上半身だけで生まれたザイオン・クラークの言い訳をしない生き方
米国出身のアスリートであるザイオン・クラークは、下半身を持たずに生まれてきた。しかし、弛まぬ努力を続け、ついには総合格闘技の世界でプロデビューに成功。さらなる高みを目指している。
1997年9月29日、クラークは「尾部退行症候群」という先天性の稀少疾患により、上半身だけで生まれてきた。そんな大きなハンデをはねのけ、オールアメリカン・レスラーの座に輝いたばかりか、複数の競技でギネス世界記録を達成している。
2021年、クラークは両手だけで走る20m最速記録、2022年には両手を使って跳ぶ「ボックスジャンプ」の最高記録と「3分間のダイヤモンド腕立て伏せ(両手をひし形に組んで行うプッシュアップ)」の最多記録を出し、3つのギネス世界記録達成という偉業を成し遂げた。
『フォーブス』誌のインタビューでこう語っている:「これまできわめて厳しい道のりを歩いてきました。人生では非常につらい状況に置かれたことも、過酷な経験をしたこともあります」
「産みの親に捨てられた後、17年にわたり9つの里親家庭をたらいまわしにされました」とクラークは明かした。
こうしたきわめて過酷な子ども時代を過ごしたことで、クラークは適応能力を身につけていくことになった。そのおかげで、その後の人生でも困難に立ち向かい、目標を達成する方法を身に着けられたという。だからこそ、これほど輝かしい実績を挙げてきたのかもしれない。
クラークは6歳の時にレスリングを始めた。当時の里親が、身体的な違いから差別を受けていたクラークを元気づけるためにレスリングを習わせたのだ。
努力を重ね続けたクラークは、ケント州立大学でオールアメリカン・レスラーに輝いた。また、陸上競技でも2度の州チャンピオンとなり「両手最速の男」と呼ばれるようになった。
そんなクラークが新たな挑戦をした。2022年12月17日、米国カリフォルニア州で行われたMMA(総合格闘技)コンペ「Gladiator Challenge」大会で、プロデビューを果たしたのだ。
対戦したのはバンダム級でプロMMA0勝4敗のユージン・マーレー。大会出場を前にクラークは、これが総合格闘技家としての新たなプロフェッショナルなキャリアの始まりになる、と語った。
クラークはロサンゼルスの『Fox 11 News』でこう語っている:「対戦相手を倒し、観客を喜ばせるようなショーを行うためにここに来ました」
さらにこう続けた:「私は足のないアスリートだから特別なのではありません。特別なのは、行動力があり「No Excuse(言い訳はなし)」 という信条のもとに、毎日自分自身を奮い立たせているからです」
レスリングに柔術を組み合わせてMMAを闘ったクラーク。試合で優位に立って審判のカードを独占し、全審判一致の判定勝利でマーレーを下した。
3ラウンドを通し、クラークは豊富なレスリング経験をもとにマーレーを圧倒したのだ。
30-27の判定が出たとき、クラークは後方宙返りでコーナーに戻って観客を熱狂させた。こうしたパフォーマンスを待ち望んでいた観客の期待に応え、会場をおおいに沸かせた。
「クラークはMMA参入をとても真剣に捉え、クイントン・ジャクソン、マイク・ペリー、アンデウソン・シウバといった元UFC(米国の総合格闘技団体)のスターたちとトレーニングに励んでいました」と『Mail Online』のジャーナリスト、ジェームス・クーニーが伝えた。
生まれつき下半身がないという大きなハンデにもかかわらず、強靭な精神力と楽観主義で数々の偉業を成し遂げたクラークの半生は、Netflixの11分のドキュメンタリー『ザイオン』にまとめられた。
フロイド・ラス監督の短編ドキュメンタリー『ザイオン』は、生まれつき下肢を持たない若きレスラー、ザイオン・クラークが、レスリングを通じて自身の居場所を見つけるまでの物語だ。第91回アカデミー賞でも取り上げられ、サンダンス映画祭短編部門では審査大賞にノミネートされた。
ザイオンの背中には人生のモットーである「No Excuse(言い訳はなし)」のタトゥーが刻まれている。あきらめることを知らない上半身だけのアスリートから今後も目が離せない。