星を重ね、2023年の世界選手権で2度目の優勝を果たしている。
レスリングは直径9mの円形マットの上で、3分間2ピリオドの試合を行う。対戦相手を組み伏せ両肩を1秒間マットにつけるフォール、または規定のポイント差をつけるテクニカルフォールを取れば試合終了となる。制限時間内に決着がつかない場合は、ポイント数が多い方が勝利する。
日本レスリング協会公式サイトによれば、これまで藤波選手は全試合でフォールかテクニカルフォール勝ちをしていた。国際大会に限れば2019年から28試合連続で無失点。「誰が藤波選手を倒すか」よりも、「誰がポイントを取れるのか」が注目されていたという。
2023年の世界選手権準々決勝は、まさかの試合展開となった。最終的にフォール勝ちするも、序盤にエクアドル出身のルシア・エペス・グスマン選手に5点をリードされ、2019年以降初となる失点を許したのだ。「自分の中ではいつも通りと思っていたが、ちょっと浮いてしまう部分もあった」と試合を振り返ったことを時事通信社が運営するニュースサイトが報じた。
そんな波乱があったものの藤波選手は世界選手権を制したことでパリ五輪の切符を手にした。その後の杭州アジア大会でも3試合無失点で勝ち抜き金メダルに輝いた。決勝で圧倒したのは東京五輪で銀メダルを獲得した中国のパン・キアンユ選手だ。
CBCテレビに出演した父親でコーチの俊一さんが、藤波選手の強さの秘密は「ぶれない構え」と「足を触らせない」ことだと語った。バランスが大事なレスリングでは、足を触らせないことでバランスの良い構えをとることができるという。
『産経新聞』によれば、レスリング女子代表の中で最年少の藤波選手が成人式を迎え、心境の変化を聞かれたところこんな答えが返ってきたという:「お酒が飲めるようになった。オリンピックが終わるまでは我慢して、最初はパリのシャンパンを飲みたいですね」
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同紙によれば、藤波選手は海外では「ワンダーガール(驚異の少女)」と呼ばれ、金メダルが確実視されていた。大きなプレッシャーをはねのけ、見事五輪を制した藤波選手。二人三脚で苦楽を共にした父親と、人生初にして最高のシャンパンのグラスを掲げるに違いない。